115 エンドゲーム ③
巻き起こる風圧。
娘と背後の男の髪が、ぶわりと疾風に煽られる。
人質ごと貫かれていた――。
追えなかった頭上の軌跡が、それを物語る。
そうして、フランベンは肝を冷やす。
通り過ぎた衝撃に、遅れてひやりとした。
「ふん。人差し指がないおかげで、狙いが狂ってしまったではないか……」
アレクが、言い訳がましい物言いであった。
真っ直ぐに飛んでいった刀剣は、的を射れていない。
エリやフランベンをかすめるでもなく、大きくハズれてしまう。
「……クヒヒ、クヒヒヒッ、クヒャヒャヒャ」
自身の投擲技とあまりに違う凄まじさに、一瞬驚いたのは事実。
しかし結局は、武器を失うだけの粗末な結果でしかなかった。
そう思うからこそ、フランベンは笑いが込み上げ、堪え切れず吹き出した。
「滑稽いい。これぞ、誠に滑稽いいヒイイッッ」
「ふんっ」
鼻持ちならないとばかりに、アレクは鼻息も荒くした。
裏を返せば、ほかに言えることを思いつけないくらいに、図星だったのだろう。
そんななか、はう~とエリが胸をなでおろす。
気の抜け具合から、どれだけ体をこわばらせていたのか分かる。
一方で、今も気持ちを緩めないサクラが……一番離れていたにもかかわらず、一足早く気づくだろうか。
――ピキピキ……。
異音がする。
――ピキピキピキピキ。
硬いものに亀裂が入る音。
しかしながらそうと理解できるには、今はまだ兆しの段階でしかない。
それでも、さすがに”何かの異変”と各々が認識したようだ。
つかの間、時間を止めるような静けさが訪れる――。
広場の誰もが、固唾をのんで聞き耳を立てたからだ。
――バキバキバキバキ。
異音が一段と大きく、そして、目に見えて分かるものとして鳴る。
この頃になると、音の発生源も特定できた。
時計塔からであった――。
「ねえ、ねえ。なーんか、ヤバそうな感じなんですけれど~」
とっくに避難するサクラが呼びかける。
時計塔上部からは、パラパラ降り注ぐ破片。
内部では、概ね破壊音と思しき異音が次々と連鎖してゆく。
おそらく時計塔ノッポさんの顔――、時計盤に突き刺さる刀剣がすべての引き金だろう。
そこから伝わる衝撃は、支柱を砕き、あらゆる箇所を刺激した。
時計塔は今まさに、
――崩壊間際といった模様であった。
そのような危機にもっとも近い、ローブの男が背後を振り返る。
「まさか、まさかああっ。このままではあああっ」
フランベンは叫ぶ。
そして、『なんだと!?』と一番驚いて見せたアレクの顔。
それらを、けたたましさはあっさりと飲み込んだ。
ガラガラドシャン――など、これまでとは比較にならない騒がしさ。
――辺り一面に土煙を巻き上げながら、時計塔が崩れ落ちる。
そうした光景で、広場は覆われた。
完全に倒壊した時計塔、ノッポさん。
一目瞭然――と、確認できるほどの落ち着きは戻っていただろうか。
「だあはははっ。計算通りであった」
少しだけこんもりとした瓦礫の山のうえで、アレクが勝ち誇る。
「いーやいやや、絶対に違うでしょ……」
サクラが疑いの眼差しを向ける。
その最中、ローブの男、そして、給仕の娘が、アレクの手によって瓦礫から引きずり出されていた。
瓦礫のうえで横たわる、静かな者達。
「二人とも気を失っているだけで、命に別状はないみたいかな~とウチ判断。メイドちゃんのほうは後ろに人壁があったのもあって、ほぼ無傷な感じだね」
寄り添い、あれこれ触るサクラ。
巫女診察だと、尊師フランベンは骨折などの負傷を負うも、致命傷にはなっていないようだ。
給仕のエリに至っては、フランベンがクッション代わりになったようで、降りかかってくる破片やその衝撃をまともに受けずに済んだようだ。
気絶は圧迫によるものだろうか。
――だとしても、体が押し潰れるような埋まり方からは逃れていた。
間一髪には違いないが、崩壊時の時計塔との距離が明暗を分けたのだろう。
あと少し近い位置であったならば、時計塔の倒壊にまともに巻き込まれてしまい、重い瓦礫の下敷きとなってその生涯を終えていたかもしれない。
「そうか。言われてみれば、コイツには、まだ息がありそうだな」
アレクが周りをキョロキョロ。
探し物は見つからないままに、”コイツ”ことフランベンの胸ぐらをつかんで引き起こした。
「キミくん、キミくん。いかにも殴りかかろうな構えで、その尊師くんに何をやるつもりだい?」
「コイツを斬り殺すための武器が見つからなかったのでな。とりあえず、殴り殺すことにしたのだ」
「ああ、なーるへそ~て、おいおいっ」
サクラの手の甲が、アレクの腕の部分をパシパシ。
「導師コイツくんは、殺さない感じでよろ~、とお願いしてたウチなんですけど~」
「なぜ俺が、お前の頼み事なんぞを聞かねばならんっ。そもそも、誰だお前は? さっきから当たり前のように俺の近くにいるようだが、ウサピー並にうっとしいヤツくらいにしか、俺はお前を知らんぞ」
「やっぱり、そういうことか~。指輪がなくなったから記憶が戻ることまでは予想できてたけど、元に戻っちゃうと、その間までの記憶がなくなっちゃう感じですか~」
腑に落ちた様子のサクラ。
名を隠したい身の上としては、そちらのほうが都合も良いと考える。
「でーはでわわ。こういうのはどうかしらん」
『さ~てさてて、ウチが取り出したるは~』と囃し立て、つまむモノを相手に見せる。
ひょいな、とかざすその手には、”人差し指”があった。
サクラのものとは長さも太さも違う、アレクの切り落とす指。
「それはもしや、俺の人差し指ではないかっ」
アレクが思い出したようにして、自分の右手を見る。
やっぱり違いないと確認するだろうか。
「そうそう、なんだか性格がガラリ~だとしても、キミくんの指なのだよ。そして、このハタチ以上、ミソジ未満の謎のお姉さんがだね、その右手にこの指をくっつけて、元に戻してあげちゃうよ~」
「なに!? それはホントかっ。いいや、今さら、ウソでは済まさんぞっ」
「その代わり~、そこのコイツくんは、ウチが引き受けるっていうのでどうだい?」
にしし、とサクラが笑う。
相手の反応からすると、返事を待つまでもなかったのだろう。
「じゃあ、そういうことで」
サクラが交渉成立を決める。
そして、心の中では――、
――『”指輪”が手に入ったお礼ということで』
と、貸し借りの精算を告げるのであった。




