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アルチュールの昔話2

 アルチュールの森から魔獣が消え去ってから一週間ほどした時のことだ。


 一つの大きな木にもたれかかるように座り込み、眠るように目を閉じていた少年の前に、突如光が収束したかと思うと、人のような姿を形成する。


 まもなく現れたのは、同じぐらいの年頃の男の子だった。空中からふわりと降り立ち、座り込む少年を見下ろす。


「やあやあ子羊よ。こんな辺境に一体何しに来たんだい。パパンとママンとその他色々、今頃心配してるんじゃないのかい」


 声をかけられて、彼は億劫そうに目を開ける。


 少年達は大層似た見た目、特に同じ緑色の目をしていたが、立っている方の少年の長い前髪の間からのぞく目の色は、宝石のように澄んで明るく光り輝いている。


 一方、座り込んでいる方の瞳は、深く濃い森のような色合いをしていた。


 また、立っている方は小綺麗な身なりをしていたが、座っている方の服はあちこちすり切れ、汚れてぼろぼろになっていた。


「……あんたは? 初めて会うと、思うけど」

「ぼく? 超強くて偉い上位存在」

「まさか。大精霊――様、ですか?」

「ぶい!」


 問いを向けられた方は腰に手を当ててふん、と威張るように鼻を慣らし、Vサインを作って白い歯を見せた。


 座り込んでいる方は大きく目を開く。慌てて姿勢をただし、平伏のような格好に直ろうとした。それを大精霊と名乗った少年がとどめる。


「あ、別にかしこまらなくてもいいよ。大いなる存在は些細なことは気にしないのだ。気にすることができないとも言う。万事において雑ということだね!」


 改まろうとした少年に向かって、大いなる存在はあくまで軽い調子を崩さない。人間の少年の体から力が抜けた。


「なんか、思ってたのと、大分違う……」

「ふっふっふ。神秘的だと思った? 残念、実物はこうでしたー!」

「……もしかして、人間の知らないところで世代交代していたのか?」

「安心したまえ、ぼくの実年齢はピー千歳、そこそこの古株だよ。この格好してるのは、皆を萎縮させないためと、いつまでも若い心を忘れちゃいけないと思って!」

「本音は?」

「いやだって子どもの格好してたら、お菓子はもらえるし、綺麗な女の子達からチヤホヤしてもらえるじゃない? いいことづくめだよね!」

「…………」


 少年の眼差しが、あっという間に尊敬を含むものから軽蔑を含むものに早変わりした。


 ぴょんぴょんと飛び跳ね回ってから、不意に精霊は調子を変え、もう少し真面目な雰囲気になってから改めて口を開く。


「で。もっかい聞くけど、君、ランチェの三男坊だよね? なんでこんなところにいるのさ。しかもまあ派手にやっちゃってくれて、おかげでぼくの休暇がつぶれた。まあ、毎日暇だから別にいいんだけどさ」

「人に害を与えないものには、何もするつもりはない。……俺はただ、温かいご飯と布団の礼が、したかっただけなんだ」

「魔獣にも家族があるのに? 冗談だよ。そもそもあれは人間きみたちとは全く異なる現象だ、勝手におもんぱかって同情するほど無為なことはない」


 精霊はからかうように言ってから、少年が傷ついた顔をすると一瞬で前言を撤回した。


 片手を腰に当て、もう片方の手を、指を立てゆるく振りながら、仰々しく喋ってみせる。


「無知な君に、あれらと人間の最大の違いを教えてあげよう。彼らには憎悪がない。恨みを持たない。襲いたいから襲い、食べたいから食べ、殺し、犯したいからそうする。それ以上でもそれ以下でもないから、仲間の報復なんて殊勝なことは考えない。

 ま、だからこの森の魔獣を壊滅させたこと、そんな深刻になることはないんだよ? ぼくにとっては特に、とても些細な問題だし」

「……本当に些細な問題なら、わざわざ俺の前にあなたが姿を現し、言葉を交わす必要はないのでは?」

「お、結構鋭いな。ぼくにとっては、と言ったでしょう? 他の精霊達が君のことをとても怖がっていてね、ぼくに泣きついてきたのだよ。それで軽く様子見をしに来たのだ」


 少年は唇をかみしめ、考え込むようにうつむいていたが、何か思い立ったように顔を上げる。すると見下ろしている精霊はエメラルドの目を細めた。


「ふむ、嫌な目だ。ぼくに何か言うこと……いや、聞きたいことがあるね?」

「大精霊様。教えてください。俺は……化け物なんですか?」


 風が吹き、森の木々を揺らした。


 人の少年の姿を借りた大精霊は、食い入るように自分を見つめる人間にゆるゆると首を振り、大きく息を吐き出して再び両腰に手を当てる。


「人を選ぶのは人の仕事。人外われわれの領分ではない。断罪されたいなら手っ取り早く町に戻って処刑台にでも上ることだね。ま、でも、話ぐらいは聞いてあげよう。何を思い詰めているのだね、悩める子羊よ」

「俺は他の魔法使いと違って、力が尽きることがない。かっとなるとすぐ、反射的に力を使ってしまう。それで、人に怪我をさせてしまったことも……。責められたわけじゃない。皆、気にするなと言ってくれた。いずれ制御方法がわかると、大人になったら解決すると。でも、年々強くなって、このままじゃ、いずれ誰かを、本当に――」

「ははあ、読めてきたぞ。それで家を追い出されたか――いや、君の場合、自分で逃げ出してきたんだね? 文字通り迷える子羊というわけだ」


 納得してうなずく精霊に、少年は思いつめたような表情を向ける。


「どうすればいいのか、わからないんです。きっと急にいなくなって、皆に迷惑をかけている。でも、あのままだったら、もっと迷惑をかけた。わからないんです。俺、人を傷つけたくは、ないのに……。俺って一体、なんなんですか」

「ふーむ。赦されたせいで許せなくなった、ってところか。まーあれだね、君ちょっと物事を真面目に考えすぎるタイプだね。もうちょっと適当に生きればいいと思うよ。」


 大精霊は頭をボリボリかきながら軽い調子で言った。


 少年は少し考え込んだ素振りをしてから、立ち上がる。


「どこに行くのさ?」

「どこへなりと……この身が果てるまで。こんな、誰かを傷つけることしかできない俺の力でも、必要としている誰かが、どこかにいるかもしれないから」

「うんうん、君ぐらいの年頃の子って無駄にかっこつけたがるよね、わかるわかる――まー待てよ、悪かったって、そう怒るなって。君の事情は大体わかったからさ」


 早足で立ち去ろうとする少年の肩をぽんとつかんで、大精霊は引き留める。


 たったそれだけのことで、まったく動けなくなった。


 それまで少年には、自分より力のあるものに会う経験がなかった。大精霊という存在の異質さを肌で感じ、震える。


 エメラルドの目が、語りかける相手の瞳に驚愕とわずかに恐怖が浮かんだのを見て歪み、大いなる上位存在は歌うように抑揚をつけて口を開く。


「さて、小さき大きな魔法使いよ。君はアルチュールの魔物を殲滅した。別にそのこと自体に文句はないんだが、おかげでちとこの辺の魔力のバランスが崩れそうになっている。このまま放っておけば、前にも増して魔物が地上にあふれ出すようになるだろう。たぶんすぐに、町の防衛も間に合わなくなるね」


 少年が身動ぎしようとすると、大精霊は少しだけ肩に置いている手に力を込めた。


「まーまー、話は最後まで聞きたまえ。放っておけば、と言っただろう? 色々はしょって超簡単に説明をするとだね、君が森にいる限りはセーフなんだよ。君のその無駄に有り余る魔力が、魔獣の出入口に栓をしているようなものだと思ってくれれば、たぶん大体合ってる」

「つまり……俺が森にこのまま住んでいれば、もう人が襲われなくて済むと?」

「少なくとも、アルチュールの町は君がここにいる限り安泰だろう」


 深緑色の目が輝いたが、すぐにかげって不安がよぎる。


「でも、大精霊様……今度は俺が人を傷つけるようになったり、しませんか?」


 大雑把な大精霊にしてみれば、たかが少しだけ他個体より力を持ちすぎた子どもの悩みは少々深刻に思いすぎているように映るらしかった。


 彼は少年の肩から手を離し、唸りながら頭をかくと、不意にぽんと手を叩く。


「お、いいこと思い付いたぞ。そんなに心配なら、どれ、一つこの矮小な人類を軽々超越している高次元存在が、君に呪いをかけてあげようじゃないか」


 にっこりと微笑んで、ごくごく軽く彼は言う。


 言われた少年はぽかんと口を開いた。けれど意味を理解できずにいても、目の前の存在の脅威が増したことは本能的に察知したらしく、素早く身構える。


 しかし、少年が何事か行動を起こすより、大精霊が朗らかで人懐こい笑みを浮かべたまま、少年の喉笛に指先を向け、朗々と呪を唱え出す方が早かった。


 にわかにざわめき出す木々の木漏れ日の中、淡くエメラルドの目が、光を放ってゆらめく。


からの大精霊の名をもって、ルシアン=フェルディ・ド・ランチェに首枷の呪を与える。お前は今からしゃべれなくなる。言葉を話すことができなくなる。お前の声は誰にも届かない。かわりに、お前の力が誰かの命を奪うこともない。お前の力は言葉に封じられる。ただし、文字はお前の忠実なしもべとなる。言葉を口にしない限り、お前の真価がよみがえることはなく、お前の力が何者かを害し、滅することはない」


 強い風が巻き起こり、二人の髪や服をすくいとって体ごとさらっていこうとする。


 精霊の指先から放たれた呪は、蛇のように少年の首に絡み付いていばらの輪となり、七色に輝きを放ってから、体に吸い込まれるように消えてなくなる。


 それとほぼ同時に、大精霊自身が光を放ち始め、輪郭がぼやけて風景に溶け込んでいく。


「でもきっと、すぐに取り戻したくて仕方なくなるよ……お前は、人間なのだから」


 去り際に囁く人外の声は、不思議と耳の奥にこびりついて離れない。



 緊張を失った少年はがくりと膝をついた。


 ほっと息を吐き出した彼の顔色が、間もなく変わり、両手で喉を押さえて大きく目を見開く。


 何度試してみても、彼の言葉はもう二度と出てこなくなっていた。

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