15 魔法誓約書 ③
「例え必要なものでも、お得意様には誓約書の破棄がある事自体煩わしく、その都度発生する代価にも悩まされているざんす」
「……それでも、代価がなくなることはない……んですよね……」
「無くなるも何も、代価は魔法誓約と表裏一体の関係。そして代価に意味があるからこそ、魔法誓約に意味があるざんす。賢い者は無くなるなどと馬鹿げた考えはしないざんす」
代価とは魔道学に則る方法であり、その契約が行われなければ誓約としての効果を生み出さない。
「話を戻すざんすが、そこでワタクシどもは”誓約内容を変更できる”奴隷を売り込む事にしたざんす。誓約書を破棄する必要性が生まれるのは誓約書の内容を変えられないから。では、変更可能な誓約書を作れば良い。まさに逆転の発想ざんす」
「言っていることは分かるんですけれど……でもその変更が無理だから、破棄することが必要なんじゃないのかな……って思う私は、さっき髭社長さんが言ったこと言っているだけなんですけれど」
「お馬鹿な娘なりに揚げ足を取ったつもりざんしょうが、そうは問屋が卸さないざんす」
その口髭が得意げになる。
「なぜならワタクシはさる組織からの力を借りてそれを可能にした、新しい魔法誓約書形式『ウーシー誓約』を作ったざんすっ」
一度でも魔法誓約を行った者なら絶対に信じることなどできないだろう、魔法誓約書の変更。
人の身で魔法を行使するウイザード達が、長年の経験と知識で確立した魔導学により特別な儀式と書式で作る魔法誓約書は、誓約書そのものに手を加えられない仕様となっている。
裏を返せば、改変できる誓約書など誓いの楔となれないのだ。
またその誓いの楔は物理的にも強固な形となって顕れる。
成立した”魔法誓約書”は、例え燃え盛る炎の中に投げ込もうとも消し炭になることもなく、巨人の怪力をもってしても引き裂くこともできない。
しかしエリはそれらの事を知ってか知らずか、力強いガンスの口調に疑念など持てず、真剣な眼差しで向き直った。
その様子を見たガンスが一段と勢いをつけて語る。
――それは一人の奴隷商の男が思い描く、商いの展望であった。
男はまず、顧客の望みでもある誓約内容が変更可能な魔法誓約書『ウーシー誓約書』を売り込み、後に”更新制”へ切り替えると言う。
魔法誓約は一度交わせば、永久的に効力を持続する。更新制とはその誓約書が及ぼす力を、永久的なものから定期的なものへと変えるというものだ。
誓約更新は年ごとに行い、顧客からは更新毎に手数料を取る。
誓約更新を怠った顧客の奴隷は以後、誓約変更の対象から外す。
既存の魔法誓約と違い『ウーシー誓約書』を扱えるのは、奴隷商ウーシーカンパニーだけ。
ならば顧客は財産として奴隷を維持する限り、自社の更新制度を受け入れるしかないと自信を見せた男は、結果的に代価を必要としない『ウーシー誓約書』は容認されると豪語する。
そして男はここで、従来の誓約書の破棄を無効化した意味が生きると満面の笑みであった。
誓約書を破棄できる要素を廃した『ウーシー誓約書』は、更新が可能で在り続けることで成り立つ。
顧客は奴隷を買った後も、奴隷商ウーシーカンパニーを必要としなくてはならない。
「今までは、奴隷を買ってしまえば貴族や富豪はワタクシに、はいさようなら。しかしこれからは一度の取引きで長いお付き合いざんす。そして、需要と供給の問題もこれで解決。幾らでも増やせる奴隷と違い、買い手である貴族はなかなか増えないざんすからね」
活力でみなぎるガンスの視線が、石壁の窓へ移る。
男の野心が見ている先を、俯くエリが追えることなどなく、
「これからの奴隷商は一定数の顧客を確保し、そこから利益を得るべきざんす。そうすることで安定した潤いばかりではなく、世間の見方を変える事に繋がるざんす」
「変える……変わりましたよ。私、もっと奴隷商が嫌いになりました」
なけなしの元気を使い、くいっと頭を起こして放った思いはとても弱々しいものとなった。
相手は奴隷としての人生を与え、奴隷にとっての希望すらも奪う人でなし。
臆してなどいない。
ただ、見上げる相手の対照的な表情の顔に気が滅入って仕方なかった。流れ落ちる涙がたまらなく嫌だった。
エリは自分が失意の底へ沈んでゆくのを実感してしまう。
「奴隷娘の意見は世間と関係ないざんす。関係あるのは世間に影響力を持つ人間、ワタクシどものお得意様、貴族や富豪達ざんす。彼らにとって奴隷商は奴隷を調達するだけの相手でしかなかったのが、自分達の損害を恐れワタクシどもを支持しなくてはならなくなるざんす。そうなれば、自ずとワタクシどもを世間から守ろうとするは目に見えて――」
もう随分と語られた奴隷商の未来……それが、中断する。
熱を帯びる声が響いた硬い部屋に、騒がしい音が混ざったからだ。
ドタドタと石段を踏み鳴らした足音はガンスを振り返らせ、部屋の男達からも注意を向けさせた。
石段には上層から駆け下りて来た一人の髭面の男。
「頭っ、じゃなくて、ガンス社長っ。ちょっといいですか。暗くてはっきりしないんですが、何かこっちへ向かって来るものがあります」
「モンスターなら心配ないざんすよ。人魔大戦時の建築物には、創世神の加護が付与されているざんす。だから、中には入――」
「いえ、それが魔晶ランプのような光りが見えるんで、俺っちの勘だと人だと思います」
「では、さっきの街の自衛団どもの可能性が――」
「いえ、それが俺っちの勘だとそれもなんか違うような気がします」
外の見張りをしていた男からの報告に、ガンスは眉間にしわを寄せ不機嫌そのものの顔を返す。
「と、とにかく真っ直ぐこっちに向かってくる光があるんです。どうしましょう」
「どうもしないざんす」
にゅろんと伸びる口髭が摘ままれる。
「どこの誰で何者かは知らないざんすが、ここへ向かってくるなら、目的など分かりきった事。正義感ぶった馬鹿な輩、我が社を妬む同業者、ワタクシどもが襲われることなど常。いつものように返り討ちにしてあげれば良いだけの事ざんす」
ガンスの鋭い目つきと低くなる声が、周りの男達へ仕事の時を告げる。
鬱憤晴らしに丁度良いと首を鳴らす者。研いだ得物の切れ味を試したい者。己の見せ場だと高揚する者。
戦いに長けた奴隷商の男達が各々ごそりと動き出すのであるが、やはりと言えばやはりなのであろう。
彼らは呼吸するような自然さで殺気を放つ。
それはうなだれる少女エリを、さらに息苦しくさせるのだった――。
大陸辞典:「神の加護」
人にその力が宿るのは稀だが、教会や古代遺跡などその力を施した建造物や場所は多い。




