表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/77

魔法使い2

 声を上げて飛び起きると、閉められたカーテンからほのかな陽光が差し込んでいる。

 窓の外から鳥の声が窓から聞こえてきた。のどかな朝だ。


 ぜえはあと荒い呼吸を繰り返してから、ほーっと大きく息を吐き出し、額に浮かんだ汗を脱ぐう。


 怖い夢を見た――はずだが、夢の中身についてはあまり覚えていなかった。


 早く着替えて支度をすまさないと。イングリッドや叔母の慣らす呼び鈴ベルが鳴る前に。

 掛け布団をどかそうとしたところで、はたと止まる。


 変だ。ここはどこだろう? 


 屋根裏のはずなのに、明りがある。

 それに知っているのよりも広い。


 ……広いはずなのに、統一感のないごちゃごちゃしたものがあっちこっちにとっ散らかっていて非常に散漫な印象を与えた。

 やや潔癖症の傾向のある叔母が見たら、激怒を超えて卒倒しそうな見事な散らばり方だ。


 見下ろしてさらに仰天した。

 サイズの合っていない、だぼだぼな――たぶん男物のガウンを着ている。

 何回も袖をめくらないと手が出せないのだ。


 しかもベッドの寝心地がやたらよかった。

 どこまでも沈み込んでいくぐらい柔らかいし、何度か寝返りを打っても大丈夫なぐらい大きい。

 試しに好奇心で叩いてみると、ぽふんぽふんと音を立てて反発しない。



 ベッドサイドの机の上に見覚えのあるマグカップが置いてあるのをみて、フローラはちょっとした混乱から我に返った。


(そうだ……わたし。逃げてきて、森で、確かあの人に、助けてもらって……)


 昨日は人の方にばかり注目していたため、あまり部屋の内装などに意識が行っていなかったのだろう。



 そのとき、物音がして、びくっとする。

 音のした方に目を向けると、梯子から見覚えのある男が上ってきて……いや、来ない。

 手がにゅっと出てきたかと思うと、黒板が見える。


『目が覚めたか?』

「わ、わたし……寝坊でしょうか? すみません……」


 寝坊だろうか、と慌てて起き出そうとすると、ぴくりと彼の手が動き、黒板に文字が浮かぶ。


『なぜ謝る?』

「えっ? ご、ごめんなさい」

『だから、なぜそうなる』

「あ、あの……すみません」

『くどい。あなたは私に償わなければならないことを何かしたのか?』


 ぽかんとしてから、声を上げずに口を開き、手を当てた。


 フローラはようやく自分の何が相手の機嫌を損ねているのか思い至る。

 どうやら咄嗟に出した彼女の謝罪の言葉を鬱陶しく感じていたらしいのだ。


 謝ろうとして、でもこれが嫌なのだろうか、謝ったらたぶんさらに嫌がらせてしまうし、とおろおろしていると、また新たな文が浮かぶ。


『起きたなら、下に降りてくるといい。トイレと水道、あと入りたければ風呂もある。食べるものもな』


 それが終わると、用事は済んだとばかりに黒板は引っ込み、彼も下に降りてしまっていったようだった。


 フローラは迷ってから、静かにベッドを抜け出して、ひたひたと木の床の上を歩く。


 よく見てみると、物の散らかった寝室(推定)にも散らかり方に規則性があり、つまりベッドと一階に降りるらしい梯子をつなぐまでの床だけは綺麗に空いていた。

 普段から通り道にされているということなのかもしれない。


 余計な物に触らないように注意して歩き、一階に降りる。



 上の階よりはマシだが、下の階も下の階でなかなかとっ散らかっていた。

 まず、視界の範囲に倒れっぱなしになっている家具(?)があるというだけでも衝撃だ。


 フローラがびっくりして目を見張っていると、たぶんリビング――じゃなくてダイニングだろうか? 机と椅子の置いてある場所のあたりを、癖毛の男がうろうろしている。



 ……フローラは思わず男の頭をじっと見てしまった。

 昨日と髪型、というか跳ね癖が違う。

 なんかこう、より前衛的だ。

 それなのにやっぱり、狙ってセッティングしたのか、ただの寝癖の怠慢なのかわからない。


 ちなみにこれもまた、叔母や叔父にはあり得ない。

 というかディーヘンの国民は基本的にきっちり真面目な人が多くて、身だしなみもそれに準じたものが基本だった。


 イングリッドなぞはフワフワ上手に髪を浮かせていたこともあったが、叔父叔母は基本的に油をつけてきっちり毎日髪型をセッティングし、一本の乱れも許さなかった。

 叔父なんか、セットする髪型が乱れてきたら潔く全部剃って鬘にしたほどである。


 フローラにはそこまでのセッティングは求めなかったが、やっぱりどこかぴょんと跳ねていたりするとみっともないと言われたので、髪を長くして結わえてしまうのが一番手っ取り早かった。

 それでも時折変な風になってしまう長い前髪には、苦労させられたものだが……。



 あれっておしゃれなのかしら、それとも気がついていないだけなのかしら、もしくは元から気にしない方なのかしら。

 地味な文化の相違に衝撃を受けていると、彼がこちらを向く。



 ……なぜだろう。すさまじくドキッとした。

 こう、昨晩の安心させるような落ち着いた雰囲気とはまた打って変わり、けだるげで何かよくわからないオーラを存分に振りまいている。


 ひっ、と思わず息を呑んだのは、深緑色の眼光が思いの外鋭かったからだ。

 すべてを見透かすかのようなまなざしに、ピンと姿勢を伸ばし、裏返りそうになる声を上げる。


「お、おはようございますっ、すみませんっ!」


 しまったと思ったのは言い切った後だ。

 今度こそ、ハアアアアアと、露骨に大きな息を吐かれる。


 がしがし頭を掻く動きにもびくびくして、怒鳴られる、と身をすくませたフローラだが、いつまで経っても怒声は飛んでこない。


 ちょんちょん、と肩の辺りをつつかれる感触に、思わずぎゅっと閉じていた目を開け、おそるおそるうかがう。


『目を閉じられてしまうと、ちょっと困る。君の言葉は私に聞こえるが、私は喋れない。私の言葉を聞いてもらうには、君に見てもらうしかないんだ』


 黒板に浮かんだ文字を見て、申し訳なさが募る。

 けれどフローラの咄嗟の言葉を察したのだろう、彼が次の文を浮かべる方が早い。


『謝罪は本当に償いたいときにだけするもの――法廷で自分が有罪になる自覚があるときにだけ、きちんとするものだ。あなたが本当に、私を困らせたとか、私に申し訳ないとか思っているのだとしても、いくらなんでも安売りしすぎだ。詫びは挨拶ではない。詫びたくないときに詫びなくてもいい』


 大声を出されると、それだけで萎縮してしまう。

 けれど文字で書かれているからだろうか、言葉は冷静に受け止められた。


 フローラは口を開き、止まり、迷う。

 男はじっと彼女を待った。


 ――この人も、もしかしたら内心、フローラをとても疎ましく思っているのだとしても。

 ――現に、こうして苦言を呈されたわけだけど。

 ――少なくとも、頭ごなしに怒鳴りつけてくるようなことは、しない。

 ――待って、話を聞こうとしてくれている。


 舌を凍らせていたこわばりがほどけ、自然とあふれ出した言葉はいつもと違うものだった。


「ありがとう、ございます」


 すると男の眉間に酔っていた皺もなくなる。


『うん。その方が、ずっといい』


 言ってもらえてフローラがほっとしたのと同時に、彼の気配が和らいだ。

 だだ漏れていた黒っぽいオーラが引っ込んで、ふわあああ、とあくびを一つ。


 それからちょっとぼんやりした顔をしてから、なぜかフローラの顔を凝視する。

 変だったろうか、と自分を見てから、ああ、そういえば前髪が――とフローラはしょんぼりしかける。


 すると、男がなぜか片手で顔を覆った。ぱしん、と小気味いい音が鳴る。

 手がとても大きいのだろう、片手でも顔のほとんどは隠れてしまう。


 威圧感は消えたものの、なぜか悲壮感っぽいものがかわりに漂い出した気がする。

 今度は一体何が、と若干目をぐるぐるさせているフローラの前で、かなり長い間があってから、黒板に文字が浮かぶ。


『…………おはよう』

「え? あっ、はい! おはようございます!」


 あれ、さっきも挨拶したはずなのに、とちょっと疑問に思う彼女に向かい、男は顔から手を外してばっと黒板をつきだした。


『今、私は何かしたか?』

「な、何か……ですか?」

『余計な事言ったとか……最悪その、どこかに触ったとか』

「え、ええ……?」


 一体何を言い出すのだろうと困惑するフローラにむかって、黒板にさらさらと説明らしい言葉が並び出す。


『その、非常に卑怯なことを言い出すのだが……さっきまで何をしたのか、ちゃんと覚えていないんだ。まったく意識がないというわけではないが、ぼーっとしていたというか、その……寝起きの私は、もうひとりの私のようなもので、いや、あの、断じてこう、変な意味ではないんだが』


 溜めてから、結びの文が浮かぶ。


『すまない。本当にすまない。すごく、朝に弱いんだ。寝ぼけていた』


 フローラの方も、たっぷり間を開けてから、思わず間の抜けた声が口からもれていく。


「あ……ああ……」


 納得はした。

 しかし、さっきまで大人の色気(?)をふりまきながらフローラに謝るとは何かについて語った男が、心底やらかした、という感じにしょんぼりして伝えてくるのだ。

 あと、何かに負けたようなというか、悔しそうな顔をしている。


 意気消沈、という体の彼に、彼女は小さく、ぽつりと声をかける。


「あの……大丈夫です、気にしていません。それに……とても、よくしていただきました」

『とてもよく?』


 ぴくっ、と男が動いた。


 怪訝そうな文字に、一体今何に動揺したんだろうとおかしく思っていたフローラだったが、首をかしげた瞬間、悲劇は起こる。


 ぐぎゅるるるるるるる、となかなかに威勢のいい音が鳴った。

 ちょうど二人とも黙っていたタイミングで、静かな朝だったせいだろうか。

 それはもう、どう頑張ってもごまかしようがないほどリビング(仮)に盛大に響き渡る。



 その後、沈黙が落ちた。

 男の目が、フローラの腹部の辺りに漠然と向けられ、それから彼女の顔を見つめる。


 顔から火が出るとはこのことだ、フローラは湯気の出そうな勢いで真っ赤になりながら、震える。


『……まあ、色々話す事もあるかもしれないが。まずは朝飯だな。腹が減ってはなんとやらと言うし』


 卑屈になりすぎだろうか。

 なんかこう、文字まで同情的というか、何か察した感じの筆跡になっている気がする。


「すっ、すみません、本当に、ごめんなさい……!」


 絶叫するようにフローラは言ったが、今度は男もたしなめてくることはなかった。

 ふっと口元をゆるめ、穏やかな表情を作り、視線を上げたところでなぜかまた一転してこわばる。


 すっかり縮こまっていたフローラも、腹の虫の音でやわらいだはずの彼の態度が急に硬くなったのを不思議に思い、視線を追って顔を横に向ける。



 すぐ、わかった。



 たぶん食卓になるであろう場所は、二階のデジャブを引き起こさせる様相を呈している。

 テーブルの上だけでなく椅子にまで、ごちゃごちゃと何か得体の知れない物品で覆われており――つまりは今すぐここで何か食べようと言いにくいほど、見事に封鎖されていたのだった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ