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花の大精霊編13 星明かり

 若者が訪れると、館の住人達、特に彼に直接主を救ってくれと言いに来た男はばつの悪そうな顔でぎこちなく出迎えた。


 特に気にした様子も見せず、むしろあえて相手の物言いたげな視線を無視し、花の魔法使いはいつも通り淡々と病人を治療する。


 打つ手なしと言われていた病床の少年の手を若者が握っていると、徐々に真白い肌に血色が戻り、閉じられたままだった瞳がうっすらと開かれる。寝たきり生活が続いていたという話の通り頬はこけたままだったが、何度か瞬きを繰り返すうち、その目には生気が戻ってきた。


「若様……!」


 駆け寄って手を取る使用人を不思議そうにぼんやり見つめた少年だが、彼が状況を説明するとベッドから身を起こし、魔法使いに向かって深々と礼をする。


「あなたが聖者様なのですね。無理なお願いに応じていただいたようで……本当に、ありがとうございました」

「いえ。俺は俺のできることをしただけですから」


 少年はしばしの間魔法使いの顔をじっと眺めた。


「何か、ぼくにできるお礼はありますか」


 一瞬だけわずかに目を見開いた魔法使いだが、すぐに真顔に戻ってよどみなく返す。


「俺に何か物を下さらなくて結構です。まず、あなたが自分の健康に注意して生活して下さい。身体に良いものを食べ、身の回りを清潔に保ち、適度に運動し、十分な睡眠を取る。それこそが、それのみが最も健常に近い道であり、維持する方法です。そして、正しい知識を集めて、それを下の人達にも広げて下さい」


 そこで彼は一度言葉を句切り、そっと目を伏せて続ける。


「……可能なのでしたら。どうかけして、悪くなったら治癒魔法使いを頼ればいい、悪くなったら聖者をまた探しに行けばいい、等とは思わないで下さい。先ほど言った事を全て守っていただいても、それでも降りかかってくるのが病気や怪我です。けれど、注意すれば負わずに済むものもあります」

「慢心し、無駄に治癒魔法使いの仕事を増やして本当に必要な人達へ力が届かない……そういうことは避けたいと、あなたは仰るのですね」


 病み明け、というよりまだ治されたばかりのはず、痩せた身体が元に戻った訳でもないが、少年の瞳には静かな、それでいて確かな力が宿っている。


 魔法使いはさらにいくつかの気をつけて欲しいこと――それはいつも言っている、手洗いをすることや、煮沸消毒をすることと言った、少し面倒で、けれど些細な生活時の注意点なのだが――を語った。


 少年は人を呼び、傍らで魔法使いの言ったことを書き取らせながら、時折手を上げて質問をする。それはやがて病気や怪我の予防、治療の話から、人の生活にどれほど魔法を使えばいいか、どうやって魔法使いを確保すればいいか、といった話にまで発展する。

 花の魔法使いは特に嫌がる事もなく、あくまで自分の私見では、という釘は刺しつつも、少年の質問に答え続けた。

 治療は昼頃には終わっていたが、結局魔法使いが館を辞す事になったのはすっかり日が傾いてからだった。


 丁寧に感謝を示し、長時間引き留めてしまったことを詫びる年若い主に、若者は頭を振る。

 それから、別れの挨拶が終わるとさっさと立ち去る事が多い彼にしては珍しく、ふっと表情を緩めて言った。


「あなたのような人がいると。俺も、この道を選んで良かったと思えます。……きっと困難な道のりでしょうが、少しでもあなたの理想が現実に近づけばいいと思います」


 少年は嬉しそうに笑った。その横で、魔法使いを招いた男が深々と頭を下げている。


 魔法使いは館を後にした。

 疲れを滲ませ息も絶え絶えと言った様子で出発することが多い彼にしては、とても軽やかな足取りだった。



 一人に戻った若者は、程なくして適当な場所で野宿の準備をすると、当然のように送りつけられた果物を頬張り、ぼんやりした目を夜空に向ける。


 さわ、と草が揺れる音がした。風は特に吹いていない。魔法使いは囓りかけの果実を手にしたまま、不意に声を上げる。


「俺は昔から、人の身体の悪い所が見えて。それを治すやり方も、誰に聞かなくとも知っていた。最初は母親だ。よく水仕事で手を荒らしていた。綺麗にしてやったら、とても喜んだ。それから近所の友達、知り合い。次第に人が多く集まってきて……俺はよりたくさんの人の役に立つために旅に出ることにした」


 しゃくり、と彼が果物に歯を立てる音以外、何も聞こえない。静かな夜だった。まるで空気が彼の言葉を一言一句聞き逃すまいとでも構えているかのような、そんな緊張感が漂っている気がした。


「……いや。違う。

 本当は家を出たくなんかなかった。代わり映えのない退屈な田舎暮らし、俺はちっとも嫌いじゃなかった。

 ただ、俺の力が金になるとわかってから変わっていってしまった家族を見るのが、知り合い達の俺を見る目が変わっていくのを見るのが……嫌だったんだ。

 それでちょうど旅の魔法使いとやらが通りすがった所に、拝み倒してついていった。結局その師とも別れることになったが……」


 独り言にしては大きく、誰かに向かって語っているにしては小さい。

 そんな声の大きさで、花の魔法使いは、聖者と呼ばれてあがめ奉られている若者は話した。


「治せるとわかっているのに何もしないなんて俺にはできない。目の前に助けられる命があるのに放っておくなんて、俺にはできない。

 それでも時折、やっぱり俺はただ余計な事をしているだけなんじゃないかと思うこともある。

 炎の魔法使いの言うことにも、正しい部分はある。俺の力は、良くも悪くも人を変えすぎるから……」


 話の合間に、少しずつ囓っていった実がなくなると、残骸を手にしたまま若者は言った。


「だけど。今日みたいなことがあると、俺のしてきたことは悪いことばかりではなかったと思えて、嬉しいんだ」


 見えぬ相手に希望を語る彼が目を細めると、その無邪気な輝きに、彼がまだとても若い男なのだということを思い出させられる。


 夜の中で輝く星の瞬きにも似た、静かに燃える信念。

 けれど唐突に吹いた風は強く、空は陰って月明かりも隠れている。


 魔法使いはいささか感傷的になっていた自分に自嘲して、雨風しのげる急ごしらえの寝床に潜り込み、早めの就寝支度を整える。


「おやすみ」


 彼はそう言って目を閉じた。


 以前はそんな無駄なことはしなかったのに、この頃にはすっかり言うことが当たり前になっていたようだった。

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