13 魔法誓約書 ①
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――寝静まる太陽はその姿を青黒き夜空に写し、月の名で浮かばせる。
大陸の誰もがこのように語る丸い月。
その眼下では、幾代の夜もどこかしらで人の火がともったことだろう。
そして今宵は、”石造りの塔”も久方ぶりの火をともす。
プジョーニの街から東に位置し、山道へ繋がる街道より外れた場所。
岩肌をさらけ出す地で屹立する塔は、かつて人が魔族との争いで築いた『見張り塔』であった。
今もなお形を留めるその塔の上を目指して、内壁を伝う螺旋階段を登れば円状の部屋へと行き着く。
部屋は十人程の大人がくつろぐには十分な広さがある。
そして、石壁をくり貫いた窓から淡い光をこぼすほどに明るい。
光源である筒状の魔晶ランプ以外に物という物は置かれておらず、おおよそ殺風景なここには奴隷商の男達と奴隷の娘の顔があるだけであった。
さらに上へと続く石段では、奴隷商をまとめるガンスが腰掛ける。
近くでは、手下の男達がそれぞれ羽をのばす。
エリはといえば、上体を縄でぐるぐる巻かれ、石床に臀部を冷たくしながら部屋の隅に座らせられていた。
――ぱんだ亭から連れさらわれて、幾ばくかの時を経ていたエリの夜。
その帳が上がる気配は遠いようで、奴隷商達の動向を静かに見守る夜が続く……。
「こんな田舎まで来た挙句、こんな埃っぽい所で一晩過ごさなくてはいけないなんて、ワタクシも大変ざんすね」
「仕方ねえでさあ。プジョーニとかいう街は俺達のような奴隷商に厳しくて宿が取れねえし、ヤサへ戻ろうにも、クマ公のいる山道は使えねえってもんで……]
「ヤサではなく、本社と呼べと教えたざんしょ」
「へい、すみやせん、頭。でもまあ、馬車で過ごすよりゃ、よっぽどマシぜすぜ。待機してた仲間も入れりゃあ俺達十人もいるから、広さも十分なここはありがてえでさあ」
奴隷商ウーシーカンパニーは、会話するガンスと頬を腫らすブショウ髭面の男、そしてこの場にいる残りの三人と、塔の各所で見張り番をする五人を合わせれば、総勢十人の集団になる。
「アナタ達社員が有難るのをとやかく言うつもりはないざんすが、社員はワタクシのことを、カシラなんて呼ばないざんす」
「あ……すみやせん、社長]
「よろしい」
「それで、話は変わるんですが。あのウルクのアレクって野郎、あれで良かったんですかい」
「不満なんざんすか」
「こう言っちゃなんですが、俺達の商売は世間にナメられちゃ終わりですぜ。やっぱ、ガツンとシメといた方が良かったんじゃねえですか」
「それが出来るなら、ワタクシも苦労しないざんす。あの男、どうしようもないマヌケのくせして腕は本物みたいざんす。何度確かめてもワタクシの指輪は、ずっと赤い石のまま……」
ガンスがブショウ髭面の男へ向け、指輪がハマる手をかざす。
魔法により特別な効果を付加した魔法具。
指輪に埋め込まれている石は、ぱんだ亭の時の赤色と違い、今は緑色であった。
「ビジネスとは、危機管理能力も問われるもの。なので、最善を選んだまでざんす」
「その指輪、石の色で大した野郎かそうじゃねえか、教えてくれるんでしたよね」
「”緑は安全”、”赤は危険”ざんす。『月たる鵺』から頂いたこの魔法具は、弱きを挫き強きは避けよ、をモットーとするワタクシには非常に便利なもの。相手がこちらの力を上回るかどうか、戦わずして分かるざんす」
間を取るようにして、すう、と石段から腰を上げるガンス。
それを見るエリが顔を背けた。
部屋の遠くより向けられた視線への反射的な行動だった。
「そして、こちらの力は、社長であるワタクシだけでなく、社員であるアナタ達も含まれる会社としての総合力ざんす」
「俺達の力も……」
「つまり、アナタ達の得意とする武力では、あの男に挑んだとしても決して勝てない。それを意味したざんす。アナタ、ワタクシのお陰で命拾いしてるざんすよ。この娘を運んでいた馬車の連中のようにならなくて済んだざんす」
苦い顔の社員を見やれば、ガンスはコツコツと硬い床を踏み鳴らす。
エリの側へと足音が寄ってゆく。
「奴隷商としての面目とはいえ、回収に銀貨三枚。鼻たれ娘はもう少しワタクシに愛想の良い顔を見せるべきじゃないざんすかね。女は愛嬌って言葉を知らないざんすか」
「うう……あの、私……気持ちの整理が。ぱんだ、ヨーコさん……」
「なまじ、ワタクシどもから逃げ出すからそうなるざんす。奴隷は奴隷。自分の身分をきっちりわきまえる事が優良商品としての第一歩ざんすよ」
ガンスの言い分に、涙腺が緩むエリの心は頷いてしまう。
奴隷商にさらわれた時、エリは自分なりに奴隷としての一生を見つめ覚悟を決めていた。
荷馬車で揺られて運ばれていた時も、いい人に買われればそれで良いと沈む顔を笑顔に変えた。
――しかし、今は……。
ぱんだ亭での生活を手にしていたエリには、笑顔を作れるだけのものは到底抱けない。