初めての外出2
一週間は長いようで短い。あっという間に外出の日はやってきてしまった。
服はいつも通りウエストを絞るタイプのスカートだ。深緑色の胴衣に若草色のエプロンをまとう。その上で、軽く一つに束ねた髪にリボンをつけたり、飾り襟付きのブラウスを着たりと少しだけおしゃれをして、出かける準備をする。
寝室から降りてきたいつもと少し雰囲気の違うフローラに魔法使いが目を見張り、何か言いたそうな顔をしたが、結局黙ったままだった。彼とは相変わらず軽い冷戦状態というか、お互いに何を話したらいいのかわからずにいる。
今回は森の入り口まで魔法使いが送ってくれ、そこでセラと会う手はずになっている。こちらから町に行くのにわざわざセラに森の中を往復させてしまうのは申し訳ないし、魔法使いは基本的にあまり森から出ないようにしているらしいので、折衷案としてこの形になった。
歩いている間も無言だ。出かける前の家ではフローラが散々、自分が出かけている間どう家事をしたらいいだとか、お昼ご飯や晩ご飯がどこにあって加熱してから食べてほしいだとか説明していたのだが、歩いている最中は話すことがない。
――ないわけではないが、切り出せずにいる。
もだついている間に、あっという間に森の終点にたどり着いてしまった。
セラはまだ来ていない。立ち止まると、なんとなく自然と顔を見合わせ、向き合う形になる。
そのとき、ようやくだんまりを決め込んでいた魔法使いが石版に文字を浮かべる。
『戻ってくる、よな?』
フローラが虚を突かれて瞬きだけすると、もう一声。
『帰ってきてくれるか?』
彼女は驚いて、魔法使いの顔と石版の文字を何度も見比べる。
道中、彼は不機嫌そうに見えていた。だから彼女も何か切り出し辛かったのだが、ひょっとして彼はけして不機嫌なのではなく――不安だったのだろうか。
魔法使いの家はフローラの家とは言えない。彼女はあくまで、ある日突然飛び込んできた居候だ。住まわせてもらっている身、いくら住み慣れても、家主の意向次第でいくらでもたたき出される。
今回だって、本当に魔法使いの家に戻っていいのだろうか、これを機に出た方がいいのではないかと、考えなかったわけではない、のだけど。
「……はい」
間を開けてから、彼女は花がほころぶように微笑みを浮かべる。
「だって、わたしがいないと、魔法使い様のお世話をする人がいなくなってしまうじゃないですか」
自分の生活力のなさを出されると大体露骨にむっとしてみせる魔法使いは、フローラの言葉に苦笑するか顔をしかめるかするかと思ったが、真顔のままだった。
あくまで真面目一徹な表情と雰囲気のまま、文字を浮かべる。
『そうだ。私はあなたがいないと、もはや生きていけないのだ。あなたは私の生命線だ』
少しだけ魔法使いをからかってみようとしたフローラだったが、思わぬカウンターが返ってきた。
この方向になるとは全く予想していなかったので、完全に無防備なところに大胆な物言いである。
え、の形に口を開けてからみるみる赤くなるフローラに、相変わらずの超絶真顔のまま魔法使いは言いつのる。
『だから、時間をかけてくるといい。大切な息抜きだから、満喫してくるといい。だけど、全部終わったら、必ずここに、森に、私の家に戻ってきてほしい。私はこの先も、あなたを必要としている。あなたにいてほしい。ここに』
「あらまあ」
あわあわわなないて硬直しているフローラも魔法使いも、横からのんきな声が上がると二人同時に飛び上がって音源の方にぐりんと顔を向けた。
すっかり忘れていた。そういえば、待ち合わせの最中だったのである。
到着したセラ=セルヴァントは、若者二人の間に流れるなにやら甘酸っぱい香りを敏感に感知したらしい。
惜しむらくはことが終わるまで自己主張せず黙っていただきたかったという部分なのだが、本人も驚いて思わず声を出してしまったということなのだろう。
「あ、あたしのことは気にしなくていいわ、置物ぐらいに思ってていいから、どうぞお好きになさって、お二人とも」
ひらひら手を振って無責任に言うが、心なしか目を血走らせ鼻息を荒くしガン見の様相である。町のおばちゃんに立ち聞きを恥じる文化はないらしい。
若者二人は挙動不審にぎくしゃくと仕切り直そうとしたが、ギャラリーのいる手前まったく元通りにとはいかない。
それでも再び視線が絡んだとき、ここ最近や森の中を歩いてきたような冷ややかで触りがたい気配はどちらにもなく、恥じらいの中に少しの熱が灯っている。
『いってらっしゃい』
「……いってきます」
魔法使いは結局最後、シンプルに一言だけ言って彼女を送り出す。フローラもまた、シンプルに一言だけ答える。
けれど二人の言葉にはもう、フローラが町の用事を済ませたら帰ってくるのだ、この森がフローラの帰ってくる場所なのだという確かな重みがあるのだった。




