139 死蝶病 ①
『死蝶病』――。
大陸で稀に報告されるそれは、病原体が特定できておらず、感染経路なども含め不明瞭な点が多い。
しかしこの奇病は、誰の目にも一目瞭然のそれでもあった。
――背中に浮き上がる、青い虫の羽。
蝶に喩えられる模様は、背骨の位置から左右対称にその羽を広げる。
そして、人肌とは思えぬ冷たさともに、人の命を吸う。
それゆえ、青い蝶の模様はこう呼ばれた。
”デス・バタフライ”、と――――。
「アタイも死蝶病のことは知ってたけど……発症後……十日でなんて……」
ヨーコがため息をつきながら、天井を見上げた。
上階にある屋根裏部屋。
そこではココアが付き添い、ベッドで横になるエリがいる。
「数日のズレはあると思うにゃけど、それくらいでお亡くなりになる死の病にゃ」
カウンター席からの変わらぬ通告。
死蝶病を知るゼニニャンによれば、青い蝶の発症から約10日の命らしい。
「きっと、最新医療技術を持つ王都の病院でも、それは変わらにゃいと思うにゃ」
「つまり、手の施しようがないってことかい……」
「そうにゃ。ニャーの知る限り、どんな病院やどんな医者先生でも無理にゃーねー」
「こっちは、どこかに隠れた名医でも……と縋りたい気持ちなんだけどね。大陸中を駆け回るあんたが言うんだ。そんなもん居やしない……それを受け止めるしかなさそうだね……」
ヨーコが落胆する。
ただそれでも、その瞳が完全に曇ることはない。
――希望の光があったからだ。
それはか細い一筋であり、一縷の望みでしかないが、たとえ死を待つばかりの病だろうと打ち勝てるはず。
その願うような気持ちが、ヨーコの顔を起こさせ前を見据えさせた。
ゆえに、そのおかげで……。
――ヨーコの視界に入り込んでしまう。
陽気なアレクと翻弄されるガザニア。
すぐ側のテーブルで弾ける、ジュウジュウとした香ばしい音。
竜娘に肉を焼かせ、それを食らう狼戦士がいた。
ヨーコのため息は絶え間ない――。
しかしながら、何かを期待するように……だろうか。
向けた眼差しは、宿す光をより増したようにも思えた。
「治せる医者や病院はない。けど、このまま何もできないってことはないさね」
ヨーコがカウンターに視線を戻し言う。
すると、ゼニニャンが相手の言わんとすることを汲み取るようだ。
「ぱんだ亭はんの言う通りですにゃ。でもにゃあ、何もというよりは、助ける方法は1つしかにゃいにゃーねー」
「そうだね。エリーを救う手立ては、たった1つ……」
すう、とヨーコが息を吸う。
それから、相手と同時に口を開いた。
「「”薬瑠湯”さね・にゃ」」
二人の考えが一致する。
世界樹や万葉樹と呼ばれる樹木の恵み。
「幻の花の蜜で作ったその奇跡の秘薬なら、どんな病気だろうと、エリーの死蝶病だろうと関係ないはずさね」
「たぶん大丈夫にゃ。薬瑠湯で死蝶病を克服した前例は、聞いたことあるにゃ」
ゼニニャンが認める。
その後押しに、ヨーコの顔がほころぶ――もしかし。
すぐさま、神妙なそれとなった。
「ただ……今のところ、入手する手立てがないさね」
考えを巡らすヨーコの前には、難しい問題が立ちはだかる。
――『薬瑠湯』は入手困難極まりない。
言わずもがな、奇跡の秘薬は、雑貨屋などに置かれているような代物ではない。
ゆえに、それを求める者の多くは、原材料となる世界樹の花の蜜を採取し、それから秘薬を作る方法を取る。
しかし。
「にゃあ、世界樹の花は4、5年前に咲いたばかりにゃ。直接取りに行くつもりにゃら、あと25年くらい待たないとイケにゃいにゃーねー」
「そんなに待てるもんかね。エリーに残された時間は十日しかないんだ……」
そう、あまりにも時間がない。
たとえ世界樹の花が咲く時期だったとして、高き尾根を越えて戻るには、早くてもひと月はかかる。
そればかりか、腕利きの冒険者を雇ってもその生還率はかなり低いと聞く。
ヨーコが世界樹の花の蜜を手に入れるなど、どだい無理な話であった。
「あんたのツテで……どこか、薬瑠湯を使わずに持ってる貴族なんかいないかい」
「うにゃあ……ニャーに、薬瑠湯の取引きはないのにゃけど……」
考える素振りは、次にカバンを漁るものへ。
ゼニニャンが取り出すメモ帳を開く。
「そうにゃーねー。貴族の所有者とはちょっと違うものなら、教えてあげられるにゃ」
「なんだい、それはっ」
藁をもつかむ心境だったのだろう。
ヨーコは声を荒げて食いつく。
「ちょうど王都で、恒例のオークションが開催予定にゃ」
「王都の競り市に、薬瑠湯があるのかい!?」
「にゃあ、そう焦らず、確かめるからちょっと待ってほしいにゃ」
ゼニニャンのメモ帳がペラペラとめくられる。
「今までの出品リストでも、毎年薬瑠湯が1つだけ出品されてるにゃーねー。今回の事前リストにも載ってたにゃ」
「じゃあ、そこでなら」
「んにゃ。薬瑠湯が手に入るにゃ」
「だったら、決まりさねっ」
ヨーコが表情を明るくした。
「で、その王都の競り市はいつ開かれるんだい。ここにきて、来月だとか、もう終わってたなんてこと言ったら、承知しないよ!」
「3日間の開催で、薬瑠湯は最終日の……5日後にゃ」
「……ここから王都まで、今のエリ―じゃ同行できない……けどその分、馬車を目一杯飛ばせる……そうすれば間に合う。帰りもそれで戻れば、ぎりぎりで間に合う……」
ヨーコはここぞとばかりに、その幸運を感謝した。
五日後のオークションで薬瑠湯を入手。
そして、五日で戻ってくる。
その行程なら、エリの命も危うくなるリミットまでに薬瑠湯を飲ませられる。
余裕は全くない。
だが、最も可能性を秘める、賭けるに値する王都のオークションに違いないはすだ。
「たぶん、300万ルネくらいにゃ。それくらいの資金で、ようやく競り落とせると思うにゃ」
そう、ゼニニャンがさらりと述べるも。
――300万ルネ。
それは、薬ひとつとしては目を見張るような高額。
貴族や富豪ならともかく、ぽんっと出せるような金額ではなかった。




