あなたのための魔法1
緊張が解けて泣きそうになっているフローラを前に、男二人はにらみ合う。参列席の骸骨達は静まりかえり、事態の推移を微動だにせず見守っていた。
ディアーブル伯爵は、最初こそ突然の闖入者に度肝を抜かれたようだったが、すぐに――たとえそれが表面上でしかないのだとしても――落ち着きを取り戻し、不敵な表情を浮かべる。
祭壇の前、寝かせたフローラを渡すまいとでも言うようにしっかり仁王立ちし、下方の魔法使いを見下した。
「まるでどこぞの三文小説みたいな素晴らしい飛び込み方をしてきてくれたが、神聖な式をぶちこわしてくれたからにはそれなりの言い分はあるのだろうな?」
三文小説、と言われた瞬間、ピクッと一瞬だけ魔法使いが何かすさまじく言い返したそうな顔で反応したような気もするが、定かではない。伯爵は気にせず胸に手を当て、きざったらしいポーズをつけて続けた。
「我輩はジャン=ピエール・ド・ディアーブル。爵位は伯。さて、招かれざる客人よ。貴公の身分を聞かせてもらおうか」
フローラは魔法使いの登場でほっとしかけた気持ちが再び凍り付くのを感じる。
諸々の変態行為等々で吹き飛びかけていたが、ディアーブルという男は爵位持ち――それも伯ということは少なくともそれなりの領地を持つ貴族ということを意味する。
王侯貴族が国を治めることが一般的なこの世界では、明確に支配者と被支配者という階級が存在する。
階級のある君主国家において、人は生まれたときから不平等だ。支配者を受ける立場の人間なら厳罰に処されても、支配する立場の人間が同じことをしてほぼお咎めなし――残念ながらそういったことだってあり得る。
だが、露骨に力の行使をちらつかされると、魔法使いは引くどころか逆にさっと微笑みを浮かべた。
『人のことを三文呼ばわりしてくれた割にそちらの台詞も陳腐じゃないか』
「……なんだと?」
どうやらさっき言われた言葉、やっぱり何か勘に障ったらしく、根に持っていたらしい。思いがけない彼の悪い顔に、フローラは胸がキュンと切なく高鳴るのを感じる。
――キュン? 何故ここで、キュン!?
フローラは一人歩きしそうになる自分の心情に混乱する。ディアーブルの陰謀を疑いかけたが、この場合のみは、彼女が勝手に魔法使いの思いがけない表情に萌えているだけなので完全にとばっちりの言いがかりである。
『私はランチェの魔法使いだ、国家資格も持っている。ランチェの騎士はたとえ魔法を使えても国家や主に仕えるが、魔法使いの主は魔法と自分の心身のみだ。我々は基本的にすべてに対して中立の立場。そして今は、不当の告発者だ』
「不当? 何が不当だと言うのだね」
ディアーブル伯は普通に喋っているが、魔法使いは相変わらずの筆談(?)なため、若干シュールな状況だ。両者が真面目な雰囲気を強めるごとに、場の滑稽さも際立つ。
『ディアーブル伯、あなたには数々の容疑がかけられている』
「と、いうと?」
『まず、あなたは伯爵と名乗っておられるが、どこの領地を治めていらっしゃるのか』
「君の知らない遠くの領地だ」
『ならばなぜランチェ語を語る? 名前と名字の間にドを間に挟む名乗り方をするのは、ランチェに連なる王族あるいは貴族の特徴だ、知らないとは言わせない。そもそも、悪魔なんてふざけた名前、神聖の名を賜るランチェが認めるはずがないのだがな』
「……お前の知らない遠い昔にさかのぼる由緒正しい系譜なのだろうさ」
『建国時からの公式記録を全部当たった上で、そんな家系は存在しないと言っているんだ』
……あれ、魔法使い様って世捨て人だったはずだけど、案外国のルールや歴史、作法にも詳しいのだろうか。いや、古今東西、時代も言語もばらばらである膨大な本の群れに埋もれ、あらゆる知識を網羅しているらしいことは、知っていたのだけど。
フローラはちょっとした違和感に内心首をかしげている。
ディアーブル伯爵は魔法使いに反論されればされるほど、イライラを募らせているらしく、笑顔を保とうとしつつも眉間にしわを寄せ始めている。
「では逆に、ランチェとは関係のない貴人なのだろう」
『ランチェ貴族の詐称、ランチェの名を騙った悪質な所行という点で、無関係とは言えない。さらに言うなら、あなたの今までの妻のうち三人はランチェ人で、いずれも捜索願いが出されたまま行方不明だ。うち一人はランチェの宮廷魔道士。あなたは彼らの失踪の有力な重要参考人だし、現時点で既に誘拐と殺人の容疑もかかっている』
「何を根拠に、根も葉もないことを。第一宮廷魔道士なんて華々しいものではない、たかが田舎の子爵の末娘、魔道士候補だったはずだが?」
ゆるい誘導尋問に、意図してかそれとも素だったのか、ともかくディアーブル伯爵は引っかかった。
はっとなったフローラの視線の先で、魔法使いがふっと鼻を鳴らした。
『語るに落ちるとはこのことだな。あなたが真にランチェ貴族なら、最初に私が名乗った時点で位を尋ねるべきだった。あなたがランチェと無関係だとあくまで主張するなら、妻のことは何も知らないで通すべきだった。あなたの言っていることは中途半端で一貫しない。そして今現在もランチェで保護中の女性を無理矢理拘束している。そろそろそちらも取り繕うのには飽きてきているのだろう? さあ、悪あがきや無駄な抵抗はここまでにして、ご同行願おうか』
ディアーブル伯爵は静かに魔法使いを見下ろしたままだったが、急にまた笑みを深めると、祭壇上の生け贄の顔の横にとんと手をつき、露骨な猫なで声になる。
「そんなに必死になってどうする。貴様、色々と並べ立ててはいるが、結局はこの女が惜しいだけだろう? この女のために、わざわざ手間暇かけて下調べはしていたし、こんな場所までご足労いただいたというわけだ」
指摘され、フローラは大いに動揺した。が、魔法使いは引かない。真顔のまま、間髪入れずに石版を掲げる。
『否定はしない。その人は私にとってかけがえのない人だ』
(魔法使い様――!)
一瞬感動しかけたフローラだったが、すぐに浮かんだ涙の種類が変わる。
(それはきっと、生活力的な意味で、ですね――!)
悲しいかな、情熱的な口説き文句で浮かぶのはゴミ屋敷の様子だ。シリアスやロマンチックの空気にいまいち浸れきれない、絶望的生活力の破壊力である。
ディアーブル伯爵は大きく息を吐き出した。
「……なるほど。要するに貴様が、どうあがいても我輩を悪者に仕立てあげたい邪魔者だということは、よーく理解したよ」
『実際あなたは極悪人だろう?』
「そうとも。だから今更我輩がどれだけ悪いことをしてきたか並べ立てられても改心なんかしないし、裁かれると聞いてはいそうですかとおとなしくついていくような馬鹿でもない」
聖堂内の雰囲気が変わった。静まりかえっていた周囲が不穏な物音に包まれる。骸骨達が一斉に動き出すのを見て、フローラは胸の中で悲鳴を上げた。
ちらりと周りを囲む敵意を一瞥した魔法使いが、肩をすくめ、ディアーブル伯爵に文字を見せる。
『やめておけ』
「これ以上の話し合いは無駄だ。ほしいものがあるなら、言いたいことがあるなら、力尽くでねじ伏せてみろ!」
伯爵の高笑いを合図に、重なり合った骸骨の群れが、雪崩のように、波のように、魔法使いに飛びかかって、その姿を飲み込んだ。




