110 アレックス ③
ギラリと光る短剣。
触れる箇所から冷たさも伝わる。
しかしながら、見知らぬローブの男の刃より、よく見知る戦士の刃のほうがよっぽど危機感を覚える。
そんなエリを省みる――――。
少しだけ遡る今夜のことだ。
ぱんだ亭は、いつもよりずいぶんと早くに店を閉めた。
理由は語るまでもなく、異常をきたしたらしい厄介者の話に、店主が不穏な空気を感じたゆえ。
従業員のエリは、てきぱきと後片付け。
裏にある馬小屋のハナコとハナゾーの世話も終わらせた。
そうして店主ヨーコに、夜の街へ出かけることを一言伝える。
その身を案じてのことだろう。
ヨーコからは『よしなさね』と良い返事をもらえなかった。
それでも、『この近くだけなので』とエリは断り、アレクを探すことにした。
静かな夜。
ふらりとした足取りは、人気がない広場へと向いていた。
誰も映さない瞳で、やんわりと月をながめながら。
小さな口をほけ~と開けながら。
「でも、どうしよう。アレクを見つけたところで……」
エリは自問自答するかのごとくボソリ。
――思い描くそこでは、アレクが白目でよだれを垂らし徘徊していた。
常連客の話にあった、”おかしくなったアレク”をどこか心配してしまう。
その落ち着かない気持ちから、こうして夜の街をてくてく探し歩くわけだが。
「私がお薬を用意できるわけないし……」
病といえば、薬。
薬といえば、医者。
――だとしても。
率直に、エリには医者を呼ぶ費用や雑貨屋で回復アイテムなどを買うお金がない。
給金を手にしてから間もないものの、アレクからの取り立てがなかったのを良いことに、ココアへの支払いを優先した。
クリスタで立て替えてもらっていた10万ルネである。
――なので。
たとえば、病に倒れ伏している場面に出くわしたとしても、『大丈夫?』と声をかけるくらいしかやれることがない。
なにぶん、すっからかんなエリのお財布事情であった……。
「たぶん、”この役立たずめがっ”――とかなんとか言われて、デコぴんされるんだろうなあ、私…………はうっ!?」
突如として、エリの目が見開く。
その原因は、失念していたアレクの性質に思い至ったからだ。
「違うっ。違うよ、そうじゃないよっ。アレクのことだから、まずは私の顔をみるなり――”おいコラ、俺のルネはどうしたっ”て、催促してくるはずだよ。……うう、だよね、きっと、そうだよね……どうしよう」
ため息が漏れる。
――ざわつく気持ちを払拭したい。
多少の好奇心も否めないが、概ね心配からのそれは、アレクを一目確認することで解消される気がした。
そうした欲求から、エリは夜の街中を探し回るのであったが……自ら進んで催促されにゆく行動に気づき、心の葛藤が生じる。
「困ったよお……」
悩めど悩めど、相手が納得してくれそうな解決策は浮かばない。
それどころか、沈むようなことばかり考えてしまう。
下手をすれば、”ならば、報奨金でも稼いでこいっ”と怒鳴られ、モンスター退治をやらされるハメになるかも――などと、エリはうつむく顔を曇らせた。
――そんな頃合いであったろうか。
いつの間にか、時計塔を背景に歩いていたところで、どんっ。
エリは走る人影とぶつかった。
そして、あれよあれよという間に……。
給仕の娘は、人質となっていた――――のである。




