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嵐の夜1

「こんな嵐の中を、しかもこの時間から、お出かけですか!?」


 黙々と準備を進めている魔法使いに向かって、フローラが驚きの声を上げたのも無理はない。



 窓の外はすっかり暗闇の中に沈んでいた上、激しい雨音と風音がひっきりなしに家のあちこちに響いていた。おまけに雷鳴も時折セットでついてくる。


 魔法使いの家は生活力ゼロの家主に放置されている割に頑丈でしっかりした作りをしており、雨漏りもすきま風もないのが幸いだ。


 嵐の夜だった。それも、フローラが経験した中でもとびきり激しいものだ。



 午前中は曇っていただけだったのが、散策時に空を見上げた魔法使いが『今日は荒れそうだ。大事な物は今のうちに家の中にしまっておくようにしよう、持って行かれる』とコメントしたとおり、日が暮れると一気に天気は荒れ出した。


『……今回は嫌な感じだ。数日間、外を出歩けなくなるかもしれない。風に揺られてやってくる飛来物も心配だし、水位の上がった川は特に危ないだろうから、しばらくは近づかないようにしよう』


 カーテンを閉めながら話してた魔法使いが、ふと壁にかかっている暦を見てぽんと手を叩いた。


『そうだ。明日はセラが来る日だが、空模様がこの調子では……あまり良くないな。止んでいたとしても、道が大分荒れているだろうし、シュヴァリも嵐の後の町で忙しくて大変だろう。今週は来なくていいと、連絡をしておこうか。何かあなたの方から彼女に伝えたいことはあるか?』


 セラ=セルヴァントは週に一度、森奥まで二人の様子を見にやってくる。


 以前は来たついでに、目に余る家の惨状を微力ながら食い止める役だったが、フローラが来てからは彼女の仕事になった。


 今では魔法使いそっちのけで、もっぱら新しい魔法使いの住み込みお手伝い係がうまくやっていけているか、何か困ったことはないか、相談相手として訪れている感じが強い。


 セルヴァント夫人――ではなく、セラと呼べと怒られていたのだった――と話ができないのは少々残念な気もするが、物質補給なら倉庫の転移装置で事足りるし、嵐の翌日に呼び立てるほどの急用はなかったはず。


 森と町の距離は往復約半日。あちらにも家庭があって忙しいだろうし、無理せず休んでもらった方がお互い安全だと思う。


 フローラがその旨を伝えると、魔法使いはうなずき、調合部屋の方に引っ込む。鳥を飛ばして連絡するのだろう。



 彼女の方は時計を見て、そろそろ頃合いだと晩の支度を始めることにした。今日はお昼が少し遅めだったから、ゆっくり作っても彼がお腹を鳴らしてしまうということはないだろう。


 魔法使いは彼女の料理を喜ぶ――しかも油断するとこっちが恐縮するほどの褒め殺し攻撃をかましてくるのである――ことしかないので、本当にこれで大丈夫なのだろうかと逆にフローラはしばし不安になる。


 ただ、何を出しても気にしないということではなく、やはり注意深く反応を伺っているとちょっとした好みは見えてきた。


 一言で言ってしまえば、彼の味覚はかなり子どもっぽい。素材そのままよりは加工した味付け品、野菜より肉、苦い物より甘い物、あっさりしたものより味の濃い方を、選べる場合は割と露骨に選んでいる。


 とはいえ、皿によそられると特にえり好みせずおとなしく食べるので、好みじゃないものが出てくるとあの手この手で皿からよけたり、悪いときには疳の虫を起こして怒鳴り出すイングリッドを相手にしていたフローラにしてみれば、相手が楽すぎて拍子抜けする。


 彼の好き嫌いのなさは、元々本人が食べられるものは食べておくという性格なのもあるにはあるのだろうが、どちらかというとそれよりもよくしつけられた――はっきり言ってしまえば育ちの良さを感じさせる。


 さすがに手づかみでサンドイッチを頬張っている時などは例外だが、魔法使いと一緒に食卓についているとそのナイフやフォーク、スプーンさばきに惚れ惚れしそうになることがある。移動するカトラリーの動線がすでにどこか違っているし、何より食器の音が全くしないのだ。


 フローラも厳しく言われた方だと思うが、その自分よりさらに完成度が高いように思えた。言うなればそう、息をするようにテーブルマナーを守っている。


 彼の住んでいる家の設備や持っている本、何カ国語も読み書き話しができるらしい様子を見ているに、割と良いところの出身なのではないか、へたをすると貴族階級なのでは――と思うことも結構ある、のだが。



 なんとなく、彼は森にどうして住むことになったのかという経緯や、それ以前どこで何をしていたと言うようなことを聞いてほしくなさそうなので、こちらも踏み込めないままでいる。


(……そんなことより、今日の献立を決めなくちゃ)


 もんもんとしそうになった思考を首を振って追い払い、フローラは自分の前に並べた食材とにらめっこを再開する。


(お昼は遅かったけどそんなに多くはなかったし、ちょっと品数を増やして豪華にしてしまおうか。魔法使い様の好きないつものキッシュにポタージュスープをお出しして。メインはちょうどお魚があったから――最近お肉ばかりだったもの、気分転換にいいかも。ソースをどうしようかな)


 早くも魔法使いの家の台所の最新魔法器具を使いこなして手際よく晩ご飯の準備を鼻歌交じりに進めていたフローラだったが、ふと慌ただしい気配を感じて振り返る。


 そこには、調合部屋から出てきたと思うとなぜか出かける支度を始めている魔法使いの姿があり、少々不審に思ってダイニングに出て声をかけてみたところ――。



 冒頭に戻る、というわけだ。



『こんな嵐の夜だから、だ。町の近くでこの嵐の中、立ち往生しかかってる団体がいるらしい。セラに明日のことを連絡しようと思ったら、逆に協力を要請されることになった』


 わざわざ新しいシャツに着替えなおしてきたらしい魔法使いは、手首のボタンを留め終わると石版をフローラに見える角度に調整してからその辺りに立てかけた。


『アルチュールの町は元防衛都市。周囲は頑丈な壁で囲まれ、出入り口は南北に一つずつ。夜はその二つともが閉じてしまって開かない。一応詰め所に門番というか夜勤当番は毎日いるが、出入りを管理する人間はまた別枠でね。だから、特別な許可証を持っていない限り、日が暮れてからは町から出ることもできないし、入ることもできないんだ。

 ところがどうも、件のご一行は途中で事故があって到着が大幅に遅れ、この時間まで町の門にたどり着けなかったらしい。許可証がない以上、決まり事だから町に入れてやることはできないが、この嵐の中を一晩放置というのも情がないし、死なれても面倒なだけ――そこで私の出番、というわけだな。ああ、私一人行くだけならどうとでもなるよ。慣れているから』


 フローラの、でもそれでは出かけていく魔法使いの身だって大分危険なのでは、と考えている顔色を汲んでか、魔法使いはけろりとした表情で言う。本当に慣れているというか、これが初めての経験ではないように見えた。


『ああ、だから、その。さすがに今回は、あなたを一緒に連れて行けない。たぶん、一晩中その団体の護衛をすることになると思う。明日の朝――もしかすると、昼すぎまで帰ってこられないと思うから、悪いが家で過ごしていてくれ。まあ、私がいない分、急に休みができたと思って、一日くつろいでいるといい』


 そこまで言い終えると、魔法使いはローブを被り鞄をひっさげて石版を抱え上げ、今にも出かけていきそうな勢いだ。慌ててフローラが呼びかけると、急停止して振り返ってくれる。


「あの、晩ご飯は――」

『え? あ――すまない、用意してくれて申し訳ないのだが、食べている暇がない。できるだけ早く行かないと何か被害が出かねないんだ、もう出発する』

「え、えっと。でも、何か少しでも、お腹に入れておかないと――」

『さっきパンとチーズを食べて、あと携帯食料と水筒は持ったから、なんとかなる。大丈夫、最悪数日間何も飲み食いしなくても私は死なないよ』


 フローラを励ましているんだか彼なりのジョークなのか、魔法使いは真顔で言う。どう返したらいいのかわからずまごついている間に、彼はいよいよ家の扉を開けた。


 途端、吹き込んできた風が家の中を荒らそうとする。


 急いで滑り出すように出て行こうとした魔法使いの背中に向かって、またも出遅れつつ、フローラはなんとか声をかけるのに間に合った。


「い、行ってらっしゃいませ、ご武運を!」


 外の自然の猛威で阻まれたかもしれないが、魔法使いは確かに彼女の言葉を聞き届け、そしてちょっとびっくりしたように目を見開いたような気がした。


 彼が、行ってきますの言葉を返してくれたのかは、勢いよく閉じてしまった扉に遮られて見えない。



 しばらく呆然と立ち尽くしたフローラは、ようやく立ち直ると風で散らばったダイニングの物を拾い集め始め――もう少ししたところではっと顔を上げた。


 慌てて台所に戻り、おそるおそるオーブンを開けて、がっくり肩を落とす。


 キッシュが焦げてしまっていた。食べられないことはないが、ちょっと炭の味がしてしまうだろう。パンは焦げかけが好きな魔法使いのためにと思って、ちょっと焼き加減を強めにした上、目を離してしまったのが悪かった。


 なんだか一気に食欲が失せる。魚はまだ手をつけていなかったので、貯蔵庫に戻した。焦げ目のキッシュとポタージュを、一人で祈りを捧げた後、もそもそと片付いたダイニングで食べる。


 食欲はなかった。魔法使いがちょっと多めに食べるから、二人分というより三人分ぐらい用意するのだ。意気消沈しているフローラ一人では完食できない。


 結局、残った分を丁寧に保存してから、のろのろと皿を片付ける。


 一通り作業を終えてから、ふと今日これからするリストを頭に浮かべようとして、うまくいかず――大きなため息とともに、小さな言葉を吐き出した。


「……お風呂、入ろうかな」


 一人きりの家の中は、なんだか広くて心細かった。

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