105 名を隠す巫女、サクラ・ライブラ ③
「クヒヒ……我々の前に現れたのが、あの邪悪なる勇者に与する巫女なのですよ……」
「悪党な尊師くん。それはアーサーくんだけ邪悪ってことだよね? 一応、巫女な者なので、一緒にされちゃうと聞き捨てならないわけだ、これが。せめて小悪魔な~、程度にしといてくれるかい」
「では、このフランベンの喜びを理解できない愚者とでも呼んで差し上げましょう。そして、その愚かさを説いても差し上げましょう」
「はいはい、お好きにどーぞ、見た目と一緒で、お腹も黒そうな尊師くん」
「”サクラ・ライブラ”――。この名を耳にした時から、私は絶望などではなく、幸福を感じていたのです」
尊師フランベンの言動に、サクラが理解を示すことはない。
だが、サクラではたどり着けなかったその思考においては、紛れもない心情。
盟主メアリーに仇なす存在。許させざる者達。
その一味の女が現れ立ちはだかる。
熱狂的な信奉者である尊師フランベンにとって、これほど喜ばしい状況はない。
――なぜなら。
「”指輪の使命”を託されたばかりか、尊き盟主の憂いたる邪魔者を、このフランベンが直接排除できるううう、機会が訪れたのですっ。ああっ、まさしく僥倖っ。私の純真な信心があってこそおおおの果報っ」
フランベンは、身をよじり打ち震える。
「やーれやれれ。ウチの隣の剣士くんがちょっと引き気味になるくらい、盛り上がっているところ悪いんですがー」
ぐぐ、とよーいどんの体勢。
「【神気】の有効時間とかもありますんでー、現実見えてない悪徒はちゃっちゃと片づけちゃおう! と思っているサクラちゃんであった――まる」
ダシュッ――と、サクラが駆ける。
――想定される迎撃は投げナイフ。
しかし、いかに正確なそれだろうと、獣の動体視力と動きをもってすれば、避けるのはもちろん払い落とすのも可能。
だからこそ最短距離を選び、サクラは真っ直ぐに突っ込む。
――もともと大した距離を置かない対話相手なのだ。
瞬時に、その間は詰まる。
そして。
「サクラさんっ」
鋭い声は、アレックスであった。
「思ってたより、速く動けるデッカイくんなんだね――」
フランベンに殴りかかろうとするサクラ。
その真横には、サクラの倍はある大きな図体。
その真上には、サクラの握る拳とは比較にならない大きさの拳。
――ゴガッッッ!!
岩でも叩きつけたかのような一撃であった。
頭上からの攻撃を交わしたサクラには、打ち砕かれた石畳の破片が降り注ぐ。
「うぺぺぺ」
はねた泥に顔をしかめながらも、その動きが止まることはない。
地を蹴るステップは三回。
たったそれだけで、自身を襲ったローブの影――サクラが言うところの”デッカイくん”の後ろへと回り込んだ。
――がおーっ。
サクラは目の前の背中めがけ、ゲシッッッと飛び蹴り。
吹っ飛ばす……つもりだったろうそれであるが。
「ありゃま」
当然のように、耐えしのがれてしまう。
そして、攻撃が通じなかった背中からは、しゅるんと何やら伸びてくる。
丈も長いローブの裾をめくり、サクラの蹴り上げる足に巻きつく。
「し、しっぽ!? うおわあああ」
ぶおん、とサクラの身体が引っ張り上げられる。
相手の反撃。
鱗のある尻尾からそのまま振り下ろされ、
――勢いよく地面へ叩きつけられた。
「くはっ」
放り投げられたサクラは硬い地面を破壊し――バウンド。
そこへ、すかさず第二波。
『日暮れグマ』が繰り出すような、強烈な打撃に見舞われる。
「――っ」
意識を手放すことはなかった、がしかし。
サクラは面白いように吹き飛ばされた。
放物線を描くでもなく、地面と水平に吹き飛ぶ。
――後方の壁。時計塔めがけて。
「サクラさんっ」
アレックスが素早い反応をみせていた。
サクラを受け止めたのだ。
ただし、飛びついて肩を抱く不安定なキャッチでは、サクラが帯びる推進力に負けてしまう。
引きずられるようにして、アレックスもまた削ぎ落とせなかった勢いに飲まれる。
そうした刹那。
――ガガガ。
石畳を突き刺す刀剣が、勢いを殺す。
サクラを抱くアレックスが踏みとどまる。
後ろには時計塔も近い。
「危うく壁にドーンと激突、略して壁ドンからウチを助けてくれたんだね」
「間に合って良かったです」
「あんがとさん。なので、キミくんの手がウチのお胸を、くにゅっとわしづかみにしているのは大目にみとくから」
「す、すみません、故意では――」
アレックスの手が、慌ててどけられる。
にしし、とからかうサクラは微笑んだ。
それから、起こす身体のダメージを確かめるように、伸びを一つ。
「ちょいと焦るような攻撃力だったけど、まだまだやれるよ~」
心配されることを嫌ったのだろう。
サクラはその平気な様子をアレックスに見せる……のだが。
肝心の相手の顔がこちらを向いていない。
――訝しみ、そして、一層用心深くなる眼差し。
アレックスの見つめる先には、黒きローブを脱ぎ捨てた人ならざる者がたたずむ。
「貴方が無事なようで何よりです。ただ……アレは一体なんなのでしょう……か」
「あのデッカイくんは……たぶん、”キメラ”だろうね」
『キメラ』――。
生物同士を掛け合わせ、新たに創造された合成生物。
その存在は大昔から確認されていたが、一般には知れ渡っていない。
教会が禁じた学問であるため、キメラはタブー視されているからだ。
そのキメラと目される大きな異形の人影に、尊師フランベンが寄り添う。
「クヒヒ……さすがだ。さすがは、28番目の傑作『出裸九主』よっ」
サクラからの襲撃を防ぎ、造作もなく撃退した。
自身が生み出したキメラの実力と功績に、フランベンは満足するのだろう。
静かな狂喜のなかには、恍惚とした表情が垣間見えた。
「――ザザザンス」
感情があるのかも疑わしいが、キメラは創造主に反応するようだ……。
頭部にあたる部分に顔はなく、イボイボの塊がある。
顔らしい顔は人間のものが見て取れるが、アゴ先が上、額が下と逆さま。
そして、その位置は胸元……に埋まるようにして。
腕は4本。
豪腕と呼ぶに相応しい太さ。
脚部も巨躯を支えるに相応しいそれであった。
人間の肌を思わせる部分は少なく、ほとんどが毛や鱗に覆われている。
さらには尻尾を持つ。
人影と称するには惑う、まさしく異形の姿である。




