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花の大精霊編15 禁忌

 空で星が落ちた。尾を引くような跡が少しの間残るが、それもまたなくなる。

 雪が音を吸い込んでいた。焦げ臭い不快な臭気が辺りに漂う。声もなく立ち尽くす魔法使い達の一人が、先ほどのすさまじい熱気がまだ残っているのか、冬だと言うのに額に浮かんだ汗の粒を拭う。


 ぶすぶすと煙を上げる黒い塊を見守っていた炎の魔法使いは、やりきれないと言いたげな表情のまま首を振った。


「……行くぞ。もう用はない」


 彼と彼が作り出した惨劇を交互に見守っていた周囲の魔法使い達は、責任者が踵を返して固い声を上げると続く。


「あの……」


 一番若い魔法使いが何か言おうとするが、他のメンバーが無言で手を出し首を横に振る。

 雪を踏みしめる靴の音が混じり合う。

 急に足を止めたのはまた一番若い魔法使いだ。一番近い所にいた女性の魔法使いがその気配に気がついて振り返る。


「どうしたの。早く来なさい」

「先輩――!」


 切羽詰まったような声に眉をひそめた女魔法使いが、新人の指差す方向、先ほど彼らの上司が燃やし尽くした残骸の方を見て素早く杖を構えた。


「ヴィンター!」


 呼ばれて先頭を歩いていた炎の魔法使いが背後に視線を向ける。

 直後、顔を険しくして素早く身構えた。


「防御陣、展開!」


 怒鳴りつけるように唱えると、炎の魔法使いの杖から赤い輝きがほとばしり、彼の足下に魔法陣を描き出す。

 上司に続いて残りの二人も素早く振り返り、同じようにした。


「フォルスター、アイヒェンドルフ!」


 炎の魔法使いは一番後ろにいた二人に呼びかける。

 若い魔法使いは目を見開いたまま立ち尽くし、動けない彼の所に駆けつけて何かしようと杖を掲げた女魔法使いもまた硬直させられたように動きがない。


 二人が瞬きのない目で見つめる先には、雪の上で火だるまになった人間の残骸が転がっている。

 けれどそれだけではない。その上に、誰かが立っているのだ。



 それは半透明の人間だった。長い髪はうっすらと桃色がかっており、金箔でもはたいているのか、彼女が身じろぎするときらきらと輝く。一部は身体の前側に流れて裸体を隠すのにも手伝っている。少女と言うには妖艶で、女性と言うには幼い。膨らんだ乳房までは確かに美しい女の姿をしているのだが、そこから下が異様だった。――いや、半透明という時点で、既に十分異様ではあるのだけど。


 女の腰から下は地面と繋がっている。それは地中から生え出た大樹を連想させた。人間がかつてへそで母親と繋がっているのなら、この女のへそは大地に根付き、胎盤は世界であり、膨大な水や栄養を吸い上げて咲き誇る。ならば身体は幹で腕や髪は枝だ。いや、花――だろうか。彼女の頭にはちょうど一輪の花があしらわれている。頭を振ると、一緒に悲しげに揺れる。あしらわれている? 違う。あれは頭から生えているのだ。それも違う。花は彼女の一部だった。人で言うなら血肉の通った臓器。けれどそこまで肉肉しくはない。


 魔法使いの豊富な知識によれば、世界のどこかには植物を本体とし、女の姿を取って男を誘惑する、そういう存在がいるらしい。なるほど確かに目の前のこれはその伝説の精霊、あるいは怪物に近いのだろうが、そう定義してしまうのはためらわれた。単に悪戯をするとか、男の精を吸い取るとか――違うのだ、明らかに違う。そんな矮小な器には目の前の存在は収まらない。


 彼女は少し前まで若者だった残骸を見下ろしていた。

 琥珀色は命の輝きそのものだ。両目を潤ませ、はらはらと涙を落とす。


 その光景を見守っていた一番若い魔法使いが素早く杖を振り上げたかと思うと、自分の胸に突き立てた。

 彼女の深い深い悲しみに、嘆きに本能的に共感してしまったのだろう。


 炎の魔法使いが彼の名前を呼ぶと、よろよろと二三歩歩く。ぽかんとした様子で自ら刺した杖を見下ろした。そして上司に振り向く。何か言おうとしたが、口からごぼりと血があふれ出た。目は開かれたまま身体が傾き、倒れ伏して動かない。


 その横で女魔法使いにも異変が生じていた。がくりと膝をついた彼女が口を開くとそこからはらはらこぼれ落ちる。花びらだ。色んな種類の花。冬場に咲くはずのない花。咳き込む度に身体の中からあふれ出て、やがてうずくまる彼女の姿がばさりと音を立てて消え去る。

 炎の魔法使いが手を伸ばしながら叫んだが、返事はなかった。ただ、杖が倒れ、衣服が広がり、女魔法使いがいた場所にすさまじい勢いで植物が育っていく。

 芽吹いては花咲き、実り、枯れては芽吹く。あっという間に雪原が草原に、森に飲み込まれていく。


 騒ぎの中心の異形の女だけが静かだった。

 彼女は焼け焦げた塊に向かって身体を倒す。おそらく顔だった場所に向かって、頬を近づける。ぽたん、と彼女の涙が落ちた。


 するとさらなる変化が訪れた。若者の身体から煙が上がる。この世のどの花よりも芳しく、それでいて陶酔の中にわずかな棘を含む濃厚な香りが辺りを包み込んでいく。

 彼女が触れた場所から、炭となった身体に潤いが戻る、骨には肉がつき、筋肉が、臓器が戻り、血が通い、皮膚が形成されて人の形ができあがる。

 燃えていく様を逆に戻すように、若者の身体が戻っていく、戻っていく、死んだはずの彼が帰ってくる。


 ――そう、こういうことを簡単に表現する言葉を人間は知っている。

 蘇生。命が蘇る。死んだ人間が生き返る。

 けれど、いかなる魔法を用いれば、損壊した肉体を完全に再生し、すっかり消えた魂を取り戻すことができると言うのだろう。

 人間には無理だ。聖者の花の魔法使いすら、死んだ人間を生き返らせることはできない。生きる意思があって、生きる力が身体に残っている。両方なければ病人も怪我人も結局治す事などできない。


 そのはずなのに。


「大精霊……」


 ああ、魔法使いの最高峰と呼ばれても、人外と人にはなんと大きな隔たりのあることか。

 がっくりと膝をついた炎の魔法使いは呆然としていた。その口は正解を導き出すが、頭が理解できない。


 精霊は通常人には見えない。手順を踏んで呼び出さなければこちらの認知できる形で現れない。大精霊は特に格が違う。よっぽどのことがなければ人の前に姿を現さないはずだ。こんな状況はあり得ない。あり得てはならないはずなのだ。


「大魔法使い様、どうすれば――」

「……どうにもならない。撤退する。さあ早く」

「でも、ハンスとコンスタンティンは――」

「どうにもならないと言っただろう、諦めろ!」


 部下達に半泣きで指示を求められた責任者は、これ以上自分たちから被害を出さないための選択肢を素早く選んだ。


 女は他の事には一切興味を示していなかった様子だった。転移魔法を使って消えていく男達に目もくれない。

 ただ、目の前で散った一人の若者を悼み、悲しみ、その身体を優しくなで続けている。なだめるように、あるいは何か促しているように。

 若者の身体がすっかり元通りに――元よりもよっぽど健康的になって、ただ眠るように横たわるのみになると、仕上げに彼女は若者の額に口づけた。すると彼が呻く――確かに止まったはずの息が戻っているのだ。


 冬に現れた楽園の中心で、花の大精霊は未だ涙のにじむ顔のまま抱きかかえた若者を見下ろす。

 うっすらと、彼が目を開けた。彼女は幸せそうに、そしてはにかんだように微笑む。


「君は……?」


 まだぼんやりしたままの花の魔法使いは、自分を覗き込む見知らぬ少女に問いかけた。唇が動く。若者は意識のはっきりしないまま、けれど懸命に動きを追った。


「……フローラ?」


 囁くように彼が確認すると、少女はぱっと顔を輝かせ、頷いた。もう一度だけ、若者の額に唇を押し当てる。それから身体を起こした。


「待って……」


 若者は手を伸ばす。けれど半透明の身体をすり抜ける。


 その瞬間、夢から覚めたように、突然彼の意識がはっきりと戻る。慌てて起き上がり、辺りをどれほど見回しても、少女の姿はもうどこにもなかった。

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