魔法使いと住み込みのお手伝い6
「宮廷魔法師を初めとして、魔法使いの存在は、どの国でも広く認められるところです。ですが、魔法使いの数は限られている。特に、治癒魔法師の恩恵を受けられる人は、ほんの一握りしかいません。ランチェではもう少し魔法が身近なものらしいですが、ディーヘンでは……生まれた環境によっては、魔法と生涯無縁の暮らしを送る者も、珍しくありません」
本職の魔法使いに魔法を語るというのも不思議な話だが、彼はきっと、フローラがもし間違えていたことを言っても聞いてくれるし、途中で遮ることなくあとでゆっくり答えてくれるだろう。
信用が、口を開かせるのだろうか? 森と同じ、深い緑色の目に励まされるように、彼女は言葉を紡ぐ。
「わたしの父方の祖先は、魔法による不平等への憤りと、憂いによって、最初立ち上がったそうです。今は、国家試験と、正式な資格もありますが……本当の昔は名乗るだけでよくて、偽の治癒魔法師も多かったと聞きます。祖先も、藁にもすがる思いで頼り――結局、家族を亡くしたのだと言う話です。ですから彼は、治癒魔法師に頼らずとも、人が健やかに生きていけるように――そんな世界を目指して、医師を志しました。その子孫達も、代々信念を受け継いでまいりました」
深呼吸をすると、森の空気は澄み通っていて気持ちがいい。町は便利だったが、空気がよどんでいたように思える。あの家では、特に。フローラの居場所はなかったのだから。
魔法使いは、けして彼にとって快い話をしているわけではないだろうに、至って冷静で、話している彼女が懸念していたような機嫌の悪化は見られない。
あるいは、内心苦々しく感じているのかもしれないが――それでもたぶん、彼なら聞きたくなくなったら「もういい」とか言ってくれるだろう。黙ってくれている間は、たぶん話していて大丈夫なのだ。
不穏な音を立てる心臓をなだめながら、フローラはゆっくりと続ける。
「医術に失敗は、許されません。わからなかったからうまくいきませんでした。想像ができなかったから治せませんでした。患者さんは絶対に、そんな言葉で納得してくれません。治癒魔法師なら治せたはずだ、あんたら所詮魔法使いじゃないんだから。その言葉を言わせないために、血のにじむような努力と勉強を重ねて――だから、父方の家では、できないこと、知らないことは悪でした。落ちこぼれだったわたしは……いつも、しかられてばかり、でした」
魔法使いは思慮深いまなざしの奥で、色々と考えているようだった。
相変わらず、互いに探り探り。危なっかしい空気はなかなか落ち着かない。
けれど先ほどと少しだけ違うのは、彼女が踏み出そうとし、彼がそれを受け止めようとしているところ、だろうか。
『今朝や、昼間での家での立ち回りを見ていた限り、あなたが特別失敗ばかりするような、あなたが言う駄目な人間には、まったく思えない。むしろ私のできないことばかり軽々こなしていく、素晴らしい人だと思ったのだが』
魔法使いの褒め言葉にフローラは恐縮し、真っ赤になって縮こまる。彼は少しだけ迷った風を見せてから、次の文を浮かべた。
『前の家では、家事ができるということは軽視され、家の人間の求める知識を持って行動する人間が尊ばれていたのだとしても。あなたに居場所がなかったのは……それだけではないのではないか?』
とげだらけのヤマアラシが、相手を傷つけないように、でもできるだけ近づけるように、落ち着く場所を探すように。興味と不安が葛藤し、深緑と琥珀の目が何度も一瞬だけ交錯する。
フローラは息を吐き出した。ぽつり、と言う。
「わたし、みなしごなんです。本当の両親は、わたしが物心ついて少しした頃に、事故で亡くなりました。それから父方の親戚に、引き取られたのですが……」
そこから先は、それなりに長い間があった。
けれど魔法使いは待った。フローラののどのつっかえが、こわばりが、徐々に溶けて、彼女の言葉が出てくるまで、彼は待ち続けた。
「――わたしが、いけない子だから。怒られるんです。それは、仕方なくて、当たり前で……」
『どういう意味か、教えてもらうことはできるか?』
「わたしが、皆に見えないものが、見えるっていうから。皆に聞こえないものが、聞こえるって言うから――だから、嫌がられていたんです。うそつきな子ねって」
心の中に、苦く辛い思い出がよみがえる。
両親が死んで引き取られた後、フローラは居心地の悪い新しい家の中に何気なく「彼ら」を見つけた。
そのときにはもう、昔ほど積極的に関わろうとはしなかったけれど、変わらずに見えていることにどこかほっとした気がした。死んだ両親とのつながりが途絶えた訳ではないのだと感じられたからかもしれない。
けれど、あらぬ方向ばかり見つめているぼんやりした様子はすぐ、めざとい従姉妹に見つかった。素直で優しい性質の彼女は、しつこく聞かれると簡単に何が見えているか白状する。
(そんなもの、どこにもないじゃない。フローラってうそつきなの?)
最初は、イングリッドが何気なく言った言葉が幼心にざくりと刺さった。
嘘をついているはずではないけれど、母が死んでしまった以上、彼女の見えるものを確信を持ってそこにあると言ってくれる人はもういない。
イングリッドはさらに――告げ口したという程ではないだろうが、フローラの様子を自分の母親に報告した。フローラのことをおかしく思ったのかもしれないし、もしかすると心配したのかもしれない。
叔母は――叔母は、見えないものが見えるというフローラに、激怒した。鞭を持ってきて、めちゃくちゃに叩いた。フローラが大泣きすると、ますます怒った。
(だからあたしは嫌だったんだ、兄さんをたぶらかして家から取っていったあのあばずれの、魔女の子だもの! それでも他に行き場所がないし、一応は血がつながっているからと引き取ってやったのに、この恩知らずめ!)
フローラの両親は駆け落ち結婚だった。父が魔法を嫌う町医者の息子で、母がディーヘンを当てもなくさすらう、魔女の一族の出身だったから。それも、叔母に怒鳴られながら知った。
(兄さんには、許嫁がいたのに――)
(優秀な医者になるはずだったのに――)
(お前の母親が誘惑したせいで、全部めちゃめちゃになっちまったんだ――)
(魔法使いなんか、魔女なんか――)
(妖精の落とし子め――)
ショックだった。両親があちこちを放浪する、普通の人とは少し違う生き方をしている人だということは知っていたけど、それが悪いことだなんて思わなかった、思いたくなかった。
最初は泣きながら言い返した。フローラには本当に優しくて素晴らしい母親と、父親だったのだから。
(お前も魔女になるって言うのかい、そんなことしたら今度こそ殺してやる!)
元々少し伸ばし気味だった髪を、完全に目が覆われるまで伸ばすようになったのはその頃からだろうか。
もう何も見たくなかった。両親を思い出させるものも、自分が生まれながら悪い人間なんだと思わせてしまうものも、何も。
彼女は途中から黙り込んでしまったが、話の流れと態度からして、魔法使いはおおむねの事情を察したらしい。深く深く、息を吐き出して、文字を浮かべる。
『隠すような仕草をしていたから、なんとなく、そうなのではないかと思っていたが。間違っている――と言ってはいけないのだろうが、私たちからすると、とんでもない言葉の数々をかけられたものだ。その目の価値は何にも代えがたいというのに』
一瞬、言われている意味がわからずに彼女はぽかんとする。彼はさらに文を出してきた。
『精霊の落とし物は、悪いものなんかじゃない。おいで、ちょうど日が傾いてきている、いい時間だ』
彼女の視線がきちんと自分の文を追ったのを確認してから、魔法使いは片手を差し出してくる。
フローラは戸惑いながらも、その手を取った。