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花の大精霊編9 いたずらと差し入れ

 小鳥の囁く声で朝が告げられる。

 まだ薄暗い朝、若者はうっすらと目を開け、伸びをした。欠伸を噛み殺しながら起き上がり、ぶるりと身を震わせる。


(そうか、もう秋だった。そろそろ凍死対策もしないといけない季節だな)


 魔力、すなわち生命力が極端に高い人間は、極論外傷や病気どころか飲み食いの心配もさほどしなくて済む。余剰な生命力が勝手に身体の最盛期を保つからだ。魔法使いがそうでない人間達から恐れられたり敬われたりする理由の一つがこれだ。


 しかし逆に言うと、魔力が尽きればただの人間と変わらない。病気にもかかるし、怪我も治らず、餓死の可能性も出てくる。だから魔法使いが最も恐れるのは魔力切れであるし、大抵は外付け魔力とも言える魔石を持ち歩いて自分の分はいざというときのために温存する。


 若者は自分の余力と今晩の宿状況を天秤にかける必要があった。

 彼がいつも十分な食事に安眠できる寝床、それから定期的な休息を手に入れられるなら、昼間どれほど力を使っても倒れることはない。

 逆に、昼間に力を乱用しなければ夜を恐れることはない。


 しかし、彼の場合昼間にそれなりの激務をこなしつつ、夜は自分でなんとかしなければならないという事情がある。

 しかも彼は魔石を持ち歩くようなことがなかった。いや、手にしたことがないとは言わないが、手にするとすぐ使い切ってしまうのだ。あまり高価な物を身につけていたくないという気持ちもある。


 そんな彼の最近の目下の悩みは寒さ対策だ。残しておかねばならない魔力が増えると言うことは、昼間使える魔力が減ると言うこと。

 けれど秋が過ぎれば当然その次には冬が来る。人間達の病気はまさにこれからが一番の繁忙期であり、必然的に彼が求められる魔力の消費量も増えることはあっても減ることはまずない。


(まずは予防してもらわないときりがない。薬草の知識、清潔に保つ事の重要性、消毒のこと、加熱のこと……午前中に講義をして。午後に診る人は、どうしても重病人、緊急性を要する人が先になる。ああ、また誰を選ぶか。諍いが起こらないといいが……)


 彼は重たくため息を吐き、銀髪をかき上げる。

 ……と、そこでぼんやり寝起きの視界に、掛け布団代わりに被っていたローブがそろりそろりと離れていくのが見えた。


「おい、こらっ!」


 彼が慌てて飛び起き、自分の身体から剥がれていこうとする上着を取り返すと、ぱっとそれは動かなくなる。

 ほっと一息吐く暇もない。今度は横に置いてあった杖が勝手に立ち上がって、どこかにふらふらと出かけていきそうになった。それもぱっとひったくり、彼は慌てて近くに置いてあった荷物一式に手を伸ばしてかき集める。


 空気が揺れた、気がした。まるで誰かが、近くで笑い声を上げたかのように。


 朝の珍事にすっかり寝ぼけ状態から覚醒した若者は、辺りをぐるりと見回してきっと顔を険しくした。


「またお前か――いい加減にしないと、こっちにも考えがあるって言ったよな!」


 言いながら彼は、杖を振りかざす。

 途端に彼の周りの植物が一斉にざわめき、急成長し、辺りを探るようにうねった。


「どういう方法で姿を隠しているのかは知らないが、今日という今日はあぶり出してやる……!」


 ところがいくら草が伸びて空に地にあらゆる場所に手を伸ばしても、何かを捉える様子はない。

 いや、細かくて小さな虫とか小動物とかなら、捕まえているのだけど、明らかに彼が求める相手ではない。


 やがて若者は自分一人の戦いが恥ずかしくなったのか、無意味と悟ったのか、無関係に巻き込まれた周囲の生き物に申し訳ないと思ったのか、再び大きなため息を吐きながら杖を振る。

 すると植物達は元の姿を取り戻した。

 彼はローブを着て近くの川に身支度を整えるために、自分の荷をちょっぴり気にしつつも歩き出す。


 一歩、二歩。何事も起こらない。川にたどり着く。平和だ。喉を潤し、口をゆすぎ、顔を洗う。大丈夫そうだ。彼は今度こそほっと息を吐いて、戻ろうとする。


「――っ!」


 つきまとってくる見えない敵は毎回実に巧妙だった。こういう、油断したときに限って来るのだ。

 ぽふん、と空気を叩くような音がして、若者は息を呑む。

 外していたフードが頭に被せられたのだ。

 すぐに振り返ってまた拳を振り上げようとした彼だったが、自分の荷物の横にどさどさっと木の実や果物の類が積み上がっているのを見ると、下ろし所を失ったかのように彷徨わせ、やがて今朝何度目かの深い深いため息を吐き出す。


「わかった。降参だ。俺の負けでいい。負けでいいから、もう少し大人しくしててくれ……」


 まるで笑っているかのように周囲の草がそよいだ。

 なんだか色々と馬鹿らしくなって、若者はどさっと腰を下ろし、置かれた果物の中からリンゴを取り出してしゃくりと囓る。


 ――今年の春の終わり頃からだったろうか。

 この目に見えないが、確実に彼の側にいる何かにつきまとわれるようになったのは。


 大体はこうやって、深刻というほどでもないが積み重ねられると地味にかなり鬱陶しい、そんな悪戯を仕掛けられる。

 そしてなおたちの悪いことに、一番最後にご機嫌を取るように、いかにも美味しそうな収穫物の数々が荷物の所に置かれていくのだ。


 最初は不気味がって手をつけなかった彼だが、ある時――というか夏の猛暑日、ちょうど喉が渇いてヘロヘロになっていたときに、水分と栄養たっぷりの果実をそっと出されたらもう抵抗できなかった。


 以来、なんだかなあと思いつつも、ありがたく差し入れの恩恵にあずかることにしている。

 というかほぼ毎日何かしらの悪戯をされているんだから、このぐらいの見返りがないとと思ってしまう心もある。


(しかし実際、腹を鳴らさずに済むようになったのはかなりありがたい……)


 特にリンゴが彼の好物と発覚してから毎回差し入れられているのが、嬉しいような、ここで許しては負けな気がするような、複雑な思いに駆られつつ、毎回しっかり完食している魔法使いである。


 彼が癒やした人から、お礼にと物をもらうこともある。

 もちろん、宿や飯ぐらい、と言い出してくれる人も多数いる。

 けれどそれで人からの好意を受け取った結果、それなりに嫌な思いもしてきた身だ。

 だから今ではそれらの申し出を固辞し、寝床は人のいない場所、食べ物は極力自分で手に入れた物(謎の同行者からの差し入れ除く)と決めているのだ。


 朝ご飯も済ませた彼は、周りを片付けて荷物をまとめ、立ち上がる。


 よし、と気合いを入れて森を出て行く彼の背中を、くすくす忍び笑いを漏らしながら誰かが見守っていた。

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