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花の大精霊編5 仔犬

 人には長い時間。精霊には短い時間。

 少しずつ、少しずつ。

 置いていかないようになった。

 帰ってくるのを待つようになった。

 隣からいなくならないようになった。

 そんな風に、距離が縮まっていって、いつの間にか何もない時は二人で過ごすことが当たり前になっていた。


 花の大精霊は兄と呼びかけ続ける。

 彼からの返答はない。

 ただ、明確に拒絶することもなくなった。

 それを彼女が指摘して喜ばしいことだというと、下らないとでも言いたげな顔で鼻を鳴らす。

 けれどもう、言葉では否定してこない。


「君の歌は嫌いじゃない」

「そう? じゃあわたし、張り切ってもっと歌うわ!」


 少年はあらゆる場を巡り、人の営みを見守る。

 何をすることもなく、ただ見ている。


 少女は少年の後をついて回り、人の営みを祝福する。

 彼女がいるだけで場は華やぎ、命の力が満ち満ちる。

 歌声が響き渡るとあちこちから精霊が集まってきた。

 彼女の隣にいる空の大精霊を、前ほど彼らは遠ざけなくなった。


「ロッティ! ベアテ!」


 特に人なつっこい下位精霊を指差して少女が言うと、少年は目を細める。


「それも君の好きな人間の真似?」

「そうよ。この前ね、女の子が犬を飼っていたの。仔犬! わたしも仔犬がほしいわ。黒と茶色の仔犬!」

「……まさかとは思うけど、それはぼくに強請っているの?」

「ほしいの、ほしいの、お兄様! ねえねえ、いいでしょう?」


 じゃれつく花の大精霊をめんどくさそうに押しのけた空の大精霊は、深く大きな息を吐いて二体の精霊を手招きする。

 花の大精霊に近づくよりは怖々と、けれど逃げることもなくやってきた二つの光の球を右手と左手にそれぞれ収めて握りこぶしを作った少年が、不思議そうに見守る花の大精霊に顔を向ける。


「目を閉じて」

「どうして?」

「いいから。こういうときのお約束だ」


 相変わらずの仏頂面だったが、目元の表情だけは笑っているのかと錯覚しそうになるほど柔らかい。

 花の大精霊は楽しい気配を感じ取ったせいだろう、悪戯っぽい笑みを兄に浮かべて見せてからぱっと両手で顔を隠す。

 空の大精霊はそれを確認してから両手を開いた。

 掌から飛び出した二つの塊が、吠えながら少女に向かって飛びかかる。


「きゃっ――何!?」

「もう見てもいいよ」


 まとわりつかれて尻餅をついた少女は、最初びっくりした表情で固まっていたが、二匹の犬が自分を驚かせたものの正体だと知ると歓声を上げて抱きしめる。


「世話はちゃんと自分ですること。いいね」

「すごい――すごいわ、どうやったの!?」

「大精霊秘密」

「わたし知らなかったわ、からにはこんな力もあるのね! お兄様、ありがとう! 大好き!」


 少年にぱっと抱きついた少女だが、彼の方はふんと鼻を鳴らすのみだ。

 うっすらゆるみかけた口角をへの字に曲げ、わざとらしい咳払いなんかする。


「……なんか君が誤解すると各所にあることないこと言いふらして最終的にぼくを困らせそうだからさっさと種明かししておくと、そう難しいことはしていないよ。ぼくは無と遍在の大精霊。形のないものに輪郭を与えることもぼくの持つ能力の可能性の一つ。命を生み出すのは君の領分だからそういうことはできないからね」

「お兄様が精霊を犬にできることだけがわかったわ!」

「君さては途中から……いや最初から聞き流していたね?」

「早く早く! お兄様、はーやーく!」


 兄は呆れた声を出すが、犬達と早くも追いかけっこを始めて走り出した妹が手を振りながら呼ぶと、ゆっくりとだが彼らの方に歩き出した。


「行きすぎないで、ぼくの目の届く範囲にいるんだよ」

「大丈夫よう!」


 自信満々に答える彼女だが、早くも聞こえる声が遠い。

 人のふりをした精霊と犬のふりをした精霊達の楽しそうな音が森に響き渡る。

 空の大精霊は急がなかった。

 どうせ彼らが行きすぎてもそのうち戻ってくることを、彼は確信していたので。




 はしゃぎまわって疲れたのだろうか。

 やがて戻ってきた花の大精霊は、眠たい、それと木の上に上りたいとまた我が儘を言う。

 めんどくさそうに木の上まで彼女が上がり、すっかりお気に入りになった犬たちと一緒に一番寝心地の良い場所に収まるのを確認してから、空の大精霊もすぐ側で目を閉じる。


 しばらくの間、静寂が落ちた。


 ふと、空の大精霊が瞼を上げる。


「……どうかしたの?」

「人だ」


 どんなにあどけなく振る舞っていてもやはり大精霊、眠たそうに目をこすりつつ眠りから覚めた彼女は、空の大精霊が顔を向けた方を見て首を傾げる。


「こんな森奥に?」

「……こんな森奥だから、かな」


 二人の大精霊が見守る中、草木を踏みしめて現れたのは若い男のようだった。

 フードを目深に被り、古びたローブに身を包んでいる。

 その手に握られている特徴的な形の杖を見て、少年はふっと目を細めた。


「魔法使いだ」


 まあ、と花の大精霊は声を上げる。

 その目は好奇心で輝いていた。

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