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魔法使いと住み込みのお手伝い7

 手を引かれるまま歩きながら、フローラはふと先ほど気になった言葉について聞いてみる。


「あの……わたしのこと、やっぱり、妖精の落とし子――って言うんでしょうか」


 落とし子。フローラが最も言われたくない言葉だった。イングリッドにからかい言葉で言われると、それだけは何度もやめてほしいと口にするほど、嫌な呼ばれ方だ。



 妖精、あるいは精霊。魔法使いと同様に、人の世界に広く知られてはいるものの、実際に接触することができる人間は限られている存在のことをそう呼称する。


 彼らは人間のすぐ近くにいるが、気に入った相手にしか姿を見せない。性質は無邪気な子どもに似ており、いたずら好きだが、親切でもあるとされる。


 基本的に人の命に関わるような悪質ないたずらはしないが、好奇心や興味が過ぎるとまれに悪意なくとんでもない悪さを引き起こす。


 その最も典型的な結果が、落とし子の存在だ。


 落とし子とは、幼い頃に精霊に接触され、普通ではなくなってしまった子どものことをそう呼ぶ。


 無垢な幼子は、大人よりも精霊に近しい。誘われるまま遊びについていって、彼らの影響を受けて変わってしまう。中には、それまでとてもいい子だったのに、別人のように豹変してしまう子もいるらしい。


 そういう、妖精や精霊に変えられてしまった子ども達を、精霊の世界に染まりすぎた存在を、人は「妖精の落とし子」と呼び、敬遠する。魔法嫌いの気質の強いディーヘンでは、特にそういうものだった。



 フローラは、自分が落とし子と呼ばれても仕方のない存在である自覚はある。現に、幼い頃から今に至るまで、他人には見えない彼らの姿を見続けているのだし。


 それでも落とし子と呼ばれるのが嫌なのは、言葉のニュアンスに「本当の人間の子と取り替えられてしまった妖精の子」という意味が含まれているからだ。


(ママ。わたし、にんげんの子じゃ、ないの?)


 一緒に遊ぶ子達にはやし立てられ、母親に何気なく聞いたときの彼女の表情が忘れられない。


 フローラの実の母は、瞳にいっぱいの涙をためて娘を抱きしめ、言ったのだ。


(そんなことない――そんなことないわ、フローラ。あなたは人間の子なのよ。パパとママの子なのよ)


 それ以来、フローラは自分のことを「お前は人間じゃない」とでも言うような落とし子という言葉が嫌いになった。


(わたしは人間よ。人間なのよ)


 他のことはおとなしく従っても、落とし子という言葉には反論する。


(あなたは人間なのよ。どんなにあの子達と仲良くしても、こちらの世界に生きるしかない、人間なのよ……)


 母の言葉が頭の中をぐるぐると回る。


(そちらに行っては駄目よ、その線を越えては駄目よ……)


 何か、引っかかるようなところがあっても、うまく頭が回らない。彼女の言葉が頭を支配する。とても大事なことが、恐ろしいことが、昔あったような気がするのだけど――。



 それに、落とし子という呼ばれ方に違和感を覚えるのはもう一つ理由がある。


 フローラの目は、けして妖精達に後から備え付けられてしまったものではないはずだ。生まれつき、元から彼らが当たり前のように見えていた。


 それを、妖精達が悪さをしたというように言われるのも、自分が生まれつき間違えているという風に言われるのも、違うと思う。


 ……違うとは、思うのだが。両親が死んでからは、フローラを落とし子と呼ぶ人間ばかりに囲まれて生きてきた。



 けれど、魔法使いの世界でも、こういった扱いが普通なのだろうか?



 どこか寂しげな思いで向けた問いに、魔法使いは即座に首を振って返してきた。


『あなたはどうも、自分のことを悪くばかり言うようだが。そもそも落とし子ではなくて、落とし物、だ。言葉が違う。落とし子――悪魔や、よからぬものが人に混じって悪さをしようとしている、という表現の仕方は、魔法を使えない人たちが中途半端に聞きかじった結果できあがってしまった、間違ったイメージなんだ。翻訳ミスみたいなものとも言える。元々の意味は……そうだな、授かり物というニュアンスが近かった』


 最初は意味をいまいち理解し切れていないフローラだったが、ゆっくり説明してもらうと、つまり自分たちが悪いニュアンスで使っていた言葉が、本来は良いニュアンスで使われていた言葉だったのだ、ということか。


 なんだかにわかには信じがたい。釈然としない顔をしているのが魔法使いにもわかるのだろう、彼は説明の言葉を続ける。


『魔法使いにも、いくつか種類がある。私は自分の体内から生み出した力で魔法を起こすタイプだが、他の存在との契約によって魔法を扱うタイプもいる。こちらは契約魔法師、魔獣使いとか呼ばれているのが一般的だな。魔獣使いはイメージがつきやすいだろうが、契約魔法師はたとえば自分では炎を生み出すことができなくても、契約した精霊に炎を起こしてもらう――などで、私たちと同じような魔法を使うこともできる』


 フローラのイメージでは最初の種類だけが魔法使いだと思っていたので、なんとなく驚きだ。


 知らない世界の話に聞き入っていると、魔法使いはさらに言葉を続ける。


『――と、少し話はそれたが。基本的には、精霊を見ることができるのは子どもの間だけ、その頃に彼らと関わりがあって気に入られると、大人になっても関わりを持つことができる。だからそういう人たちが、契約魔法師になったりする。だが、ディーヘンのどこかには、生まれつき精霊を見ることのできる目を持っていて、契約で縛らずとも生涯精霊の力を借りることのできる、非常に恵まれた一族がいると聞く。彼らは定住せずいろいろな場所を渡り歩き、特有の、変わった目の色をしているらしい』


 じっと緑色の目に見つめられて、フローラは息をのむ。


『ちょうどディーヘンの言葉で、ニンフェは妖精を意味している。妖精ニンフェの一族――魔法使いなら一度は会って話を聞いてみたいと思う人たちだ』


 もしかして、初めて魔法使いに彼女が名乗ったとき、彼がどこか意味深な表情をしたのは、そのときすでに心当たりがあったからなのだろうか。


「……それは、その。わたしが、その一族だという、ことですか?」


 魔法使いは確信を持った表情でうなずいたが、彼女にしてみれば実感が乏しく、困惑の方が大きい。


「でも、わたし……確かに生まれつき、不思議なものが見えてはいましたが、力を借りるだなんてそんな、大それたこと――」

『精霊を見ることもいとわれた引取先の家でならともかく、ご両親が健在だった子どもの頃は、おそらくもっと自由に彼らと交流していたはずだ。それについ最近も、あなたは確実に彼らの力を借りている。全く覚えがないと言えるか?』


 ありません。そう答えかけて、フローラは目を大きく見開いた。


 魔法使いは彼女の反応に――たぶん、自分の言葉が合っていると思って、どこかうれしそうに目尻を緩ませながらさらに重ねた。


『あなたはディーヘンから、ここランチェのアルチュールまで、どうやって移動してきたのだ? 並の契約魔法師なら、彼らの力を借りるのに対価を求められる。人の長距離の瞬間移動となれば、精霊達にとってもなかなかの大仕事だ。けれどおそらく、彼らは無償だったのだろう?』


(きいてあげるよ、きみのいうことだもの)

(かなえてあげるよ、やくそくだから)


 幼い頃のおぼろげな記憶が鮮明になり、フローラは立ち尽くす。


 どうやらちょうど魔法使いも目的地についたところのようで、自分も止まると手を離し、自然な流れで指を差す。


『ほら、きっとこのあたりだ。あなたになら、見えるはず』


 促されてフローラが送った視線の先は、一見何の変哲もない、今までと変わらない森の様子が広がっている。特に目立つような植物があるわけでもなし、動物がいるわけでもなし。木々がまばらに立って、石ころが転がっているだけの場所。


 けれど日が傾いて暗くなってきている中、フローラの目にはぽつぽつとところどころで灯る、不思議な白い光が映りはじめた。


 炎でもないし、人工物でもない。生き物のようではあるが、それよりはるかに透き通っていて、質量が感じられない。


『何が見える? 教えてほしい』


 彼女の様子をじっと観察している魔法使いの言葉につられ、目をこらしたまま、考えながら言葉を紡ぐ。


「淡く燐光を放つ、雪……いえ、綿毛です。これから飛んでいくのを待つ、綿毛――ポンタタの花に似ていますが……でも、なんだろう。もっと違う……透明な香りがする。満ち引き……月……潮……いいえ、やっぱり森だわ……。なぜかしら? とても懐かしい。ずっと前から知っていたような……」


 目に見える光景を一生懸命言葉にしようとしていた彼女が、あっと息をのんだ。


「あっ、今、皆が――」


 透明な綿毛のような光の群れは、一斉にふるりと震えると、空に向かって飛び立った。フローラの指さした先、森の木々から見える紅色から闇色に変わりゆく空に向かって、飛び立っていく。


 ちょうどポンタタの花の綿毛が風に吹かれて飛んでいく様に似ていたが、それよりは能動的に自分たちで空に浮かんでいったように見えるし、揺れて舞い上がる様子はシャボン玉にも似ているが、けしてはじけてしまうような危うさはない。


 綿毛達のささやきかわす音は小さくて一つ一つの言葉は拾えないが、さやさやとこそばゆい、優しい響きをもって鼓膜を震わせる――。


「巣立ち、かしら。彼らは夜を恐れないから、この時間でも大丈夫なのね」


 ふわふわと森の中や空に吸い込まれていく白い光の群れを見送りつつ、ため息を吐くようにぽつりとフローラは漏らす。


 一連の情景を見ていてちょうど脳裏に浮かんだ言葉がそれだった。


 すると、しばらく黙り込んでいた魔法使いが彼女に向かって石版を向けてくる。


『そうか、あなたにはそう見えていたんだな』

「……魔法使い様には、見えないのですか?」


 まさか、と思ったが、彼は苦笑まじりにうなずいた。


『ああ。私の目には、夕方の闇に包まれる何の変哲もない森でしかない。言っただろう? 魔法使いにも種類がある。私は彼らにあまり好かれていないんだ。私自身の力が強いからか、なんとなくどの辺りにいるかはわかる。だが、向こうに見られたくないと思われてしまったら……もう、駄目なんだ』


 なんと言ったらいいのか、わからない。思いもよらないことが多すぎて。


 言葉を探して黙っているフローラを前に、先ほどまで彼女がじっと見つめていた先を見やって、彼はつぶやくように言葉を浮かべた。


『ここは、とても空気が澄んでいる割に、時折夕方になると気配が濃くなる場所だから、精霊達が何かしているのかな、とは思っていた。あなたが教えてくれたおかげで今日、ようやくわかった気がする。若い精霊の旅立ちの場所だったんだな』


 優しい緑色の目には、精霊を見ることのできるフローラに対する純粋な羨望が浮かんでいるようだ。


 なんとなくうつむいてしまう彼女に向かって、彼は最後にもう一言付け加える。


『やっぱり、私にはあなたの目が、隠すようなものだったり、恥じるようなものだったりというものには思えないな』


 今度はフローラも、否定して自分の目をけなす気にはなれなかった。



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