その結婚、待った!
「素晴らしい……やはり君は我輩の最高の花嫁だ。そうは思わないかね?」
大きな鏡の前に着替えさせた花嫁を立たせたまま、ディアーブル伯爵は満足そうに笑みを深め、何度もうなずいて見せた。
当然ながら、彼女からの同意の言葉はない。相変わらず、邪悪な魔法によって身体の自由がきかず、動けないままでいるのだ。
鏡の中に映るおそろいの色合いの衣装に身を包んだ新郎新婦は、フローラからしてみればとてもお似合いとは言いがたい。
Aラインのウェディングドレスは、黒色でありながらレースやフリル、宝石をふんだんにあしらっており、派手そのもので威圧的だった。
けれどどんなに見た目をきらびやかに飾られても、首元のネックレスは首輪のようだし、手袋は手枷の拘束具のように重く感じてしまう。
何より一番嫌なのが、普段はさほど目立たない、淡い色合いの琥珀色の目が、黒色の中だと浮いて強調されるように見えることである。
魔法使いとの暮らしの中で、自分の目に対する嫌悪感は大分薄れたフローラだったが、どう考えても彼女の目に希少価値を見出し、ろくでもないことに利用しているのであろうディアーブル伯爵に褒めそやされても、全く嬉しくない。
「ふむ。強いて文句をつけるとしたら、我輩の理想に比べて少々身体つきが貧相な点だが……まあ、構うまい。どうしても気になるようなら、いくらでも改善の手段はある。いや……君の場合は他の女と違って早々替えがきかないからな。もっと丁寧に扱わねばなるまいな」
ディアーブル伯爵は、改めて見てみれば大層な美男子だ。淡い金髪とアイスブルーの瞳、色白の肌にすらりとのびた長身という要素だけ切り取れば、少女達の憧れの王子様そのものと言っていい。
それなのになぜ、ここまで邪悪に見え、嫌悪を覚えるのか、ある意味感動するレベルである。表情がいちいち悪人そのものだからだろか、それともそう見えてしまう自分の僻目なのだろうか。
(……ひがめ? 非常識で、残酷な人であることは、確かだわ)
どれほど見た目が良かろうが、大きな城を持っていようが、財力や血筋、能力に優れていようが――いくつもされて嫌なことを経験しているし、倫理的にも問題のある行動を取っている。フローラが到底この男に好意を抱けるはずもないことは確かだった。
男はさらに顔を近寄せ、鏡ごしに呆然と見守るしかない哀れな少女と目を合わせたまま、耳元にそっとささやきかける。
「大事にするよ、我輩の花嫁」
(きもちわるい!)
ヴェールごしにねっとりとした手つきで背中をなで上げられる不快感に、思わず震えをこらえきれなかった。
彼女の様子に愉快そうに目を細めた伯爵は、ふと姿勢を正すと、花嫁のヴェールを整え、仰々しく手を差し出してエスコートのポーズを取る。
「さあ、聖堂に行こう。二人の誓いを、神聖な儀式を、やり直さなくては」
嫌だと思っていても、フローラの身体は勝手に動き、男の手を取って歩き出してしまう。
廊下を進んでいくと、長い裾を引きずる衣擦れの音がよく耳に残った。
ディアーブル伯爵に連れてこられた彼の城は、広大なわりに他に人の気配が全くせず、それがより一層不気味さに拍車をかけている。
この男のことなんて知りたくもないが、てっきり力を使って手下達をかしずかせ、こき使っているのだろうと思っていたら、誰一人見当たらない。
さらに気味の悪さを助長しているのが、荒れ放題というわけでもなく、それなりに清掃や管理が行き届いているらしい城内の様子だ。
ディアーブル伯爵が本当に一人暮らしなのだとしても、フローラの見えないところで誰かが世話をしているのだとしても、どっちにしろ不快であることに違いはない。
静寂の中、何者かがこちらをじっと見ているような嫌な気配がずっと立ちこめていて、フローラは寒気が消えず、落ち着くことができない。
しばらく静かにフローラを引っ張っているだけだった伯爵が、ふと何か思い出したようにしゃべり出した。
「そうだ、ここまでいい子にできたご褒美に、我輩のことを教えてやろうか。……そう嫌そうな顔をするな、これから長い時を二人で過ごしていくのだ。親睦を深めておこうではないか」
握られた手を今すぐふりほどきたい衝動に駆られているフローラをよそに、伯爵は勝手に喋り始めた。
「そもそも我輩の元となった男は、もともと何の変哲もない凡夫だった。これがまあまたつまらない男でねえ、器量は悪い、背筋は曲がっている、おまけに性格も怠け者で卑屈なくせに嫉妬深くて自分より優れた存在の足を引っ張ることが生きがいと来た。これほど何一つ、いいところがない人間も逆に珍しいかもしれない。クズの中のクズだな」
伯爵は上機嫌に話す。その表情も口調も、どこか酔っ払いに似ていた。
左右にずらりと並んだ甲冑の群れが、花婿と花嫁を厳かに見送る。
「そんなないない尽くしの凡夫だったが、あるとき怪しげな流れの商人に声をかけられた。なんでも、持ち主に望む物をなんでも授けるという怪しげな石が、お前を選んでいる。お前がこの石を手にすれば、望みはなんでも叶うだろう――そんな話を持ちかけられてね。実にばかばかしいだろう? 普通なら信じないか、だまされて終わりだ」
悪くなっていく一方であるフローラの顔色を、嗜虐的な笑みを浮かべて見守りながら、男は話を続けた。
「ところが、馬鹿な男はその石をあろうことか有り金はたいて買ったし、さらに幸運にもなんと“本物”を引き当てた。石の中に封じられていた悪霊は、男の望みに呼応して目を覚まし――そして、彼と契約を結んだ。この世界を不幸にすること。それが我輩の叶える望みだ」
――そうしてできあがったのが、ディアーブル伯爵という存在なのだろう。
フローラも聞いているうちに、今まで学んできた魔法の知識を思い出す。
呪われた物品を媒介に、この世に顕現する邪悪な存在と契約を結び、対価に自分の身体や魂を差し出して願いを叶えてもらう――最も忌み嫌われている禁忌の術、悪霊魔法。目の前の男は、その体現者ということなのだ。
精霊達は、時に価値観の相違から悪意なく人を困らせることもあるが、基本的には中立で、積極的に害をなそうとはしない。そもそも精霊達は幸福や楽しさ、うれしさに惹かれる気質持ちなため、負の感情の強い人間にはあまり寄ってこようとしない。
一方、悪霊と呼ばれる存在は、精霊達と真逆なのだ。最初から意識して人間に牙を剥く。人を堕落させ、負の情念を集め、世を乱し不幸を増やすことをよしとする。
だからこそ、あれほど出会った瞬間から恐ろしかったのではなかろうか。相容れない存在だと、危険な相手だと、本能的に理解していたから。
説明を受けたことで腑に落ちる部分はあったが、全く嬉しくないどころかさらに気分が悪くなる。
顔色が真っ青を通り越して紫、さらに真っ白になりかけているフローラを誘い、男はいよいよ聖堂の入り口にたどり着いた。
教会で言うと参列席にあたる場所に腰掛けている物が視界に入って、フローラは心の中で悲鳴を上げる。
花婿と花嫁を出迎え――そしておそらく、城の清掃等を担当しているのであろう彼らには一様に生気がない。
当然だ、既に骨だけしか残っていないような存在なのだから。
(スケルトン――アンデッド!)
死者、魂のない物を操る死霊魔法。悪霊ほどは禁忌とされていないが、これもまた忌み嫌われるタイプの魔法だ。
一斉に立ち上がった骸骨達が、入場してきた漆黒の新郎新婦を祝福すべく、カンカンカツカツ骨を鳴らして一生懸命拍手している。見た目といい音といい、おぞましいことこの上ない。
逃げ出したくとも、入ってきた扉がフローラ達が足を進めるのと同時にきしみながら閉じ、退路がないことを知らせてくる。
ディアーブル伯爵は聖堂の真ん中を悠々と歩いて行き、数段高くなっている所まで、引きずる勢いでフローラを引っ立てた。
男は目的地にたどり着くと、一度少女に向き直り、懐から何か取り出す。
みるからに毒々しい、赤と黒がどろどろに混じり合ったような色合いが揺らめく石を、フローラの琥珀色の目の前で振ってから、うっとりした表情で言う。
「見たまえ……美しいだろう? 今からこれを、君の体内に入れ、同化させる。そうすれば君の元から持っている力を増強させることができる上に、我輩の眷属にすることができる。我輩は君のそのおぞましく輝く目が大好きだ。迷い子、落とし子――精霊を惹きつける体質。素晴らしい、実に素晴らしい。我輩のさらなる野望のために、利用しない手はない」
うすうす、男が自分の精霊を見える目、ないし精霊に引かれる体質が目当てなのだろうということは、察していた。それぐらいしか心当たりがなかったのだし。
が、実際どのようにして利用するつもりなのか聞かされると、改めて鳥肌が止まらなくなる。
元から気持ち悪いのに、行動するほどさらに悪化しかしないのだから逆にすごい男だ。
じりじりと寄ってくる伯爵からなんとかして逃れようと、フローラは最後の抵抗を試みる。
渾身の力を込めると、わずかにだが、身体が動いた。死にものぐるいでそのまま伯爵から離れようと後ずさるが、下がった方向は残念ながら行き止まり――しかも悪いことに、祭壇だ。
迫ってきた伯爵がとんとフローラの肩を押すと、彼女の身体はあっけなく仰向けに倒れ込む。さながら捧げられた生け贄のようになったフローラの上に、伯爵が覆い被さってぎらついた目で見下ろした。
(いやっ、来ないで――へんたい!)
「ふふふ……今更抵抗しても無駄だ、邪魔者はいないと言っただろう? さあ、誓いのキスをしようじゃないか」
男の手が、男の握る石が、男の顔が、近づいてくる。
いよいよ、観念したフローラが目をつむった。閉ざされたまぶたから一筋の涙が落ちていく、その瞬間。
聖堂内に、轟音が響き渡った。
ガチャガチャと参列の骸骨達がわめき、ディアーブル伯爵がさっと身を起こして険しい表情を浮かべる。
「何事だ!」
伯爵が向けた眼差しの先、閉じきったはずの聖堂の入り口の扉が消えていた。
土煙の中、若干咳き込みつつではあるが、一人の男が駆け込んでくる。
ぼろぼろのローブに、ぐしゃぐしゃの黒髪。おまけに今はあちこち駆け回ったようで、埃まみれという散々な有様だった。
彼は居並ぶ骸骨達にも全く臆することなく、目的のものを祭壇上に見つけると、きりりと顔を澄まし、ばっと両手を上げた。
『異議あり! その結婚、待った!』
珍事に思わず驚き、琥珀色の瞳をめいっぱい開いたフローラの視界に、聖堂にやってきた侵入者の正体と、彼が高らかに掲げる石版の言葉が映り込む。
夢ではないか。自分が望んだあまり見ている、幻覚なのではないか。一瞬疑ってしまう。だが、確かに彼はそこにいた。
(魔法使い様――!)
彼女の目から再びあふれ出した涙は、もはや不幸によるものではなかった。