143 死蝶病 ⑤
エリを眠らせた報告――。
ぱんだ亭のカウンターでは、蛙が店主を見上げていた。
「”昏睡状態”に陥ることで、病の進行を遅らせられる……かどうか、正直わからぬところではござるが、魔族の似たような病には、一定の効果が見込める処置でござるゆえ……」
「大丈夫さ。きっと効果はあるさね。それに、眠っている間は、苦しい思いもしなくて済むだろうしね……」
「ランプが灯る限り、エリ殿が目覚めることはないでござろう。ソレガシ、それこそ断腸の思いで十日分は用意したでござる」
「エリのお姉ちゃん、ココアと平気そうにおジャベリしてたけど、顔が真っ青で、辛そうだったから、眠れて良かった」
「ボル蛙も、ココアも、しゃべりエリーのためにいろいろと、すまないね……」
すう、と閉じたヨーコの瞼。
思いを巡らすようなそのあとには、その思いを乗せる眼差しを向けた。
「本来なら、あんた達にエリーを看てもらって、アタイが行くつもりだったんだけど……」
「エリ殿はヨーコ殿にこう言ってましたな。いつものように店を開けてください、いつものお店の賑わいを部屋で聞いていたい――と」
「まったく……エリーには困ったもんさね」
自分や店を想う気持ちから出たエリのお願い。
それに頭を悩ませるのだから皮肉なものだ。
しかし、そんな思いやりのあるエリだからこそ、ヨーコは何に代えてでも救おうと覚悟を決められた。
そして、その強い意志を、託すことにも決めていた。
「王都のほうを、あんた達にお願いすることになるとはね……」
「おそらく、その判断が正解でござろう。いくらここで生活を送る者同士とはいえ、拙者やココア様は魔族。人族の、それも病に伏せる状態の者を看病できるかは、実際問題、難しいところ」
まるっきり違うわけでもないだろうが、病人の介抱において、魔族と人族の違いが出るかもしれない。
それを蛙は危惧するようだ。
たとえば、魔族であれば魔力でも身体を維持できるが、人族はそうではない。
物を食べることでしか、身体を維持できない。
すなわち、魔族なら十日ほど眠り続けることも可能だが、エリの場合は、生命維持に食事が欠かせない。
食料を与えることはできるだろう。
しかし、料理はできない蛙やココアにとって、エリに適した食事をとらせることは、かなりハードルが高い――どころか、無謀とさえ思える。
「エリ殿の介抱するのはヨーコ殿。王都の薬は旅慣れた拙者らが受け持つ」
「適材適所といえば、聞こえもいいのかね……」
ヨーコは自分に言い聞かせるように。
それでも、限られた選択肢の中ではやはり適切に違いない。
「ともあれ、ソレガシとしては、一宿一飯の恩義に報いる機会でもあるゆえ、尽力いたしますぞ」
「ココアも、がんばるのだー」
「じゃあ、これをお願いするよ」
ヨーコが大事そうに手渡すのは、金貨が入ったカバン。
やりくりしながら、コツコツと貯めた金。
店の改築費用を建前に、嫁入りの時の豪華な挙式を夢見たその金額すべてを、ヨーコはなげうつ。
「中身は350万ルネの大金だ。肌身離さず持っておくんだよ」
ココアの肩から下がるカバンには、35枚の金貨。
助言のあった資金の『300万』から、念の為と50万足した額だ。
「いいかい、ココア、それにボル蛙。落としたり失くしたりするんじゃないよ。それから、あいつに渡すのは絶対に駄目さね」
「了解ー」
てろんぱ、とココアが敬礼する。
ゲコリと、蛙がしっかりうなずく。
そして。
――彼の娘が顔を見せたのは、そんな時であっただろうか。
店の入口から給仕服の竜娘が駆け込んできた。
ガザニアは歩きながらに、キョロキョロと店内を見回す。
「リトルプリンセス、ボルザック。それと、人間の……ヨーコだったよな?」
「どうかしたの、ガザニアちゃん」
ココアが声をかける。
「ガザニア、見失った人間のアレク探してる。もしかして、ここに居るかと思ってやって来た」
どうやら、アレクから尾行をまかれたらしい。
「アレクなら、馬小屋さね」
「馬小屋……今度は、馬を食べているのか?」
「まあ、あいつなら食いかねないだろうけど、それとは違うね」
ヨーコが嘲弄する。
「食べないなら、なんで馬小屋にいるんだ? もしかして、馬が”変身”しているのが、アレクなのか!?」
「馬扱いしたら、馬が可愛そうさね」
「アレクはお馬じゃなくて、おオオカミなのー」
馬に同情する声の次には、動物違いだと教えてあげる声が続いた。
「少し前に、アタイが馬車を使う気でいたら、アレクが王都に行くと言い出してね。それで、『そもそもあれは俺の馬車だああっ』とかなんとかで、アタイがこっそり使わないように、馬小屋で見張っているんじゃないかい」
「そうか。理由よくわからなかったけど、馬小屋に居るのよくわかった。だから、ガザニアに、馬小屋の場所教えてくれ」
「なら、ココアが案内してくれるさね」
そうヨーコが促せば、
――ぽふむ。
ココアが頭の上に蛙を乗せた。
そうして、『大切なカバン、よーし』の掛け声とともに出発する。
「ガザニアちゃん、こっちだよー」
案内人に従い、竜娘がついてゆく。
――開いて、そして、閉まる店の扉。
その音を耳にしながら、ヨーコは見送る。
「ココアに、ボル蛙……それと、アレク。なんだかんだで、アタイは頼りにしてるよ。だから、奇跡の秘薬”薬瑠湯”をよろしく頼むさね」
信頼の気持ちを胸に、ヨーコはエリの様子を見に屋根裏部屋へ向かう。
しばらくして戻ってくると、滞っていた店の準備を黙々とこなすのであった――。
大陸辞典:「梨」
そのシャリッとした果実は、水分補給にも適した瑞々しいもの。
山越えの際には、ぜひとも手に入れておくといいだろう。
発生時期は、西側大陸でカメ月~ゾウ月頃まで。
概ね10個体~20個体のグループで山中を集団移動している。
ころんころん転がったり、ばい~んと跳ねたりで、少々捕獲に手間取ることもあるだろうが、やけにならず冷静に挑むこと。
それが”梨”を捕まえるコツである。




