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あなたのための魔法8

「ごっ、ごめんなさいっ……」


 ぐるぐる目を回しかけながら、フローラは答えた。染みついている謝り癖は、動転していても咄嗟に出てしまうのである。


 魔法使いは再び彼女の両腕をつかみ、彼女が見たこともない、余裕なく切羽詰まった顔で言いつのる。


「私がどんな思いで、すっ飛んできたと思っているんだ! 見てわかるだろう、着替えの手間だって惜しんだし、鞄を持ってくる時間すら惜しかった。それなのになんだあなたは、勝手に一人で先走って消えようなんて、どういうつもりなんだ!」


 責められているうちにフローラもだんだん何が起きていたか思い出し、状況を理解する。


 彼女はしおらしく、しょぼんとうなだれる――だけではなかった。


 もちろん、彼をひどく心配させたのだろう、迷惑をかけただろうことは本当に、心の底から申し訳ないと思っている。だが、彼の言い分にはカチンと来る部分もあった。


 こっちだって魔法使いに言ってやりたいことの一つや二つあったのを思い出し、きっと青年を見上げる。


「そっ――それを言うなら、魔法使い様だって同じです。わ、わたしのことばっかりだったじゃないですかっ……!」

「それのどこが悪い!?」

「悪いに、決まっています……!」


 言い分を聞こうじゃないかとでも言いたげに魔法使いがぐっとこらえ、眉根を寄せたまま待っているのに励まされて、フローラは続けた。


「あ、あのですね……! 以前、嵐の晩にお出かけになった時も思いましたけど、あなたはもっと、ご自分のことを大事にするべきなんです」


 相手が危険な目に遭って心配していたのはお互い様だと反論してみせる彼女に、魔法使いは更に表情を険しくした――と言うよりかは、なんだか拗ねているような顔になった、気がする。


「私の方は別にいいだろう。男だし」

「よくありません! ま、魔法使い様は、ご自分のことに、頓着しなさすぎます! わたしが、あなたが危なそうなことをする度に、どれだけ怖い思いをしているか――」

「なっ――そ、そんなこと言われても!」

「なんですか!」

「うっ――こ、怖かったと言うがな! あなたがいなくなるかもしれないと思った私の方が怖かった、絶対に――」

「いいえっ、わたしの方が――」

「いーや、私の方が――」

「おーい。もう、その辺でいい?」


 唐突な横やりに、二人とも文字通り飛び上がって、急速に距離を開けた。重なり合っていたシルエットが、きっちり二つに分かれる。


 音の鳴る勢いでぐりんと顔を向けた方向には、左右に犬を従え――いや、なんだかこちらに飛びかかりたくて仕方ないという感じに尻尾を振りながら走ろうとしている二匹の首根っこをがっしりとつかんだ状態で、朗らかに笑う少年の姿があった。


 あ、とフローラは口を開ける。ディアーブルに引き合わされる直前、町で彼女に精霊を呼ぶ呪文を教えてくれた彼だ。


 どうしてここに、と困惑する彼女に、魔法使いがなにやら下を向いてもぞもぞやっていたかと思うと、さっと石版を向けてくる。


『あれは、からの大精霊だ』

からの、大精霊……様……?」


 フローラは目を丸くする。


 確かに、ファーストコンタクトの時もまるで一般人には見えない立ち去り方をしていたから、力のある精霊なのだろうな、とは思っていたが……大精霊とは、彼らの中でも最上位の特別な存在の事を言うのではなかったか。


 この、なんかすさまじく軽い感じの少年が、大精霊。


(……いいえ、そんなっ! 別にそんな、軽んじるようなことは!)


 うっかり沸きそうになった邪念を振り払おうと首を振る。彼女の内なる心を知ってか知らずか、大いなる人外はさわやかに挨拶をしてくる。


「やあやあ、君の記憶では二度目ましてかな? まー、たぶんなーんも覚えてないし、わかってないだろうからちょっとだけ疑問に答えておくとだね。ぼくはニンフェの一族と過去に因縁があるんだ。君に最初にサービスしてあげたのも、君がぼくの喚びだし方を知っているのも、そういうわけだよ」


 さらり、と何か大事なことを教えてもらった気がするのだが、あまりにあっさりすぎてこちらもはあ、で終わらせてしまいそうになる。


 フローラが何か言う前に、大精霊はさっさと話題の矛先を魔法使いの方に振ってしまった。


「でもさー、君も君だよね。ぼく、珍しくちゃんと事前連絡までして彼女のことを頼んだのに、あっさりあんな悪霊のなり損ないに襲われてピンチ作っちゃうとか、何やってんの?」

『そんな親切なものがあった記憶は、終ぞないが……』

「えー、言ったよー? 朝、わざわざ出かけてって、まだ寝てたから耳引っ張ってたたき起こしてさ。今日うちの子送るから、面倒見てねって、変な奴に追いかけられてるから、守ってねって」


 ニコニコ言う大精霊の左右で、ワンワンと二匹の犬がフローラに向かって吠えたてるが(今度は彼女もおびえずに済んでいる。隣に魔法使いがいるし、どう見ても犬たちは嬉しそうだからだ)、たぶん前回の教訓なのだろう、少年は動じず彼らを離さない。


 一方、魔法使いの方は数拍分沈黙して固まっていたが、何か思い出したようにぽんと手を叩いてから、石版上で絶叫している。


『ずっと引っかかっていたあの日のあれは、そういうことかっ――!』

「ん? まさかとは思うけど何、もしかして君、寝ぼけてたの?」

『十年間のつきあいだろう、前にも何度か見てるだろう、俺の寝起きは最悪だって、起きた直後の記憶は後で飛ぶって、いい加減学べよ!』

「ええー。大精霊、些末なことをいちいち覚えてらんないからー」


 魔法使いの寝起きは半覚醒状態、性格ががらりと変わる上に、意識がはっきりしていないことは、フローラもよーく知っている。あの状態で何か言われたとしても、正気に戻ったときにきちんと覚えていることはまず無理だろう。


 些末なこと、とばっさり切り捨てられた彼に少々同情していると、やはり色々納得できないところがあるのだろう。ジト目の魔法使いが、どこか恨みがましく文字を表示し続けている。


『大体、元からして不親切じゃないか。精霊を喚ぶ呪文を教えるぐらいなら、どうして彼女に張り付いてそのまま助けなかった。あなたが最初から守っていたら、そもそもディアーブルをあそこまでのさばらせることもなかっただろうに』


 フローラは魔法使いに言葉にしてもらって初めて、漠然と思っていた気持ちが形になったような気がした。


 そうだ、別に大精霊に助けてもらいたいなんておこがましいことは思わないが、ここまでちょっかいをかけてくるのに手の出し方が中途半端というか、そういう部分は感じていた。


 ――大精霊は、しれっとしていた。


「ぼくの力はやすやす使っていいものじゃないんだ。貸してあげてもいいけど、試練を乗り越えなきゃいけない。それが理というもの」

『もっともらしいことを言っているが、本当のところはどうなんだ?』

「せっかく全部忘れられてるみたいだし、それなら思わせぶりに立ち回った方が色々盛り上がりそうだなって。まあ、最悪悪霊と結婚しちゃっても、精霊に問題ないならぼくだってあまり怒られないし、闇落ちしたぐらいでぼくは君を見捨てたりする狭い器じゃないから、安心するといいよ!」

『ふざけるな! お前はそれでいいのかもしれないが、こっちには大問題だ、この快楽主義者め!』

「なんで怒るのさー!?」


 どんなにあどけない少年らしく振る舞っていても、人外はやはり人外だったということだ。


 遊びの一環で助けられたが、同じく遊びの一環で危機を放置されたらしいということまでわかって、フローラも思わず遠い目になる。



 すると、それまで軽薄な調子で通してきた少年がふと真面目な顔つきになった。


 つられるように、人間の二人も思わずぴんと背筋を伸ばす。


「でも、あくまで物事の主体が君たち自身でなければいけないのは、本当。選ぶ側から選ばれるだけの側に変わるということは、義務と同時に権利を放棄するということ。いざって時、奇跡の力に頼るのは構わない。でも、頼るのが当たり前になったら、少しずつ人間を離れていく。君たちはとても怖い思いをしたね? それをけして忘れてはいけないよ。怖くなくなったときから、人でなくなってしまうから」


 諭すように言われて、フローラも魔法使いも神妙にうなずいた。


 二人の間にできてしまっている距離を、フローラの方からちょんと動いて詰める。


 そっと硬く大きな掌にきゃしゃな手を重ねると、青年はびくっと一瞬驚いて体を緊張させるが、直後に力を抜き、彼女の方を向いて優しい目を返してくれる。


「魔法使い様は、しっかりしているようで、危ない所もある方ですから。わたしが、見守ります」


 さっき、口論しかけてフローラは改めて思った。

 この人は、独りで暴走させると危ないところまで行ってしまう人だ。だから、自分が側にいて、時々引き留めてあげたい。

 ――この人に、必要な人間で、ありたい。できればただの家事手伝いというだけでなく。


 余計な卑屈さを感じることもなく、素直にそう思うことができた。


 触れあった指先から、頭の中に低く落ち着く低音が響く。


(……俺だって、あなたのことを二度と溶けさせるようなことにはさせない。あなたを守る。この手で)


 手の位置関係が一度逆転してからもう一度解かれ、収まりどころを探るように何度か試してから、指を絡ませ合って落ち着く。



 二人が見つめ合い、意味深な眼差しを交わすのを見守ってから、ふっと息を吐き出した大精霊がようやくお供達から手を離す。


「さてと。ぼくはもう行くよ。あとは人間同士で頑張ってね」


 やっと自由行動できると思ったらもう帰るの!? とワンワン不満そうに吠えている声を無視して、大精霊は気ままにまた無に戻ってしまおうとしている。


 たちまち薄くなっていく彼に、はっと気がついた少女が慌てて呼び止めた。


「あの! ……最後にもう一つ、お聞きしてもいいでしょうか?」


 大精霊は半透明になりつつも、淡くきらめくエメラルド色をこちらに向ける。肯定の態度を受けて、少女はふと浮かんだ疑問を投げかける。


「最初に、呪文を唱えて、お願いをしたとき。どうして、魔法使い様のところに、わたしを送ったのですか?」


 少年はフローラの質問に、なんだそんなことか、と言うような顔をした。こともなげに答える。


「安全な場所に逃がしてってお願いしたんでしょう? それなら知っている限り、最も安全な人間の側に送るのが、一番じゃないか」


 空の大精霊(ぼく)が言うんだから間違いないよ、だから下位精霊達もそうしたのさ――。


 少年の言葉は余韻を残しつつ、姿と共に消えていった。




 しばらく、晴れた日の空の下、広大な草原の中で、手をつないだまま二人は黙り込んでいる。


 何度か互いに目をぱちっと合わせては、なんとなくうつむいて、を繰り返す。


 そのうちに、おずおずとフローラは切り出した。


「ところで、魔法使い様……」

『なんだ』

「気のせいでは、ありませんよね? 先ほど、喋っていらっしゃいましたよね? どうして途中から、筆談に戻っていらっしゃるのですか……?」


 痛いところを突かれたのか、魔法使いは甘い雰囲気のとろけるような微笑みから、一気に真顔に戻った。


 だんまりを決め込もうとしたが、琥珀色の瞳にじーっと見つめられると、負けたのか渋々石版を出してくる。


『……その、喋るのが、大分久しぶりだったから疲れたし……こちらの方が落ち着く』


 目をそらした彼に向かって、フローラはそれ以上なんと言ったものか迷い、引きつった笑顔のまま硬直する。


 ――でも、彼らしいと言えば、彼らしい。


 思わず笑い声を漏らしてしまった彼女に、魔法使いはむっとしたような顔を向けたが、すぐに毒気を抜かれたようにこちらも苦笑がちの笑みを浮かべた。




 が、それがまたすぐに引き締められたので、フローラも笑うのをやめて緊張する。


 二人の耳に、何かが近づいてくるような物音が届いた。

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