寝起き
共同生活初期に起こった事故。
フローラは朝きっちり素早く起きられる方である。
これは生来の素質もあれど、アルツト家で揉まれながら培われた能力と言えよう。前日の寝る時間が多少前後しても、朝は大体同じ時間に何もせずともぱっちり目を開けて活動を開始することが出来る。
魔法使いの家で居候を開始してからも、彼女の体内目覚まし時計は正確なままだった。
与えられた二階のロフト寝室から、手早く着替えを済ませて下に降りると一階は大抵しんと静まりかえっている。
魔法使いは初日に本人が言っていたとおり朝が苦手なようで、フローラより早く起き出してきた試しがない。
天気を確認した後、洗濯物を分別し、料理を済ませ、可能な範囲での洗い物を終わらせたフローラは、それでも同居人の気配がないままなので、そっと食卓にメモを置き、外に出て庭の掃除を開始する。
今日はなかなかよく晴れそうだ。整備した物干しがあるので心が浮き立つ。
軽くほうきとちりとりで玄関周りを片付けて、家の周りをぐるりと一周して確認をしながらついでに手の届く範囲の窓を拭く。
一際生い茂っている裏の様子を見ると、思わず唸ってしまった。
(草むしり、したいけど……さすがに一人だと大変だし、手伝ってもらえないかしら。というか、もしかして魔法使い様が育ててる薬草……だったり、するのかな)
しかし育ててるならなおさら、もう少し管理をした方がいいように思うのだが。
散らかっていると片付けたくなるのが彼女の性と言うもの。魔法使いだって散らかっているのが安息の地というより、お手本はわかってるが自分の手でその形に持っていくのを諦めているような感じだから、積極的に動いていってしまっていいと思う。
さて、少し力を入れていじりたい部分が出てきたからには、家主にうかがわなければ。庭いじりともなれば、また必要となってくる道具も変わるし。
鼻歌交じりに外から戻ってきて軽く汚れや汗を落とした彼女だったが、それでもまだダイニングには自分以外の人の気配がなかった。
思わず時計を見てしまう。
たとえば町医者稼業のアルツト家を基準にするなら、診療所を開いてとっくに1時間半は経っている。このままおとなしく待っていたら、壁掛けの短針が9と10の間から10と11の間に行ってしまいそうだ。というか、既にそうなりつつある。
(魔法使い様、まだ起きてこない……)
これ以上寝たら昼になってしまう。それにいい加減こちらもお腹がすいてきた。朝ご飯を作っている間に軽く味見がてら口に入れてはいるのだが、やっぱり家主不在で勝手に済ませてしまうのは気が引けるし、単純な話一緒に食べたいではないか。
基本的には家主の意思を全面的に尊重するフローラだったが、さすがに寝過ごしすぎだとちょっとまなこをつり上げた。
――真面目なディーヘン人が時間にきっちりしている一方でランチェ人はルーズな人間が多いと言う話もあるから、この辺りは二人の国民性の差というところになってくるのかもしれないが。
決意した彼女がそっと調合部屋を――フローラにかつての自分の寝室を譲っているので、魔法使いはダイニングのソファか調合室で寝ている――のぞき込むと、案の定雑多にものが散らばった床の中に巨大な芋虫もどきが転がっているのが見える。
何のことはない。掛け布団をぐるぐる自分に巻き付けている魔法使いだ。
あれでは寝心地が悪いし地味に疲れをため込んでしまうのではないかとフローラはちょっと心配したりもするが、本人曰く地べたでも割と快適に寝ることができるらしい。
実際、そろりそろりとものを踏まないように調合部屋の中を進んでいってのぞき込んだら、結構幸せそうな顔のまますやすや寝息を立てていた。というかよだれすら垂らしそうな勢いである。
一瞬ほっこりしかけてから、いやいやそんなことをしている場合では、と気を取り直し、フローラは真面目な顔になった。
「魔法使い様。朝ですよ。放っておいたら、お昼になっちゃいますよ」
呼びかけながらパンパン、と手を鳴らしてみる。
ぴくっと芋虫がけいれんした。彼は眉をひそめ、唸りながらフローラと反対側に寝返りを打ってしまう。
典型的な起きない人間の意思表示である。
(夜更かしなんかするから……)
昨晩おやすみの挨拶をした時、まだバリバリ彼が何かの作業に没頭していたのを見かけているフローラは思わずため息を吐いた。
この幸せそうな寝顔の邪魔をすることに、こちらだって罪悪感が皆無なわけではないのだが、ここは心を鬼にするところだ。
毎日同じ時間に寝て、同じ時間に起きることが健康への第一歩。そして寝坊を許すことはその後の堕落へと直結しやすい。
「魔法使い様! ……えーい、こうなったらちょっと強引になっちゃいますからね」
何度か呼びかけてみてほぼ無反応だったため、フローラは腕まくりした。
どうしても起きないならこうするしかない。寝ぼけている方はこの手段を取った人間を恨むものだが、起きない方が悪いのだと自分に言い聞かせる。
それとたぶん単純にフローラはちょっとだけ無防備な魔法使いを前にしたこの状況を楽しんでいた。
無意識のままにいたずらっぽい表情を浮かべ、がばっと魔法使いの掛け布団に手をかける。
「おはようございまっ……へっ?」
元気よく挨拶をかけながら引きはがそうとしたが、何故か視界がぐるりと反転し、ばさっと音がしたかと思うと柔らかいものに巻き取られる。
『うるさい』
急展開についていけず固まっているフローラの横、割と至近距離で魔法使いがもぞもぞ動いたかと思うと、石版だけにゅっと顔の前に持ってくる。
深緑色の目は半開き、半覚醒――なのかも怪しい、ほぼ眠りかけまどろみ状態の模様だ。その状況でも石版は忘れないあたり、突っ込みどころなのか悩ましい。
……つまりは、どこをどうしたのか、掛け布団を剥がそうとした結果反撃に遭い、逆に引っ張られて彼の隣に寝転がった上で毛布の中に包み込まれているわけだ。
というか、同じ布団の中に捕まってしまったわけだ。
「○×△!?」
『表情が既にうるさい』
「すみません!?」
声にならない悲鳴を上げたフローラは、続けて小声で素早く謝ってしまう。
魔法使いはうとうとしつつ、のんびりした文字を浮かべた。
『わかった、あと、5分……』
「ま、ままま魔法使い様、いや、でもあの、これはその、ちょっとまずいのではっ――むぎゅっ!?」
『うるさい……』
あと5分は百歩譲るとして、人のことを同じ掛け布団の中に引っ張り込んでこれはいい抱き枕が来たとばかりにがっちりホールディングを固めてしまうのはいかがなものか。
抵抗したいが、案外と広い胸板の中に顔をむぎゅっと押しつけられ、背中にも手を回されてさらには足までちゃっかり決められているとパニック状態のフローラは内心悲鳴を上げるしかできない。
(お願い、早くいつもの魔法使い様に戻ってー!)
――15分後、若干宣言より延びつつも一応誠実に約束を守って目が覚めたらしい魔法使いが、声なき絶叫を上げた後フローラに猛然と謝りまくったことは言うまでもない。




