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初めての外出3

 魔法使いとの名残惜しい別れ(というと大分大げさだが、本人達の心境としてはそんなものである)を済ませ、森から出て歩き出すと、セラが小声で耳打ちしてきた。


「あたしはお邪魔虫だったかしらね?」

「い、いえ……そもそも、セラさんがお出かけを誘ってくださらなければ、わたしたちも話す機会がなかったままだと思います」

「あの子はなんだかんだ素直な方だから、変にこじらせたりしなければいずれ解決するだろうとは思っていたけどね。まあ、後で思い出してみればくだらないようなことでも意地になっちゃうと大事になることもあるし、こればかりは一概に言えないわね。何にせよ、あなたたちが仲直りしたならよかったわ」


 ほんのり赤く染まった頬を軽く押さえるフローラに向かって笑いかけたセルヴァント夫人が、ふと前方に顔を向けると、大きく手を振った。


 森から少し離れた場所に見える影の上から、誰かが彼女に向かって手を振り返してくる。


 近づいてみるとそれは幌馬車であることがわかった。おそろいの美しい栗毛を持つ二頭の馬が、お行儀良く待機しつつもぶるると鼻を鳴らした。


 その馬たちに軽く声をかけた後、御者台からひらりと飛び降りた壮年の男が、フローラに向かって白い歯を見せる。


 セラがいたずらっぽい笑みを浮かべた。


「紹介するわ、フローラちゃん。これが夫のシュヴァリよ。シュヴァリ、この子がフローラちゃん」

「初めまして、かわいらしいお嬢さん。シュヴァリ=セルヴァントです。それから馬車を引いてくれる相棒達、ヴェルセールとアルバンもよろしく」


 なんとなくあまり男臭さを感じさせない魔法使いと違って、シュヴァリ=セルヴァントは露骨に体も大きければ眉も濃く、彫りが深くて髭も生やしており、ともすればフローラの苦手な男臭い男そのものの見た目をしている。


 だが、萎縮せずに済むのは、全体的にこの手の見た目をしている男と比べて小綺麗でさっぱり整えられたような感じがするのと、茶目っ気たっぷりにウインクして馬のことを紹介したりする愛嬌があるからなのだろうか。


 やや緊張しながらも、フローラは握手しようと手を差し出す。


「は、はじめまして……フローラ=ニンフェ、です。よろしくお願い、します」


 握った手は大きくて、手袋越しにも硬い感触が伝わってくる。


 そういえば魔法使いの手は――フローラより大きくてシルエットがごついことは確かだが――男のものにしては綺麗な方だった、と何気なく思い出す。


 彼は肌も綺麗だった――というところまで思い出しかけてから、何を考えているのだ不埒な、と慌ててもやもや働きそうになる思考を打ち消す。


「フローラちゃん、そんなわけで今日は体力馬鹿のこの人が一日男手としてついてくれるから、足なり荷物運びなり、存分にこき使ってやって」

「い、いえ、そんな……あの、お仕事のお邪魔に、とか」

「今日は非番です、だから暇人です。どうぞ御意に、奥様、お嬢様。なんなりとご命令を」

「ね? こういう人なのよ、遠慮なんかしなくていいから」


 セラが夫人、すなわち既婚者の人妻であり、森に至るまでの道中を夫に送り迎えしてもらっていることは伝え聞いていたが、実際夫の方に会うのは今回が初めてになる。雰囲気はセラにそっくりだった。


 彼もまた金髪だったが、それ自体かなり茶色に近い方だったし、瞳の色もブラウンなためか碧眼より優しく親しみやすい印象を受ける。


 立派な剣を腰に帯びていたが、重々しい全身を覆うような金属の甲冑などは身にまとっておらず、銅や腕、腰、すねなどの急所と思われる箇所だけさりげなく素材の特定できない何かで防御されている。


 フローラの知っている騎士の姿よりは大分軽装に見えるが、これが土地柄や国柄によるものなのか、それとも今日が非番だから軽い格好をしているだけなのか、森から出たことのなかった彼女にはわからないことだらけだ。


「さ、乗って。町まで行こう」


 促されて、セラとともに幌馬車の荷台の方に乗る。


 御者が巧みなのか馬車が良いのか、動き出してもさほど揺れが気にならないのは幸いだった。粗悪な馬車は座っているだけで疲労を溜め、腰やおしりを痛めるものだ。その辺りの心配をせず、会話に花を咲かせていられるので楽しいばかりである。



 セルヴァント夫妻はにぎやかなおしどり夫婦だった。やりとりを聞いているだけでも飽きない。



「ああもう、駄目ね。あたしたちばっかり話しちゃって。フローラちゃんは、何かない? 話したいこととか――せっかくだから、あたしたちに何か、聞いてみたいこととか」


 しばらく二人の会話を聞くだけになっていたフローラだったが、ふとセラにそうやって会話の矛先を向けられ、少し思案してから切り出す。


「セラさんと、シュヴァリ様は……」

「ん?」

「なあに、様なんて偉い人じゃないわよ、もっと気安く呼んでやって」


 御者もセラも人懐こい笑みをフローラに向けて見せたが、彼女は恐縮するような姿勢が崩れない。まだ、見慣れないセルヴァント夫君の存在に緊張しているのかもしれない。


「魔法使い様とは、その……いつから……?」


 間を置いてから、まずシュヴァリが答えた。


「つきあいは、もう十年ぐらいになるかなあ。俺の方は、ちょっとお互い気まずいところもあって、あまり顔を合わせられていないんだけどね。セラにいつも任せっぱなしだ」


 苦笑しつつも話してくれる彼に続き、セラが優しい目をフローラに向ける。


「昔の彼のことが気になる?」

「……魔法使い様は、その。わたしがこういうことを知りたがるのは、お嫌なのかも、しれませんけど……」

「あの子はあまり、過去をしゃべりたがらないからねえ。あたしたちも、詳しい素性については知らないの。十年前にどこからともなくふらりと現れた。まだ、こーんなちっちゃな男の子だったわ。街道で行き倒れていたのを、うちのが拾ってきたの」

「十年前は、アルチュールの騎士といえば命がけの仕事でね。毎年、殉職者が絶えることがなかった。覚悟を決めてやってきた身としても、家族ができてしまうと時折出かける足が止まりそうになることもあったんだ」

「あたしも、夫の仕事や、彼のことを尊敬はしていたけど……警鐘が鳴って飛び出していくのを見る度に、生きた心地がしなかったわ。一度魔獣に襲われてしまうと、遺体が見つからないようなこともあったから」

「だから、いつ襲われるかもわからない、街道で倒れている男の子のことを、そのまま捨て置くなんてできなかった。……でもまあ、今思うに、俺が泡吹きかけて血相変えたほどには、あいつの方は切羽詰まってなかったんだろうな。襲われたって、問題なかったんだろうし」


 夫婦は交互に、フローラに向かって話を続けてくれる。シュヴァリは顔を荷台の方に向けてきていないとは言え、馬を操りながらだから器用なものだ。


 フローラは魔獣の話に身をすくませつつも、おとなしく続きを待つ。


「この人が連れてきた縁で、身寄りのなく行く当てもないあの子はうちでしばらく面倒をみることになったの。それで、恩を感じたのかもしれないわね。ある日、魔獣に怪我を負わされて帰ってきた夫を見て、声をかけてきたの。俺がやっつけてこようか? って。……そうよ。そのときはまだ、あの子は喋ることができていた」


 フローラがセラの言葉に敏感に反応すると、夫人は悲しげな顔を浮かべて彼女の予想を肯定した。


「あたしたち、もちろん、彼が冗談を言ってるか、子どもだからものがわかっていないのだと思って、そこまで真剣に相手をしなかったの。そうしたらね、仮定の話でいいから教えてくれ、魔獣が全くいなくなったら困るかって言って――」

「俺が、その方がいいって答えた。自分はともかく、家族が安心して暮らせるなら、と」

「それであの子は森に行き――森は静かになったわ。そして、もう一度会ったとき、あの子は……もう、言葉を話さなくなっていた」


 幌馬車内に沈黙が落ちる。大きなため息を吐き出してから、シュヴァリは馬に一度追い鞭をやり、話を続ける。


「おかげで、町の人は安心して暮らせるようになったのだけど。それだけの力を発揮したあの子を全く恐れないままというわけにはいかなかったし――残念な話だけど、あの子を恨む声すらあった」

「そんな……どうして?」

「アルチュールは良くも悪くも魔獣ありきの町だったから……それで生計を立てていたような人たちも、いなかったわけじゃないの。それでね……。でもね、彼は本当によくやってくれたわ。粘り強く、誠実に、町と向かい合い、力の提供を惜しまなかった。おかげで今では、あたしが森に行くことに文句を言う人もいなくなった」


 フローラの胸がちくりと痛む。今では、ということは、昔はセラが魔法使いと交流を持つことに反対する者もいたのだろう。


 シュヴァリの方があまり森に入りたがらないようなのは、その辺の事情も絡んでいるのかもしれなかった。


 うつむいていたフローラは、不意にセラから両手を握られ、驚いて顔を上げる。


「だから、あなたが来てくれて、本当によかったと思っているのよ。あなたと魔法使い様が、このままうまくいって家族になればいいなーって、おばちゃんは割と真剣に思ってたりして」

「かぞく……セラさん……!?」

「あーら、気が早かったかしら? やーねー、おばちゃんだから、うふふふふ」


 セラの軽い言葉で、深刻なムードが一気になくなった。心なしか、馬たちの足取りも軽くなる。


 その後町に着くまで、幌馬車内にはセラがフローラを軽やかにからかう明るい声が絶えなかった。

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