初めての外出4
アルチュールの町はフローラの知っているどの町よりも殺風景な光景の中にあった。
森から遠ざかり、街道を走る幌馬車内からまず見えてくるのは柵だ。それは堀とセットになっており、ゆるやかな水路を作るとともに、四方からの進行を妨ぐ機能を有しているように見える。
畑のような物はない。おそらく町の四方に広がる空間には、赤茶色の地面とそれを覆う野草の群れが散らばっている。空は青く広がり、遠くに山のようなもの丘のような何かが見える。
時折セラやシュヴァリが、どの方向に何があるのだと漠然と幌馬車の中から指を差して教えてくれるが、街道を外れたら四方が似たようなだだっ広い見た目で統一されており、あっという間に迷子になってしまいそうだ。
郊外を越え、馬を走らせたどり着いた町本体も、やはり異彩を放っている。
周囲をいかにも堅牢に見える素材でできた壁で覆われ、大層物々しく近寄りがたい雰囲気を醸し出していた。素材の色調が暗い色合いなのと、見上げるほど高くそびえる壁のせいで、ますます威圧感が増して見える。
「町……なんですよね?」
「そうねえ。防衛都市、地方都市、城塞都市――そういう表現の方が実態としては正しいのでしょうけど、なんとなーく町って昔から皆呼んでいるのよね」
人の背丈の何倍もある巨大な壁を見上げながらフローラが尋ねると、セラが少し考えながら答えてくれた。
「城塞都市ということは、お城もあるのですか? 領主様が、そこに?」
「ええ、町の中心には城もあるわよ。領主様というか、町長とか市長って感じねえ。住民の中から選ばれるの。一応国から派遣されてきているお目付役というか監視役というか連絡係というか――なんて言うの、そういう人もいるにはいるのだけど、町をまとめているのは貴族じゃないから」
「共和制ということですか?」
「かしらねえ? うちの町では貴族だとか爵位持ちだとか血筋だとか、それだけでは誰も敬わない。町にどれほどその人が貢献できるのかが、大事になってくるのよ。能力主義ってところかしらね」
ランチェは正式には神聖ランチェ王国、その名の通り君主制国家だ。フローラの出身国であるディーヘンも同様に王家が治める国。けれどここアルチュールでは、システムやルールがいささか国の他の場所と変わってくるらしい。
すなわち、自分の今までの常識が、おそらく全く役に立たないと言うことだ。
「だーいじょうぶよー! そりゃあ、いろいろな独自ルールになれないうちは困ることもあるかもしれないけど、今日は怖い人がいるような場所には行かないし、一日あたしたちがついているんだし、何かあったら守ってあげるから、ね? 泥船に乗ったような気分で!」
「セラ、それを言うなら大船に、だよ。泥船は沈んでしまうよ」
「あら!? やーねー、あたし内陸暮らしで、船なんかろくに乗ったことないから、アハハ!」
今更ながら、森に引きこもったままでいれば良かったかもしれないと若干後悔し始めているフローラの青い顔色を見て、夫妻は口々に明るく励まそうとしてくれる。が、逆効果な部分もあるような気がしてならない。
フローラが怖じ気づいて「すみませんやっぱり帰ります」と言い出す決心をする前に、大きな門の前に馬車はたどりついてしまった。
御者台からシュヴァリが門番と親しげに挨拶を交わし合う。セラも同様だ。フローラは少しどもったが、二人の知人であるためか事前に話でも通していたか、特に何か怪しまれる様子はない。
ちなみに見張り台らしき門の上にある出っ張り部分に待機している人たちと、扉の脇辺りに立っていたいかにもな門番達――たぶん彼らも騎士であり、シュヴァリの同僚にあたるのだろう――はやはり甲冑装備だった。シュヴァリの軽装はやはり非番装備なのかもしれない。
セルヴァント夫妻は見慣れぬ同行者のことを、遠くから遊びに来た知人だと紹介した。門番達、もう少し奥まった箇所にあった検閲所(?)の人間もそれで納得したらしいが、言い回しを聞いていたフローラはピンと来る。
道中の話からして、彼女が森から来たと素直に言ってしまうと、いらない面倒を引き起こすかもしれない――そういうことなのだろう。
セラが言っていたではないか。魔法使いは町と協力関係にあるが、彼に対して距離を感じている者や、もっとひどいと悪意を持っているような者も、ゼロではない。
フローラが少し前からの同居人であるということは、詐称するまで行かずとも、積極的に自分からは言わない方がいい事柄なのだなと、自然と肌で感じる。
……そんな風に、町の外の雰囲気に気圧されたり、見えない壁のようなものを感じて萎縮したりもしたけれど。
実際に町の中に入って案内を開始されると、諸々の不安や心配事は吹き飛んでしまった。
四方を巨大な壁で囲まれたアルチュールは、中心にそびえ立つ城が目立つため、今どこに自分がいるかわかりやすい。
内部の様子を一言で表すなら乱雑だ。大通り以外の道は入り組んでいて、中央部の城が見えなくなってしまうと余裕で迷子になれる。
住民達の姿はまさに多種多様、服装どころか髪や肌、目の色合いまでも全く異なる人々が、あっちへこっちへ忙しい。飛び交う言葉は基本的にランチェ語だが、各所のなまりが混ざっており、別の言語も時折人の中から漏れ聞こえてくる。
「何かの、お祭りですか!?」
「いいえ! 週に一度のお休みの日以外は、いつもこうよ!」
「いつも、こんなに賑やかなのですか……!」
「そうよー!」
人が多いところだと、声を張り上げないと会話が成立しない。
セラに手を引かれてまずやってきた大通りには、色とりどりの天幕を張った出店が所狭しと並んでいる。フローラはどこか懐かしい気になりながら、セラに買い物の指南を受けて目を回す。
「人が多いところでは、スリにも気をつけて。アルチュールはご覧の通り、いろんな人がやってくる。フローラちゃんみたいな、いかにも世慣れてない若い娘ですって顔してると、狙われやすいから、あたしたちから離れないで」
軽い調子で言われると、小心なフローラは慌てて夫人にくっついた。
が、女二人だけでは心細くとも、少し離れたところから常にシュヴァリが見張っているのだ。その安心感たるや、たいそうなものである。
彼は基本的に夫人に手を引っ張られて小走りに進むフローラの後方、少し離れた場所を悠々と歩いて自分も好き勝手に出店をのぞき込んだりしているようだが、何かあるとさりげなく二人の横に戻ってきて夫人と言葉を交わしたりもする。
「セラ、子ども達放っておいて旦那さんとデートかい?」
「いいのよ一日ぐらい、それに今日は遊びに来たこの子の案内なの。あの悪ガキどもと近寄らせたら可愛そうでしょ?」
「シュヴァリ、そりゃなんだね、どっからさらってきた子だね」
「遊びに来た知人だよ、浮気相手でも隠し子でもないから安心しろ!」
時折出店の中から声をかけられると、セラもシュヴァリも明るく返す。大声が上がるとフローラは身をすくませたが、セラが励ますように握っている手に力を込めてくれると少し落ち着く。
彼女は知らない人とは話せないでいたが、セラがシャイな子なのよ、と軽く説明すると皆それで納得したようで、それ以上は深く突っ込んでこない。
出店を見回ったり、大道芸を見たり、町の主要な施設を案内してもらったり、たまには休憩して軽食をはさんだり、セラに連れられて華やかで少々扇情的な踊り子の舞を見たり、夫妻が町のあちこちで陽気に絡まれて軽く返したり――そんなことをしている間に、あっという間に時は過ぎていく。
午後のすっかりけだるげな気配の中、まもなく日が傾いてくるかという頃合いになってセラが言い出した。
「どうする? 日帰りってことなら、悪いけど閉門の時間の都合上、このぐらいが限界だわ。もっと遊びたい、泊まっていくってことなら、あたしたちの家の空いている部屋を貸すけれど」
「いえ……」
何気なく振られた話題に咄嗟に返してしまったフローラは、琥珀色の目をきょとんと瞬かせ、それから慌てる。
けれど夫妻が優しく彼女の言葉を待っていると知ると、改めて二人に向き直り、頭を下げた。
「今日は本当に、ありがとうございました。色々、知らない体験をできて、本当に楽しかった。でも、やっぱり、わたし……」
「彼がいないと、物足りない?」
「はい――えっ? えっ!?」
「そんな顔してたわ、ずっと。一瞬楽しそうに目を輝かすけど、すぐに隣を見て、がっかりするの。今日のあなた、一日ずっとそんな調子よ」
うろたえるフローラをちょっと小突いて、セラは豊満な胸をばばんと張る。
「でも、ま。まるっきりつまらないってわけでもなさそうだったし、それならこっちも企画した甲斐があったわ。ね、シュヴァリ」
「ああ」
「本当に、ありがとうございました。おかげで危険もなく、楽しく一日を過ごすことが出来ました」
「何よりだ。これからもセラとは交流が続くだろうけど、何かあったら積極的に俺も頼ってくれ」
夫妻の気さくさと親切さに涙ぐみそうになったフローラだったが、不意にセラがあっと声を上げると驚きで引っ込む。
「いっけない! あたし、今日のためにフローラちゃんにお土産セットを作って用意していたのに、今朝方家に置いて来ちゃってそのままだわ!」
「え? いえ、そんな、ただでさえご迷惑をおかけしているのですし、お構いなく……」
「駄目よ、あなた、ただでさえお買い物も少なかったんだから。選ぶのはほとんど、魔法使い様のものばかりだったし」
「そっ、それは――」
「家にあるなら、取りに行ってこようか? 俺の方がたぶん往復が早い。君は彼女を連れて先に門の馬車のところまで行っててくれ」
「そうねえ、そうしてもらえる? たぶん玄関にあると思うの」
「本当に、何から何まで、ありがとうございます……」
恐縮するフローラだったが、シュヴァリが申し出てセラが頼むと、それ以上拒否するのもかえって失礼だと謝罪の言葉を感謝に変える。
シュヴァリと別れ、女二人で門に向かう途中、再びセラがあっと声を上げて立ち止まり、彼女にしては小声で話しかけてくる。
「そうだわ。馬車に乗る前に、お手洗いを済ませておきましょうか。移動の途中で行きたくなっちゃっても困るし」
「それは、確かに……でも、寄り道をして、シュヴァリさんをお待たせしてしまったり、閉門時間に遅れたりしませんか?」
「やーねー、そのぐらいなら大丈夫よ。それにうちの人は夜間出入り許可証を持っているから、最悪日が沈む前に町を出ていればあたし達の方は問題ないわ。さすがにそこまで暗くなっちゃうと今度はフローラちゃんの帰り道が心配だから、もう少し明るいうちに森に着きたいとは思うけれど」
セラにうながされ、手近な店――出店ではなく、フローラも慣れた建物タイプの喫茶店のようだ――に入る。
先に出てきたフローラはおとなしく案内人を待っていたが、ふと何気なく見渡した先、こちらを見つめている人影に心臓が止まりそうになるほど驚愕するのを感じる。
「――イングリッド?」
美しい金髪、明るい青い瞳、派手な容姿。
間違いない、両親をなくしてからは、一番身近な人だったのだもの。
見慣れぬ服装に身を包んでいるが、店の外で立ってこちらを見据えているその顔を、フローラが見間違えるはずもない。
――だが、その青い瞳が、妙に温度がないというか、凍えそうになるほど冷え切っているのは、なぜなのか?
――いや、それよりも。どうして、どうやって、ここに彼女が――。
衝撃のあまり棒立ちになり、危うく呼吸まで忘れかけたフローラの視線の先で、従姉妹はくるりときびすを返す。
「あ――待って――イングリッド。待って!」
店から飛び出し、脇目も振らずたなびく金髪を追いかける。
見知らぬ町の日は傾き、赤みがかった光の中、逃げる女の影が妖しく伸びてゆらゆら揺れていた。