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花の大精霊編16 存在

 過去でも未来でもない場所。

 遠くにあって近くにある時間。


 曖昧な境界時空には、宝石より眩しく、星よりも柔らかい七つの光が集っていた。

 点滅する人ならざるものたちの輝きは口もないのに意思を伝え、耳もないのにそれを聞く。


「あり得てはならないことが起きた」

「何てことを……」

「前代未聞だ」


 ルビー。サファイア。ダイヤモンド。黒曜。トルマリン。アメジスト。

 ちかちかと瞬く光達は、やがて沈黙する一つに向かって矛先を集中させる。


「なぜ放っておいた、から


 異口同音に他の大精霊達から責める口調を向けられると、空の大精霊は――擬人的に表現するなら、肩をすくめてみせた。


「ぼくがどうにかできる問題じゃないよ。遅いか早いか、それだけの話さ」

「ふざけている場合か。勝手に顕現して二人も殺したんだぞ! 自制心のないそこらの名もない小精霊とは話が違う。大精霊が、だ!」

「手を出した相手も悪い。その辺りの適当な人間ではありません。どちらも力のある魔法使いでした。あのレベルの人材が産まれ、無事に芽吹いて育つにはまた百年――最低でも数十年は時間が必要でしょう」

「んー? たかが数十年なら別にいいんじゃない?」

「されど数十年、です。人は十年で世代が変わる生き物なのですよ? 大精霊の中でもぐーたらなあなたの感覚では一瞬ですが、定命の者共が儚い事までうっかりボケられては困ります」

「忙しないなあ、人間は」


 激高したのは炎、静かにその後を引き取ったのは水。

 その後のんびりした声を上げたのが土、たしなめるように横合いから口を出したのが風。


 けれど空の大精霊が動じた様子はない。


「事故だ。一応事故。わざとじゃない」

「今回は事故で済んだようだが――」


 新たに発言したのは光。続きを促すように空の大精霊が黙っていると、厳格な響きで結ぶ。


「本人も理解はしているはず。二度目はない。次は裁定が下る」


 ふっ、とエメラルドの光がゆらめいた。


「じゃあ皆やりたくない嫌われ役はいつも通りぼくがするよ、それでいいだろう? この場に本人を呼ばない理由もどうせそれだろうし、皆の総意とやらをぼくが伝えてくるよ」


 室内の照明を落として一気に暗くしたように、光景がブラックアウトする。


 次の瞬間、空の大精霊は少年の姿を取って人間達の住む世界に降り立っていた。


「で、君はまだ何か言うことがある?」


 彼は大きく伸びをして肩を回した後、振り返りもせず背後に現れた人物に呼びかける。

 扇情的な格好の美女は腕組みをして目を伏せた。


「いや、その。別にわらわは自分たちが直接行くのは角が立つからと、おぬしに小言を言ってけしかけようとは思っておらぬぞ」

「ふうん。じゃあ君が花の大精霊に話をしに行く?」


 沈黙が落ちる。どう返したものか迷った挙げ句黙り込んでいる様子の闇の大精霊に、空の大精霊は振り返って優しく無邪気な笑顔を向けた。


「意地悪言って悪かったよ。別にご機嫌なんか取ろうとしなくていい。さっきも言ったけどこういう係はぼくの仕事さ、昔からね。大体会話下手で根暗の君が行って何になるのさ、おどおど周辺を彷徨った後何も声をかけられずに半泣きで帰ってくる未来しか見えないね」

「やかましいわ! 闇属性の信者が少ないのはわらわが悪いわけじゃないもん!」


 地団駄を踏む美女を口元を緩めて見守っていた少年が、ふっと目を細める。


「ねえ。聞き流してくれる?」

「……何を」


 少しだけ雰囲気を変えた空の大精霊の様子に、闇の大精霊はやや警戒するように、あるいは不安そうに返す。少年の姿を偽装する人外は空を仰いで呟くように言葉を唇から漏らした。


「だから仲良くなんかなりたくなかったんだ」


 その余韻が溶けるのと同時。闇の大精霊が何か反応を返す前に、空の大精霊の姿は消えていた。




 雪が積もった翌日、からりと乾いた空の下で子ども達がはしゃいでいた。

 雪を固めて思い思いの像を作ったり、お互いに投げ合ったりして楽しんでいる。

 その様子を大きな家の屋根の上で膝を組んで眺める少女の横に、どこからともなく現れた少年が腰を下ろす。


 少女は一瞬びくりと身体を震わせたが、それ以上は何もしない。

 少年の方を振り返りもしないし、その場から逃げようともしない。

 そのどちらかをしようと思って迷った挙げ句とどまっているのかもしれないし、どちらもしたいができないと途方に暮れているのかもしれない。


 何にせよ、少年の方も少女の横に腰掛けはしたもののしばらくはそのままだった。

 二人は並んで子ども達を見つめ続けていた。以前より人一人分ほど距離を空けたまま。


 やがて子ども達が大人に呼ばれ、ばたばたと屋内に駆け込んでいく。

 それを合図にするかのように彼は口を開けた。


「精霊はむやみに人に手を出してはならない。覚えているね」


 少女は長いまつげを伏せる。もぞもぞと身体を動かすのは、自分でも悪いことをしたという気持ちがあるのだろう。その表情は、いかにも叱られている最中の子どもだった。


「放ってなんか、おけなかった」

「一度の偶然なら、あることかもしれない。でももう、同じ事をしてはいけないよ。君だけじゃない。大切な彼にだって、好意が過ぎればやがて負債が来る」

「……負債?」

「精霊が精霊でなくなる時が来るように。人もまた、その身に背負いすぎれば人ではいられなくなる。短くまとめると、死ぬってことだよ」

「そんなのいや」

「ならもう――」

「でも離れるのはもっといや!」


 冬の空気はよく澄んでいて通る。震えたのは物か、それとも魂か。少女の上げた悲鳴のような声に、少年は初めて彼女の方に顔を向ける。


「花の大精霊」

「今度何か起きたら……わたしを消すの? お兄様」


 彼女もまた、足跡と雪の像の群れの残された広場から少年の方に顔を向けていた。

 エメラルドと琥珀。二つの輝きが瞬きもせずきらきらと光っている。


「何をしてでも、たとえ自分の大切なものを失うとしても、どうしても助けて欲しい――誰かが本気でそう祈ったなら、その声は必ず空の大精霊に至る。ぼくは願いを叶える」

「――それが大精霊だから?」

「それが大精霊のなすべきことだから」


 囁くように言う。けれど不思議と重みがある。

 花の大精霊からはいつもの楽天的な雰囲気が消えていた。

 彼女は表情の読み取れない顔で兄と慕う大精霊の言葉の続きを待っているようだった。


「祈られていない願いは叶えてはいけない。たとえ心を読み取り、真実本心だとしても、祈りの手続きを踏んでいない相手に力を貸してはいけない。祈らない相手まで好意で救って、それで誰もが傷ついた。その世界を否定して新しい世界を見守るために生まれてきたのがぼくだ」

「なら、わたしは何のために生まれてきたの。精霊わたしたちって何のために存在する(いる)の? これが必要ない感情モノだと言うのなら、最初から与えなければよかったじゃない。もう人は精霊なしに魔法を使える。なら、わたしたちなんてそもそもこの世に必要ないじゃない。ねえ、別れることだけが正しいなら、なぜまだほんのわずかだけどわたしたちを感じる人が残っているの。それでどうしてわたしたちにはまだ、人を好きになる気持ちが残っているの」


 少年は言葉を発しなかった。

 少女はしばらく待っていたが、彼から人のいなくなった寂しい広場に目を戻し、苦笑する。


「それともそれも、わたしが自分で出さなければいけない答え?」


 彼は答えなかった。動こうともしなかった。やがて少女が立ち上がり、雪を払ってどこかに歩き出しても、止めようともせず。


「――消えてもいいわ。うそはつけないから」


 フラフラと、不安定に揺れながら立ち去る少女の赤い唇。瞳は琥珀色に、命の輝きに満ちていた。振り返ることはない。戻ってくることはない。雪の上に足跡が、確かに彼女が少年の隣にいた記憶の残滓が残っている。それもすぐに失せるだろう。


 ただ、ただ、少年は。

 硬く冷たいエメラルドの目で、変わりゆく世界を眺め続けていた。

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