こわいこと
誰かが笑っているのが聞こえる。
自分もその楽しい輪の中に入っていた。
『おいで。いっしょに、おいで』
駆けていく。体がどんどん軽くなる。
スカートをひるがえし、手を引かれるまま光の中を進む。
まるで自分が風に浮かぶ羽になったような気分だった。
ふと高揚感に水を差され、高まっていた気持ちが一気にしぼむ。
幼子が急に立ち止まると、集まっていた皆が心配そうな、あるいは不満そうな声を上げた。
『どうして こないの? はやく!』
『でも……あのね、そっちには いっちゃだめって』
幼い少女の足を止めさせたのは、前々から言いつけられている言葉だ。
(あの子たちと仲良くするのはいいわ。遊ぶのも構わない。でもね――)
必ず、時間と場所だけは守ること。
日の出ている間、線の中。それが一人で遊んでいいところ。
他の人には見えていなくても、琥珀色の目の持ち主にはくっきりと、地面に引かれた淡い光を放つ白い線が映っていた。
素直な気性の彼女は、約束を違えることを渋る。
けれど困ったことに、遊び仲間たちはお構いなしのようだった。
行くか戻るか迷っている間にも、彼らは急かすように呼んでくる。
『かんけいないでしょう? きにしないで』
『おいでよ、なにも こわいものなんて ないよ』
『こちらには たのしいことばかり』
『いたいことも ない』
『くるしいことも ない』
気弱な子どもは優しかった。
優しさは優柔不断につながり、大勢に囲まれて強く誘われると、まるで自分一人がいけないような、断るのが申し訳ない気になってくる。
……困った。
でも、言いつけは守らないといけないから、どうやって彼らに納得してもらおう。
けれど引かないと決めたのは少女ばかりではなかった。
彼らの様子が、少しずつ変わっていく。
『――ネエ、オイデヨ』
『ラクエンニ ツレテイッテ アゲルヨ』
『モット タノシイ コトヲシヨウ?』
無邪気な声は幼い子どもを招く。
ばらばらだった声たちは、やがて次第に一つの旋律を奏で始め、心をくすぐる甘やかな合唱となる。
聞いているうちに不思議と、今まであったはずの罪悪感や未練のようなものが消えていき、純粋な欲求だけが残されていく。
好奇心がちょんと、幼く小さな背中を押した。
(ちょっとだけ、なら)
(……だって。ほんとうに あぶなかったら、すぐにかえれば いいのだわ)
(みんな あんなに やさしくて なかよしなのだもの。あぶなくないって いっているし)
(きっと、だいじょうぶ……)
手招かれるまま、足を踏み出す。
微笑む友達が手を取って、いつもより強くぐっと引いた。
その瞬間。
――フローラ、駄目よ! 戻って!
くらむ。歪む。視界の端で、笑顔が恐ろしい形相に変わる。
聞いたこともない悲鳴が耳の奥にとどろき、感じたこともない痛みで体が支配された。
……叫んだのは、だあれ?
泣き虫さんはだあれ?
だあれ? だあれ? 誰が喚ぶ?
お前の声なら、どこでも聞こう。
聞いてあげよう、唱えてごらん――。
ぐるぐる回る輪の中と外。
誰かが手を引いて、一緒に歩いている。
気がつくと、痛みはどこかに消えていた。
ちらりと見た隣で、頼もしい大きな黒い翼が、闇の中で羽ばたいているのが見えた。




