121 なんか、飛んでる~
「……ボルボルさんて、やっぱり男の蛙さん……ですか? ですよね!?」
胸元で両手を握り締めるエリ。
それは、神の審判でも仰ぐかのごとく。
だからだろうか。
ごくごく簡単な問いかけにもかかわらず、蛙に思慮を巡らせた。
深く読み解くようにして、蛙は静かにゲコリ。
「人族ゆえか……どうやらその目には、ソレガシが雄々しく映らぬようですな」
魔王領であれば、誰もが恐れおののく。
そのような威厳を持つ蛙としては、やや受け入れ難くもある模様。
「されど、エリ殿。一世の雄とはいかないまでも、拙者、武勇にて名を馳せたと自負している」
蛙は胸を張るように。
そして、少女の意図を誤解したままに。
――”漢の蛙か”
そう問われば、『何か拙者に頼ろうとしているのだな』と察するのは容易い。
”漢”たる者、見込まれ頼り甲斐にされるものだ。
だからこそ、ボルザックは人族には弱々しく映った自分を否定してみせる。
また、種族は違えど、結果的に一時の間ココアを託した相手。
その責任感からか。エリには力を貸すことも厭わない考えがあったのだろう……がしかし。
――さりとて、蛙と少女の話が、幾分噛み合っていないことに変わりはなかった。
エリに、何かを蛙に頼ろうなどという気持ちはこれっぽっちもない。
エリが望むもの。
すなわち、確認しておきたかったものは、ただただ”蛙の性別”だけであった。
「つまり……。男なボルボルさんで間違いないってことですね……どう頑張っても、ボルボルさんが女の子さんでしたって可能性はないってことですよね……はうう」
エリにとって、非常に重要かつ取り返しのつかないその答え……。
絶望するようにして深く息が吐かれた。
「いかにも。拙者、漢として間違った生き様はしていないつもりでござるな」
「もしかしたら、とか思ったけど、やっぱりですよね。そうですよね。……話し方とか声とか男の人っぽかったもん」
バっと両手で顔を覆う少女。
その乙女心が、ひたすらに恥ずかしさで染まってゆく。
それから、日々の入浴場面が次々と脳裏をよぎる。
ココアと一緒のお風呂。
そこには、常に蛙がいた。
今まではそれでも良かった。
けれども、”人の言葉を喋る蛙(男性)”となれば、それはもう蛙であって蛙ではない。
――乙女にたるもの、異性の前では秘めなければならないものがある。
たとえば、成長中の体つきは見られてはいけないし、成長が芳しくない胸の話など言語道断である。
まごうことなき赤裸々となる場所、お風呂。
ココア相手にあれこれと同性同士ならではの会話がダダ漏れした場所、お風呂。
乙女の楽園だったはずのその場所に、まさか異性が紛れていようとはっ。
「わ、忘れてください。すべてを忘れてください!」
エリは覆っていた手をどけると、真っ赤な顔で言う。
「ソレガシに何かを忘れろと……。ゲコ、何をでござるか?」
「ななな、何をって!? 言えるわけないじゃないですかああっ」
大声がぱんだ亭に響く。
それから、蛙を不思議がらせたままに仕事に戻ることとなったエリ。
――しかしながら、動揺は収まらなかったようで。
今宵のぱんだ亭は、皿が多く割れた日となった。
※
「ほにゃ~。この辺で竜魔なんて、珍しいにゃーねー」
草原地帯に少女が一人。
見上げる上空を鮮黄色のドラゴンが翼を広げて飛んでいた。
「でもにゃあ、この前の”岩の雲”と比べたら、珍しいとは言えにゃいかも」
空へとつぶやいてしまえば、少女は獣の耳が生える頭にキャスケットを乗せた。
頭の獣耳のように、片親に魔の者を持つ少女には、”獣魔”の特徴がある。
それでもあとは、キュロットのお尻から出す尻尾がある以外、これといって人との違いはない。
顔も体つきも少女のそれ。
強いて言うなら、いかにも活発そうな雰囲気の少女に見える。
王暦では、19回目の誕生日を迎えた年齢。
ただし、魔族の地脈の周期による年数では、王暦の約七年が魔族の一周期に相当するので、片手で数えられるものとなるだろうか。
――そんな少女が、どうやら休憩を終えるらしい。
「そこそこぐーたらなニャーの本心は、お昼寝気分にゃんだけれども……時間は買るものとちゃいますにゃー精神だにゃ」
肩から下がる革のカバンの中身を、にゃ、にゃ、と漁る。
ショルダーバッグから取り出したるは、月ごとの予定を書いておいたメモ帳。
ペロリとなめた指がページをめくる。
先月のクジラ月から、今月のカメ月へ。
開いたそこに、少女の視線が注がれた。
「次は……にゃー、アレクの旦那のトコ、回ることになっているにゃーねー」
メモ帳がパタンと景気よく閉じる。
それから少女は、停めていた乗り物に颯爽とまたがった。
――移動手段は、”三輪型魔導式機械車”
車輪を回すことで走る機械車は、特殊金属で加工した車体を前方の車輪が2つと後方の1つで支える。
その見た目の大きさ、それと走る速さは馬と同じくらいだと言えるが、魔術回路を組み込むので燃料の魔晶石さえあれば、いつまでも走り続けられる点は違う。
そんな優れた一品物であり、大陸中を一緒に駆け回る相棒の名は――『キャットバイク』。
――お互い調子は上々のようだ。
ゴーグルを装着すれば、少女は声を上げる。
「商売繁盛でっ、れっつ・にゃー!」
次の行き先は、ここから西方。
唸るキャットバイクとともに、商人ゼヴォニカヴォゼナ・ニャーニャーは走りゆくのであった。




