魔法使いと住み込みのお手伝い8
一日目から立て続けに非常に濃い経験をすることになったフローラと魔法使いの共同生活は、一見前途多難に思えた。
しかし蓋を開けてみれば二日目以降――もちろん、見知らぬ男女が一つ屋根の下で暮らしていく以上、ハプニングやちょっとした衝突が皆無だったわけではないのだが――拍子抜けするほど、平和に日々は過ぎていった。
全く異なる環境で暮らしてきた二人だが、相性は悪くないようだった。
まず、彼らは自分の不得意な相手の得意分野を、素直に感心して褒め合った。また、自分の知らないことを話されても嫌がらず、むしろ興味津々で耳を澄ませた。
フローラは魔法使いを知れば知るほど、彼の使う魔法や発明品、膨大で正確な知識に感心しっぱなしだった。
たとえば家と外部をつなぐ重要なライフラインの一つである魔法式物質転移装置や、しまわれた物が自動的に整理される倉庫の仕組みなどは、魔法使いが自分で生み出したものらしい。
ちなみに人間の転移もできないことはないのだが、自分一人ならともかく、誰かを伴ったり移動させるのは、安全の問題上自信がないのでやりたくないのだそうだ。
だから彼の使う転移魔法は、物の移動か魔法使い本人が単体でするものに限られているのだ。
フローラ自身、一度転移を経験した身としてそう何度もやりたいと思えるものではなかったので、魔法使いが人の転移魔法に消極的なことはさほど気にならなかった。
さらによくよく聞き出してみれば、あの家の便利システムを作り上げたのすら、なんと魔法使い本人だと言うのだ。
どうも、通ってくるセラに絶望的生活力のなさをことあるごとに突っつかれるのが嫌で作り出してはみたものの、自分で積極的に使用していくつもりはなかったため、すぐにこの有様になったらしい。
彼はたぶん、何かを作るの自体は好きで楽しいから気軽にやってしまうのだが、実際使っていくとなると本当に自分が気に入ったものしか受け付けない、そういうタイプの人間なのではなかろうかとフローラは推測する。
現に、よく手にしている鞄や杖、その他道具類は、見た目にも年季が入っているし、ちょこちょこと丁寧な手入れをリビング等でしているのを見かける。埃を被りかけていたあらゆる家財道具とは、扱われ方の丁寧度があからさまに違っていた。
せっかく自分で作ったのに、魔法式家事お助け設備の何がそんなに気に入らないのか聞いてみたところ、たとえば洗浄機に食器をセットするとか、その前にある程度頑固な汚れは落としておかないといけないだとか、そういう細かい作業にすでにもう拒否反応が出るらしい。
魔法薬の調合作業ならいくらでも細かいことをしているのに、この差はどこから来るのか。本人のやりたいという意欲だろうか。
フローラは話を聞いている間引きつった微笑みを浮かべながら(そして魔法使いは話をしている間いつも以上に真顔だった)、「よし、それでは自分がこれから使っていけばいいのだ!」と前向きに考えることにした。
結果的に、魔法使いが感心から一周回って自分の家かと本気で疑いを持った程、住みよく清潔で美しい家を提供することになったので、お互いに良かったのではないかと思われる。
魔法使いは、台所を初めとして二人の共用スペースやフローラの生活エリアが、日を追うごとに輝きを増していくのに感動していた。
加えて、彼女が本格的に家中の掃除をすると決めた日、最初に魔法使いにどこに入ってはいけないか、どこは手を入れてほしくないか聞いてきてくれたのにも好感を持った。共用スペースなどのルールはそのとき決めたのだ。
というか、料理の献立にしろ、服の補修にしろ、フローラは何かわからないことや新しく始めようとすることがあると、独断で横行せず、まずは家主にお伺いを立てに来る。
それも、彼が調合部屋にこもっているときや何か作業をしている時は彼女も強いてやってこず、こちらの集中が切れたりちょっと休もうかと思ったときを見計らって声をかけてくるのだ。
彼女は自分のことを気が利かないと称していたが、これで気が利かないと定義するなら世の中の人間のどれほどが当てはまってしまうのかと首をかしげそうになる。
確かにいちいち聞きに来るのがうっとうしいと言ってしまえばそうなのかもしれないが、何度言っても同じ失敗を繰り返すならともかく、一度言えば理解して二度目以降は同じことをしてくれるのだ、十分だろうと魔法使いは思う。
魔法道具の数々に素早く順応して使いこなし、魔法がなくても家事マスターである彼女が失敗するとしたら、必要以上に萎縮してしまって実力が発揮できない時なのではないか。
前の家にいたときはいつもそんな状態だったのか、と彼は時折彼女がびくつく仕草を見せると悲しく感じる。
フローラは当初こそおびえる様子や不安な目をすることも多かったが、魔法使いが綺麗な家に住めること――何より、三食が毎回出てくることに激しく感動と感謝の念を示し続けると、はにかんだ微笑みを浮かべる機会が増えた。
一週間ほどして大体の魔法使いの日課――森の散策、魔法薬の調合や魔法道具の作成、魔法の訓練や勉強――を把握し、自分の家事のテンポもつかめてくると、思い切った顔をした彼女の方から提案があった。
魔法使いの本を貸してほしい、魔法についてもっと勉強したい、ということだった。
毎日森を散策する際、魔法使いは彼女を連れ歩いて森の様々なことについて教えていたが、どうやらその復習とさらに多くの魔法についての知識、両方を深めたいようだった。
純粋に今まで知らなかった魔法の世界について知りたいようでもあったし、魔法使いの家に住んでいる以上もっと見識を深めなければという意気込みも感じられた。
くすぐったいいじらしさのようなものを感じながら、魔法使いは二つ返事で了承する。
彼女のためにノートや筆記具などを用意してあげると、恐縮しつつも感激され、こちらもうれしくなってしまう。
なんとなく彼女の進捗を気にしているうちに、気がつけばお互いが作業や家事の空いている時間、自然と集まって教師と生徒のようなことをしている。
魔法に対する知識が深まっていくと、フローラの様子はまた一つ変わった。
精霊に対して少し積極的になったのだ。
当初は魔法使いが彼女の様子の変化を察知して問いかけなければ見えているものを教えてくれなかったが、聞かなくても彼女の方から何が見えているかぽつりぽつりと話してくれるようになった。
ただ、あくまで彼女は見るだけの姿勢を保ち続け、彼らと関わりを持とうとはしない。
フローラが生育環境から魔法について苦手意識を覚えているらしいことは、魔法使いも早期に想像することができたが、精霊との距離の保ち方には何かまた別の禁忌感情が隠れているように思えた。
けれど、そのことについて聞いてみると、申し訳なさそうな顔をしながら、彼女自身はっきりしたことはわからないのだと言う。
「ただ……昔、彼らを見るのはいいけれど、彼らと深い関係になりすぎるのはいけないと言われたらしいことは、覚えていて……」
そうつぶやいてから、ぼんやりとした表情になるので、魔法使いもそれ以上は掘り下げなかった。
誰にでもきっと、思い出したくないことや、聞かれたくないことはある。
――自分だってそうだ。魔法使いは自嘲しながら目を伏せる。
フローラは来たばかりの頃に比べれば話すようになったが、魔法使いが少しでも後ろ向きな態度を示すとそれ以上はあまり踏み込んでこようとしない。
お互いに、気を遣う。たまに激しく空気が緊張する。いつの間にか、自分が傷つけられることよりはるかにずっと、相手を傷つけることを恐れている。
それでもおおむね心地よい時間を分かち合って、一ヶ月ほど経過したときのこと。
森に、嵐がやってきた。