プロローグ
「それを……返せ!!」
腹の底で何かがマグマのようにグツグツと煮え滾り、その熱い何かは声となって吐き出された。
怒りと憎悪に満ちた、ドス黒くて禍々しい声だ。
「あらあらあら~? まだ立てるの僕ちゃん。その赤いのはペンキじゃないのよね?」
怒りの矛先に立つ人影は女のようだ。
銀色の長髪に深紅の瞳。ド派手なドレスは貴族を思わせる。
そんな女は俺を小馬鹿にするように嘲ると、手に持つ"玉"を俺に見せつけた。
"取れるものなら取ってみなさい"。
女の表情から察するに大方そんな所だろう。
俺はそんな挑発に引っ掛かったのか、また腹の底で黒い感情が沸き上がるのを感じた。
「ぐ……ごほっ!」
しかし、そんな思いとは裏腹に立つ事もままならない。いくら足に命令した所で、筋肉は虚しく痙攣を起こすだけだった。
咳こめば鉄の味が口いっぱいに広がり、唇を閉ざす間も無くそれは口外へと溢れる。
煉瓦が敷かれた地面に当たり、バシャリと音を立てた。
許容範囲を大きく越えた吐血。致命的なのは一目瞭然だった。
よくよく自らの体を確認してみると、あちこちに深い銃創があるのが分かる。その殆どが深く、恐らくは貫通もしているだろう。
どの傷からもドクドクと血が流れ、いつの間にやら俺の身体を中心とした血溜まりが出来ている事に気付く。
不思議なもので、その傷を見た瞬間から痛みも走り出す。
久しく味わっていない、まともに声も出せない程の激痛だ。
無駄だと分かりつつも傷を塞ぐように掌で押さえる。
「く……あぁっ……!」
自分でも分かる程に顔が苦痛で歪む。
身体のあちこちを焼かれているように熱く、痛い。
しかし、そんな痛みの最中でも俺の視線は一点だけを捉えていた。
女が持つ"虹色の玉"。
どうにかそれを取り戻せないものか。
俺の頭の中はそれしか無い。
「あぁ……。いいわいいわ、その表情、素敵ね~。 そんなに"記憶"、返して欲しいの~?」
そんな俺を見下しながら女は言った。
心無しか頬を赤く染め、恍惚とした表情を浮かべている。
……記憶……?
そうだ。
俺は記憶を取り戻さねばならない。
俺は女の言葉を肯定するかのように手を伸ばした。傷口を押さえていた赤黒い手が、震えながらもゆっくりと女に向かっていく。
しかし、数メートルはある女との距離を埋められる筈は無い。そんな俺を滑稽に思ったのか、女の口から笑い声が漏れた。
「ふふっ……あらあら」
ーードプッ。
栓の役割をしていた掌が離れた事によって、塞がれていた傷から血が音を立てて溢れる。身体中の血液が全て出ていくような、そんな不気味な感覚に陥った。
すぐに伸ばした手も感覚を失い、ドチャッと血溜まりに落ちる。もう指一本すら動かせる気がしない。
助からないのは明白。
だが、どうしてもこのまま死ぬわけにはいかなかった。
「……か……え……せ……」
もうまともに喋ることも出来ない。
体内から込み上げて来る熱いものを抑え付け、言葉にならない声を絞り出すのが精一杯だ。
視界も歪む。しっかりと目を開けている筈なのに、霞がかったかのように景色が薄れていく。
「あぁ……あなた素敵よ……。このまま死んで、焼かれて……骨になって……土に還ってしまうのは惜しいわ~」
薄れ行く俺の視界の向こうで、女が言葉を吐く。
そして徐々に近付いて来るのが分かった。
「可愛い顔……素敵な表情……、情熱的な声……。もう少しだけ、見ていたい」
……?
やめろ、気持ち悪い。
俺の頬に冷やりとした手が当てがわれ、女の声が目と鼻の先から聴こえてくる。
そんな近距離からの囁きでも何を言っているかを聞き取る事ができない。ただ、女が言葉を紡ぐ度に何故か身体中の痛みが引いていくような気がした。
同時に、不思議と心地好い感覚に包まれる。
あんなに憎んでいたのが嘘のように、感情が消えていくのを感じる。氷が水になり、そして蒸発していくかのように。
「あなたの名前は、そうね~。 ……"フラン"、フランが良いかな~」
……フラン……?
何を言っているんだ?
俺の名前は……。
俺の……名前は……?
「じゃあフランちゃん。今はゆっくりお休みなさいな。……そして、起きたら踊ってみせてね」
そんな女の声を最後に、俺の意識はプツリと消えた。