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火傷の治療

嵐の夜直後。

伏線として仕込んだつもりがその後の流れ的に入れどころを失って本編ではお蔵入りになった火傷ネタ。

 なにやらうなり声を上げながら猛然とバシャバシャ音を立てていた魔法使いは、どこかげんなりした様子で風呂場から出てきた。


 ――ところでこれはフローラが後で入浴しようとしたときに発覚したことだが、どうやら彼は水風呂で本当に物理的に頭を体ごと冷やしていたらしい。せっかく風邪を引かないようにと温かくして待っていたのに、あんなことして大丈夫なのかと心配したが、幸いにも彼は頑丈なようで翌日もぴんぴんしていた。



 ともあれ、こざっぱりしてなにやら若干憑きものが落ちたような感じなっている気がしないでもない彼が、晩ご飯(というか時間的にもはや夜食である)を食べているとき、そわそわぎこちなくなりつつも同席していたフローラの腕にふと目を止める。


『そういえば、その手はどうした?』


 包帯を巻いている部分だ。さっきは魔法使いのローブを着込んだり、激しく密着するイベントが起こったりとで、視界にうまいこと入っていなかったのだろう。


 フローラはぱっと利き腕を押さえながら、口ごもる。


「あの……夜、眠れなくて、ホットミルクを飲もうとしたのですけれど。少し、失敗してしまって――」


 でも大したことはないので、大丈夫です。


 フローラが言葉を言い終える前に、がたんと音を立て、血相を変えた魔法使いが食卓に勢いよくスプーンをたたきつけて立ち上がる。


『何故早く言わない!』

「え? でも、大丈夫です、すぐに流水で冷やしましたから――」

『……薬は?』

「ええと、場所がわからなかったので、特には……でも、二、三日もすれば痕も消えると思いますし、それほどでも――って、あの、魔法使い様!?」


 びっくりして目を丸くしているフローラの、怪我をしていない方の手を取ると彼は調合部屋に彼女を引っ張っていく。


 フローラにとってはゴミの山……もとい、得体の知れない海の中をかき分け、小汚……もとい、古ぼけた木箱を出してきて座らせたフローラの前で開ける。


『今後のためにも言っておくと、これが薬箱だ。用途は大抵瓶や箱に書いてあるから』


 どうも箱に書いてあるハートの形のマークがそういう印らしかった。


 そういえば思い返せばアルツト家にも似たようなものがあった気がする、と思っているフローラは、魔法使いに手を取られてはっとした。


 いつの間にか箱の中に大量に入っている小瓶のうちの一つを取り出した彼は、彼女の包帯をさっさと取り払ってしまうととろりとした中身を清潔な綿布に取って優しく患部に当てる。


 患部全体を覆う薬品をしみこませた綿布をつけるとまた包帯を巻き直し(ちなみに古いものを再利用でなく、新しいものを使ってくれた)、その上でフローラの手を再び取って両手で腕を包み込む。


「あっ……魔法使い、様」

『少しだけ我慢してくれ』


 魔法使いの掌の中から何かが流れ込んでくるような、くすぐったい、むずがゆい感触がする。


 逃げようとして身動ぎしたところをたしなめられてしまったフローラは、おとなしく震えながらされるままになる。


「――ふ、う」


 ただの治療行為なのに、魔法使いに腕を優しくなぞられるとおかしな声が出てしまいそうになるのが恥ずかしい。


 一人で真っ赤になっている彼女は、今だけは少々暗めの全体照明である調合室に感謝した。


 しばらくフローラの手を包んで何か念を込めていたらしい魔法使いが、やがて満足したのか手を離す。


 思わずぱっと解放された利き腕を胸の辺りに押し当ててしまうフローラに、落ち着いた色合いの深緑が向けられた。


『今度怪我をしたら、たとえ大したことのないものだと思えるものでも報告してくれ。治療は初動が肝心だ、油断して大きな禍根にしてしまいたくない』

「申し訳ございません……」

『謝らなくていい。……元はと言えば、いきなり一人にしてしまった上、すぐに気がつけなかった私の落ち度だ』

「でも」

『本当に私に申し訳ないと思っているなら、これからは自分のことをもう少し大事にしてくれ。安静にして、きちんと経過報告をして、それで元通りに治って、元気な姿を見せてくれ』

「……はい」


 恥ずかしかったり自分が情けなかったりでしゅんとしているフローラに、魔法使いは優しい顔になると手を伸ばしかけて、はっと引っ込めた。


 うなだれているフローラからは、ちょうどそんな彼のささやかな葛藤は見えていない。床にちょこんと置かれていた石版の文字しか、彼女の視界には入っていなかった。


『……今日は、もう遅い。食卓の片付けも私がやっておくから、あなたはもう休むといい』

「えっ!? いや、で、でも――」

『なんだその反応は、私にだって食器を洗い場に持っていって食卓を台拭きで拭くことぐらいできるぞ!』

「すっ、すみません、お任せします!」


 張り切って自分で洗うと言い出さなかったことに真っ先にほっとしてしまった自分に微妙な罪悪感を感じつつも、フローラは追い立てられるようにして調合部屋を出て行く。


 出て行ったところでいきなり急停止し、そろそろと戻って部屋の中の魔法使いをうかがう。


 けれど彼は薬箱を出したついでに瓶をチェックしているのか、下を向いたままこちらを見てくれようとしない。


「……おやすみなさい」


 小さく言ってみたが、やはり聞こえなかったようだ。


 しょげかえったままその場を後にする彼女の後ろ姿を、魔法使いが素早く上げた深緑の目で追う。



 彼は口を開いてから、声の出ない喉を思い出し、押さえた。


(どうかしている。……もっと、触れていたかった、なんて)


 首を左右に振り、静かに薬箱を閉める。


 一人で戻った食卓はやけに閑散としていて――彼にしては非常に珍しく、せっかく作ってもらった晩ご飯を少し残してしまうといった失態まで犯した。


(……明日に、なったら。きっとまた、いつも通りになっているはずだ。今日が少し、おかしなだけで)


 そう思って眠りについた魔法使いだったが、結局なにやらもやもやした気持ちに責められて寝付けなかった。


 翌日もなんとなくどんよりした雰囲気を漂わせつつ、彼女への距離感をつかみそこねて、一応いつも通りではあるものの、お互いどうにも気まずくぎこちなくなってしまうのだった。


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