140 死蝶病 ②
「ぱんだ亭はん。にゃんなら、足りないルネはニャーが融資してもいいにゃ」
「遠慮しとくさね。これ以上あんたの世話になるのも、後味が悪いもんだからさ……」
「そうにゃか……オークションの薬瑠湯は諦めるのにゃーねー」
資金を援助することで、何かしら利益を得る腹積もりだったのだろう。
ゼニニャンががっかりと肩を落す。
それとは対照的に、肩を張るのがヨーコであった。
「馬鹿を言いなさんさね。誰が諦めるもんかっ」
「うにゃにゃ」
「分かんないかい? 300万くらい、アタイが用意するって言ってるのさ。あんた、アタイをちょいと舐め過ぎやしないかいっ」
ヨーコがどーんと啖呵を切る。
「にゃあ……舐めるどころか、いつもニャーに手厳しいと思っているにゃのに」
どうやら、ヨーコに苦手意識を覚えるようだ。
それでも……ゼニニャンには、尋ねておきたいものがあった。
――死蝶病の娘について、腑に落ちないに落ちないところがあるのだ……。
「ところで、ぱんだ亭はん。死蝶病が発症者以外に感染らにゃいのは知っているかにゃ?」
「そうらしいね。もし風邪みたいにそれで治るなら、そこのアレクにでも、ぜひ感染して欲しいもんさね」
「感染らにゃいからその療法は無理にゃけど、それを踏まえても、もとからアレクの旦那に死蝶病は無縁な病気にゃーねー」
「そりゃそうだろうさね。教会の教えにも、”病気も馬鹿は嫌う”ってのがあるくらいだからね」
「うにゃにゃ。怖いもの知らずのぱんだ亭はんにゃね」
話題に上る男の怖さを知るからこそだろう。
アレクが座る後ろのテーブル。
その様子をさらりと確認したゼニニャンであった。
「それで、死蝶病とあいつが無縁ってのはどういう意味だい?」
「んにゃ。さっきの教会の教えをまねっこするにゃら、”死蝶病は男を嫌う”にゃね」
「つまりあの忌々しい病気は、女にだけしか縁のない病気ってことかい」
「ただにゃあ、健康で清らかな生娘でにゃいといけないにゃ」
「ふーん。病気のくせに、相手を選り好みするってわけかい」
「そんにゃ死蝶病は、周りに感染拡大しにゃいのと健康な生娘にゃんかの諸々の事情から、本当に稀な奇病と言われているにゃ」
ごく珍しい奇病。
それを念を押すように、ゼニニャンはヨーコに聞かせる。
「にゃから、その発症の証――”デス・バタフライ”も、極めてレアな品物になるにゃ」
「……あんた、まさか」
「そうにゃ」
ゼニニャンはずっと引っかかっていた。
――”なぜ高価な秘薬を使ってまで、娘を助けるのか?”
「あの死蝶病の娘を剥製にして、売りに出したほうが合理的にゃ。デス・バタフライの価値でも、2000万~3000万。処女に付加価値を求める好きものに当たれば、もっと高値がつくかもにゃ」
今回の王都のオークションでの出品は無理だとしても、確実に売れる商品になる。
ソロバンを弾くまでもない。
死にかけの娘を生かす手段よりも、死んだ娘を活かす手段のこちらのほうが何倍も有益かつお手軽だ。
――そう、ゼニニャンは考えていた。
そしてこれが、死蝶病の娘、その奴隸の娘の扱いについて腑に落ちない点であった。
「あんた……なんて、恐ろしいことを言うんだい」
「そうかにゃ? ニャーからすると、死蝶病の奴隸に300万を出すぱんだ亭はんのほうが気が狂ってるように思えるにゃ。また新しい奴隸を買っても、お釣りがたんまりくるにゃのに」
「あの娘は……エリーの手には、奴隸商のマークがあるさ。けど、奴隸なんかじゃないんだよ。大切な仕事仲間で変わりのいない家族さね……」
ヨーコは静かに言った。
「だから、ニャー。あんたはその口で……アタイの前で二度と、身の毛もよだつような馬鹿なことを言うんじゃないよ」
「うにゃあ。口は災いの元にゃんて聞いたことあるけど、ニャーの口がそれになるとは思ってもみにゃかったにゃ……」
良かれと思って。
それがゼニニャンの正直な気持ちだったはず。
そして、ヨーコから諭すように聞かされた言葉も、どう感じているのやら。
――人と魔の間の子として日々を送る少女。
その特殊な境遇においては、おそらく世間とは少し異なる形で、人の持つ感性や常識などを育んだことだろう。
――それゆえ、ヨーコの意識とも違う奴隸への認識は、そうそう変わるものではない。
しかしながら、場の空気には敏感らしい。
自分で招く気不味さを自覚し、それにへこたれるようだ。
「にゃあ、ともあれ、ニャーからの死蝶病についての情報はこれくらいにゃーねー」
と、最後のセリフをカウンターに残してすぐ、ゼニニャンはそそくさぱんだ亭を後にした。
さすれば……だろうか。
のそりのそり。
アレクがカウンターに歩み寄る。
「くだらん話は終わったようだな。そして、俺の食べる肉も終わってしまった」
「アレク。あんたは……どうも思わないのかい」
「また味わっても良いと思う、ウマい肉であったな」
「エリーのことだよっ」
「ぐ。洒落のわからんヨーコめ。いきなり大声を出すな」
耳をほじほじ。
うるさかったとアピールする。
「絶対にそんなことにはならない。けど、エリーが死の病に冒され苦しんでるんだ。ちょっとは、心配する素振りでも見せたらどうさねっ」
「ふん、俺がそうしたところでどうなる。そもそも、クサコが貧弱だからだろ。だから、死の病とやらの餌食になるのだ。俺のように強ければ、病気ごときで惨めにくたばるようなことにもならん」
それだけであった。
それだけ言及すると、アレクはマントを翻し背を向けた。
――何事もなかったように、淡々と店の出口に向かってゆく。
後を追うようにして、竜娘ガザニアも行ってしまう。
人の気配が去りゆくなか……ヨーコが天井を見上げる。
寂しさを感じる静けさ。
どこか悲しみ満ちるそれは、ぱんだ亭の雰囲気を重苦しくさせるものでしかなかった……。




