02 少女エリ ①
※
――まごうことなき全裸だった。
少女の前へと現れた男。
惜しみなくさらけ出されているご立派な体躯。
道理は不明であるが、経緯ならばこうだ。
太陽が高く昇る頃だった。
雑木林を分け隔てのびる山道で、木板造りの大きな荷馬車が横たわる。
ここまで荷車を引いて来た馬の姿はとうにない。
積み荷は年頃の若い娘達であったが、蜘蛛の子を散らすようにして走り去った後だった。
――ただし、その内の一人である赤茶けた髪の少女をのぞけば、である。
土塊で足をつまずき、一人逃げそびれた少女エリ。
その両手首には縄が巻かれている。
そしてエリが倒れ込む地面では、他にダガーや手斧で軽武装をしていた男共も転がる。
再び起き上がることも叶わなくなった男共は、一人の若者がぶっきらぼうに振り回すロングソードによって斬り伏せられ薙ぎ倒されていた。
――ひゅ~と吹いた心地良い風が、戦闘の残り香であった土煙をすべてさらう。
誰もが地へ伏せる中にあって、デタラメな強さを誇った男だけが悠然と立つ。
手にする武器を軽々振り回すのも納得な筋骨たくましい背中。
戦士を彷彿とさせる引き締まったバランスの良いシルエット。
若さ溢れる程よく日焼けした肌。
つまりは――。
ぺたりと座り込む少女のその視線の先に、威風堂々、一糸まとわぬ姿がそこにあったのだ。
「うきゃああああっ、いいいいきなりこっち向かないでくださいっ。み、み、み、見えちゃう見えちゃう見ちゃってしまいますってえええ」
エリが慌てふためき、くりっとした目をぎゅっとつむる。
顔の前にあてがわれた縛られた両手。
隙間からチラリとのぞき見れば、すべてをさらけ出した男が平然と迫る。
ぶらり迫りゆく。
「あのあの、では、それでは私も失礼しますっ」
身をよじらせ赤らめた顔を右往左往させたエリは、早口とともに転がるようにして起き上がる。
さすれば、急ぎその場を立ち去ろうとする。
立ち去ろうとする――も、しかし。
「待て。勝手にどこにいく」
「たぎゅっ」
ボロの首襟をむんずと掴まれる。
エリは子猫でもつまみ上げるかのようにして、ぷらんと吊るされた。
それから、ぐいっと引き寄せられ鋭い目で観察された。
「お前ら、乗っていた女どもは奴隷とかいうヤツだろ?」
簡素なボロを纏う姿である。
身なりだけでも奴隷だと察するのは容易いが。
縛られ自由を奪われたエリの両手……その片方。
右手の甲に施された猛牛を思わせる焼き印こそ、何よりも確かなものであろう。
――焼き印は奴隷の証であり、世間で広く知られていた。
「どこにも行きません、どこにも行きませんから……離してもらえないでしょうか。あの、下ろしてもらえないでしょうかかかかか」
男が揺さぶれば、エリがガクガクと揺れた。
「とっとと答えろ」
「ですです、そうです奴隷ですっ。なので、助けてもらったことに感謝しています。ありがとうございました。戦士様の良き行いにアマンテラス様のご加護を――だから、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさいいいい」
「うむ。俺への感謝はいつでも歓迎だ。何かとうるさいヤツだが、良い心がけだぞ」
口元はニヤリ。
それからそれを、男は”への字”に変える。
「まあ、それはそれとしてだ。助けてもらったとはどういうことだ? 教えろ」
「ええ……と? その、どういうこと? っていうのが、どういうことなの状態の私なんですけれど?」
相手が感謝の理由を問うてくる。
ぼそぼそつぶやく反応を見るに、エリは困惑の最中にあるようだ。
奴隷として売り飛ばされようとしているところへ突如として現れ、自分をさらった男共の手から解放してくれた。
ゆえにエリが感謝を述べる道理など、さして理解し難いものではないはずだが。
「そちらの……裸の、すっぽんっぽんの状態がどういうことなの……とか思う私なんですけれども」
伏し目がちな当人を含め、傍から見ても、全裸の男から吊り上げられる如何ともし難い状況。
つい心に思ったことを口走ってしまうが、エリの境遇としては男を変質者と決めつけられない。
なぜなら、助けてもらった事実があるからだ。
つまりは変質者どころか、紛れもない恩人となる。
大陸では『奴隷商』と呼ばれる商いが日常的に行われていた。
エリのような娘達を助けようと運搬中の荷馬車が襲われるなどは、しばしば目にできた。
――望んで奴隷となる者は稀である。
焼き印を持つ者のほとんどは、対価の代わりに差し出された者、さらわれた者ばかりだ。
それゆえに、愛する家族を逃がそうとする者や正義を掲げた者が荷馬車へと剣を振るうのだ。
ただしそれでも。
――奴隷商から解放される奴隷は少ない。
奴隷商に属する者は盗賊や山賊、果ては海賊まで冒険者と同じく戦いに長けた手練れが多い。
並みの武力では返り討ちに合うのが関の山である。
”死人を拝みたければ奴隷馬車の後ろを歩け”との皮肉が生まれるほど、奴隷商の手から奴隷を逃がすことは困難かつ危険がつき纏うものであった。
しかし今、その奴隷商の猛者達は沈黙していた。
子供ですら理解できる明らかな千載一遇の逃げる機会。
すなわち、囚われの身の少女はこの機に乗じて自由を取り戻すことができるだろう。
それは間違いない。
――はずであったが……。