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花嫁逃亡3

 求婚者との初めての顔合わせの日、ごてごてと着飾られたフローラはすっかり縮こまっていた。


 今まで服と言えば、しみが取れなくなったか穴の空いたような古着しか与えられず、自分で裁縫をしてなんとか昔の物を着続けていたのに、どうしたことだろう。

 おろしたての新品ドレスに身を包み、靴まで新調してもらっている。

 まるで自分がイングリッドにでもなったような気分だ。


 身支度をととのえるのに手伝いがついたのも初めてのこと。

 そもそもほとんど使用人だったフローラは、どこかに行くのにわざわざ着飾るという概念をもたなかった。

 それに手伝ってはくれた彼らも、髪を引っ張ったり物をぶつけたりと、所作がぎこちないどころかどことなく悪意を孕んでいる。 

 今までカンの強いイングリッドの担当はフローラに任せきり、パーティーやおめかしして行く場所に着飾っていくときの準備を細かく知っているのは、使用人たちよりもむしろフローラだった。

 同じ身分だと思っていた彼女だけが、急に主人のようになっておめかしを始めたのが気に入らないのかもしれない。

 フローラは使用人たちにも舐められていた。


(わたしのせいじゃないのに……)


 コルセットを絞られた時必要以上に紐を引っ張られたように思ったのだけど、文句を言える彼女ではなかった。

 そんな些細な過程はともかく、叔母の監督もあったし、一応仕上がりはしたわけだ。

 ここまで至れり尽くせりになると、恐縮どころか恐怖を覚えそうになってくる。


 けれどドレスの色々な丈や胸のかさ等ところどころ合っておらず(おかげでごまかすために詰め物をする羽目になった)、色もフローラに合わないであろう派手な赤基調だったこと、デザインが大分襟のつまったものだったことから、推測できることがある。

 これもイングリッドのお下がり――というより、本当はイングリッドにあげるために作ったが、本人から気に入らないと拒否され、衣装棚の底にでもしまわれていたのだろう。自分のために作られたもののはずがない。


 馬子にも衣装とは言うが、明らかに服に着られている無様な様と、ありのまま通りみすぼらしいが等身大の様子なら、一体どっちの方がましなのだろう?

 フローラにはわからない。

 求婚者に気に入られるとはとうてい思えないが、せめて機嫌を損ねることはしたくないのだが。



 苦しい呼吸を我慢して、馬車に案内される。付き添いは叔父と叔母だ。イングリッドは留守番――というより、どこかにまた遊びに行ってしまったらしい。

 彼女がついてきたらついてきたで、間違いなくフローラよりも目立つから、これはもしかしたら叔母たちの配慮もあったのかもしれないが。


 行き先はやっぱり、フローラは行ったこともないような高級レストランだった。

 イングリッドがデートに時々使っていることは聞いていたが、まさか自分が足を踏み入れる時が来るとは。

 相手は貴族らしいのだもの、迎える場所も選ばなければなるまいということだろうか。


 先に席について待っている最中、きらびやかな周囲の中、自分一人がとても不相応な気がして、フローラは落ち着かない。


「ほら、そんな辛気くさい顔するんじゃないよ! 猫背もおやめ、みっともないね!」


 ばしん、と叔母に小声で叱られつつ叩かれ、慌てて背を伸ばす。

 彼女はフローラの顔をのぞき込んで顔をしかめた。


「まったく、その鬱陶しい前髪も切ってくればよかったかねえ」


 フローラは震えた。血相を変え、唇まで真っ青になる。

 前髪を切られるのだけは、嫌だ。

 それだけは明確に拒絶の姿勢を示す。

 見せたくもないものを見せなければならないし、見たくもないものを見なければならなくなる。


 けれど叔母も本気で切ろうという気はないのだろう、一言だけの小言を終えると、今度は叔父と小さく何か話している。

 ほっとした一方で、それはそうだろう、と自嘲する。


 だってフローラが目が隠れるほど前髪を伸ばす一番のきっかけになったのは、彼らなのだ。

 何度言われたことだろう?



 ――その気持ち悪い目をこっちに向けないで、落とし子め!



 うつむいていつもの通り琥珀の瞳を隠そうとしたが、姿勢を伸ばさなければ叱られる。

 目元が熱い。自分がとても惨めだった。どうしてこんな所にいるのだろう?

 この先実際のフローラを見た求婚者に破談にされる未来も容易に想像できて憂鬱だ。

 どうせ駄目だと予想はしていても、やはり拒絶されるのは、つらいものがある。

 談笑している叔父叔母の横で、コルセットのきつさも手伝い、フローラの気分は悪くなる一方だった。




 長く待ったようでもあり、実は一瞬のようでもあった。

 ざわめく気配に叔父と叔母が立ち上がって挨拶するので、慌ててフローラもぼんやりしていた状態から気を取り直し、後に続く。


「ああ、堅苦しくせずとも構わない。余計な前置きは結構」


 声は低い。態度は身分相応にと言うことなのだろうか、率直に言ってしまえば高圧的だ。

 服装は遠目には地味な方だが、見た目だけ華美なその辺のものよりずっと手がかかっているものであることがフローラにはわかる。

 イングリッドに付き合わされていたことが、こんなところで役に立つとは。


 やってきた男の顔立ちは整っている方だと思う。思っていたより若いらしい、と横顔を見て感じる。

 ところがその冷ややかな美貌を視界に入れた瞬間、フローラの全身が凍えた。


「花嫁はどこだね?」


 ディアーブル伯爵の瞳は青色が特に薄く、非常に神経質で冷たい印象を与える。

 かなり長身で背もすっとまっすぐ伸びており、小柄なフローラのことを見るときは自然と見下すような姿勢になってしまうようだ。

 けれど、この悪寒はそれだけが理由でない気がする。

 

(なに……? 一体、なんなの……?)


 フローラは思わず胸元を押さえた。

 ごてごての服越しにも心臓が激しく脈打つのが伝わってくる。

 髪が伸びてて幸いだった、血の気のすっかり失せた顔色を見せずに済む。


 恐ろしい。とても。でも一番怖いのは、自分が一体何に怯えているのかわからないことだ。


(でも……なぜか、伯爵様と、目が合わせられない……)


 男は鷹揚に屋内を見渡し、縮こまっている惨めな小娘を発見する。

 目が合った瞬間、今度は強いめまいを感じた。

 一方で、男の顔一面に歓喜が広がる。

 ――にこりと言うよりは、にたりと表現した方が合っているような、粘りけをもった微笑み方で。


「あ、あの……」

「うむ、よろしい。非常によろしい。では行こうか」


 男は何度かうなずいてみせたかと思うと、いきなりフローラの手をつかみ、強く引っ張った。

 体に不調を感じていた彼女は一瞬なすがままに連れて行かれそうになるが、まるで警鐘が鳴らされるようにもう一度強く心臓が脈を打つと、はっとただちに我に返る。


「あ、あの! 行くってその、どちらに……!?」

「我輩たちの式場に決まっているだろう」


 卒倒するなら今だと思う。

 見知らぬ男の言っている意味が、最初まったく理解できなかった。

 だがフローラはなんとか踏みとどまり、声を上げる。何かとてつもなく悪い予感というか、このまま言いなりになってはいけないと、頭のどこかがやかましく警告を告げている。


 ディアーブル伯爵の見た目は洗練された美しい貴族そのもので、年も案外三十まで行ってなさそうな感じがあった。

 見た目だけなら想像よりずっといい。自分なんかには不釣り合いだと思うぐらいに。



 けれどこの感じの悪さは――漠然とした心地の悪さは、なんだろう?

 つかまれた手すら、全力で拒絶反応を示すようにざっと汗をかいているようだ。


「きょっ――今日は、その、顔合わせをする、だけって……そ、それにわたしたち、まだ、婚約もっ」

「時は金なり、善は急げだ。我輩は君が気に入った、すぐにでも結婚したい。何か問題でも?」

「な、何かって――でも、その、こちらにも準備が、色々と」

「着の身着のまま来たまえ、何も不自由はさせない」

「叔父様、叔母様……!」


 男は彼女のささやかな抵抗など物ともせず、ぐいぐいフローラを引っ張っていく。

 いくらなんでも強引すぎるに程がある。

 貴族相手とは言え、叔父叔母の家だってそれなりに裕福なのだ、人並み以上のプライドだってある。

 会食を共にすることすらせず、さすがに失礼だとか急すぎるとか、彼らも怒ってしまうだろうとフローラは焦った。


 ――ところが。


「ではここでお別れだ。幸せにおなり、フローラ」

「何も心配することはありませんよ。伯爵様がぜーんぶ、ご用意してくださいますからね」


 目を向けた先にあったのは、奇妙な笑顔をこちらに向け、何の抵抗もなくフローラを送り出そうとする二人の姿だった。


 それだけではない。

 ここはフローラとは本来全く縁のない高級店、作法にうるさく、たとえ客であってもルールを乱せば追い出されてしまう、そういう場所のはずだ。

 こんな、食事もせずに店を出ようとして――しかもフローラは引っ張られて立ち上がった拍子に椅子を倒したりテーブルの上の物を落としたりしている――さすがに店員が何か言いに来るだろう。男は明らかに不作法をしている。

 それなのに、こちらもまったく音沙汰がない。


 引きずられていくフローラの目の端に、叔父や叔母とまったく同じ表情で二人を見送る店員たちの姿が映る。不釣り合いなカップルの門出を、祝福して拍手すらしそうだ。


 彼らの何が決定的におかしいかと言うと、目が笑っていない。

 今や大分遠くなってしまった叔父と叔母の目も、まるでガラス玉のようだった。

 

(おかしい……やっぱり何か、変だわ!)


 さすがのフローラも、このあからさますぎる異常事態において黙って従う気にはなれなかった。

 彼女の常識も、許容できる部分も大幅に超えている。


「あの……あの! 待ってください、やっぱり急すぎます! それに、なんだか皆、様子がおかしいの、待ってください――!」


 ありったけの勇気を振り絞り、声を張り上げてみたところで、男の気配が変わった。

 くるりと振り返り、フローラに向かって視線を下ろす。

 無表情にじっと面と向かって見下ろされると、フローラは恐ろしくなって震え上がった。


「気が弱そうで、もっと簡単に御せると思ったのに、随分激しく抵抗するじゃないか。やはり“迷い子”はひと味違うと言うことかな」


 男の言葉に何か疑問を覚えそうにもなったが、それどころではない。

 恐ろしさが限界を超えて何も考えられない。

 ただ、このままではいけない、危ない、とだけわかっている。

 わかっていても、捕食者に睨まれた被食者のように、凍り付いたまま相手に食べられるのを待つしかない。



 彼はフローラが騒がなくなったのに気をよくしたのか、くっと口の端をつりあげると彼女の顔に手袋をしたままの手をかざした。


「眠りたまえ。次に起きた時にでも説明してやろう。……もっとも、意識を取り戻せたらの話だがな?」


 視界を覆われると、一層頭痛が増した。フローラは頭を抱える。


(頭が、割れる――!)


 自分が悲鳴を上げたような気がしたのを最後に、彼女の意識は闇の中に吸い込まれていった。





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