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花嫁逃亡1

「縁談ですか? イングリッドではなく、わたしに?」


 思わず咄嗟に口に出してしまってから、はっとフローラは口をつぐみ、身を縮こまらせる。

 最近の彼女にしては珍しい失態だったが、それほど衝撃が大きかったということなのだ。

 だがこれまた珍しく、反抗的な態度や失態を叱責する言葉は一切飛んでこなかった。


「そうだとも。あちら様がお前を見初めてくださった。大層ありがたいことだ」


 でっぷり太った叔父が揉み手をしている横で、ふん、と神経質そうな叔母が鼻を鳴らす。

 たったそれだけのことで、フローラはわずかに反応しそうになってしまい、怯えきった素振りがますます叔母のまなじりを吊り上げさせる。


 わかっているのだ、自分のこういう態度がますます相手の気に障るのだと頭ではわかっているのだけど、染みついた経験で体が準備してしまう。



 それにしても不思議なことばかり起こる。

 叔母はイライラした様子は見せても、いつものようにがみがみ怒鳴りつけてくる事はないし、フローラに無関心な叔父も、今日だけは鳥肌の立つような猫なで声を上げて大層上機嫌だ。


 しかも極めつけ、叔父叔母夫婦が散々可愛がっているイングリッドの方ではなく、フローラに話を持ってきたのが奇妙で仕方ない。

 彼らが結婚させたがっているのは、どう考えたってイングリッドの方なのだから。


 従姉妹のイングリッドは十七歳のフローラの二つ上、数年前から順調に良縁を探し始め、そろそろまとまってもいい頃のはずだが、なかなか本人が首を縦に振らない。

 幸運にも両親のいいところだけを上手い具合に継いだイングリッドは、金髪碧眼、豊満な体つきでありながら引っ込んでいるところは引っ込んでいる、色々と派手な美女だった。

 今はまだ若い特権をふんだんに使い、声をかけてくるあらゆる男達に囲まれてちやほやされているのが楽しいらしく、一向に誰か一人に決める気配を見せない。

 娘に甘い叔父叔母夫婦はそんな様子に困った顔を見せても、けして彼女の嫌がることはしない。



 フローラは何もかも全く違っている。

 華があるのは名前だけ、何の変哲もないくすんだ茶髪の前髪を目が隠れるほどにまで伸ばし、体つきも薄くて貧相。

 誰にでも愛想良く微笑んで快活に話すイングリッドと違い、人見知りして初対面相手だとどうしても自信がなくおどおどと口ごもってしまう。

 おまけに実の両親が相次いで病死した結果、親戚を頼ってこの家に連れてこられたお邪魔虫。



 それが、フローラ=ニンフェという女の現実だった。



 イングリッドはこの家の娘だ。

 愛される資格が、権利が堂々とある。

 フローラはそうではない。


 世間体もある以上、仕方ないから置いてはやるが、けして我々の邪魔をするな。お前はこの家の子じゃないんだから。


 暗黙の了解が二人の娘に線を引き、叔父も叔母もそんな態度を隠そうともしない。

 だからフローラは、言われたことにはびくびくおどおど従い、細く細くをモットーに、地味にしてなるべく目立たないように今日まで生きてきた。


「あの……あの。わ、わたしを見初めてくださったというのは、どういう……」

「まさかあんた、自分には覚えがありませんとでも言いたいの?」


 消え入るようなフローラの声に、叔母がますます表情を厳しくして責めるように甲高くキンキン響く声を上げた。

 あたしたちに黙って男に声をかけていたんだろうとでも言いたげな目に、フローラは自分に非はないと思いつつもどもり、口ごもってしまう。


 どんなにフローラがきちんと説明したところで、叔母は自分の思い通りの“事実”でなければフローラが語ることに納得しようとしないし、大抵話している途中でイライラし出し、怒鳴り出す。


 せめて本当に自分には心あたりがない、“余計なこと”は何一つしていないのだと訴えたかったが、喋っても黙っていてもきっと怒らせてしまう――どうすればいいのだろうと、気弱なフローラはますます萎縮する。


 険悪になっていく空気の中、意外にも助けの手をさしのべたのは叔父だった。



「まあまあ、無理ないじゃないか。あちら様だって、先週路上で買い物をしていたのを見かけてから忘れられず……という話なのだから、引っ込み思案のフローラは気がつかなかったのかもしれない」


「そんなことがあるもんですかねえ? フローラに器量望みだなんて」


「世の中人は大勢いるんだ、好みだって色々あるだろう」



 叔母はフローラに大概悪意まみれだが、叔父は彼女にどちらかというと無関心で、ゆえに無神経に傷つける事を言う。

 フローラはうつむいた。けれど二人の言うことももっともだと思う。


 まさか、美しく快活なイングリッドではなく、地味でどんくさいフローラの容姿を見て気に入る男がいるだなんて、にわかには信じがたい。

 しかも買い物中ということは、いつも通り叔母やイングリッドに使いっ走りにされている最中。小間使いのようなつぎはぎのある服装で、身を縮め、背を丸めて老婆のように歩いていたはずだ。


 悪目立ちということは考えられても、一目惚れなんてことがあるのだろうか。


 叔母のあざけりを含んだまなざしは、彼女が考えていることを雄弁に伝えていた。

 フローラ自身もそう思う。話を持ってきた男はイングリッドと間違えたのではなかろうか、と困惑するばかりだ。


「その……ところで、お相手というのは、一体どちら様なのでしょう……?」


 一通り首を捻る二人を注意深く観察してから、フローラはようやく質問した。

 最初は何かたちの悪い冗談だろうと信じて疑っていなかったが、仮にもし話が来ていることが本当だったとして、そんなことを言い出す相手とはどんな人物なのだろうかと興味が移る。好意や好奇心というより、不安が強い。


 まさか知り合い? いや、フローラの現状を少しでも知っている相手だったらそんなばかげたことはしないだろう。

 叔父叔母夫婦の反応や言っていることから推測しても、たぶん今まで顔を合わせたこともないはず、赤の他人だ。


 疑問には叔父が口ひげを撫でながら答えた。


「ディアーブル伯とおっしゃる。こちらには観光で来ていたらしい、外国の伯爵様だ」

「き、貴族様、なのですか……!?」


 フローラの声は裏返り、顔は蒼白になった。

 すると叔母がさもありなん、とでも言うようにうなずく。



「そりゃね、あたしだってそう言いましたよ。フローラの方はどんくさいし気は利かない。無理です、とても釣り合いませんって。でもねえ、どうしても、是非に、絶対に、とあちら様が言うのだもの。断れやしませんって」


「私も従者の方が最初にお話を持ってきたときは何の冗談かと思ったが、あちら様の熱意にほだされてな。考えてみたらお前ももう十七歳だし、これ以上ない、むしろ高望みなぐらいのご縁だろう。お受けしたらどうだね?」



 確かにフローラのような、特にこれと言って誇れるものもない娘には、これ以上ないほどの良縁のようにも思えた。

 けれど彼女はどうしても幸せに舞い上がる気にはなれない。そこまでお姫様気分に浸れるような現実に生きていない。


 フローラは庶民であり、そこそこ裕福な家に住んでいるとは言え、召使い同然の暮らしをしているみすぼらしい娘だ。対する相手は家柄良く、生活も安定していると叔父は魅力を語る。


 だから、話がうまくいきすぎている。

 明らかに身の丈に合っていないだろう、と考えてしまうのだ。

 まだ伝えられていない情報の中に、他の美点をすべて補って余りうる欠点があるのではないか、と邪推したくなる。

 容姿が恐ろしいとか、性格がとんでもないとか。


 大体イングリッドがいるのにフローラの婚姻が先にまとまりそうなことに、叔父が乗り気で、叔母だって結局は仕方ないだろうとでも言いたげな様子なのも、引っかかり続けている。


「どうなの、フローラ。返事をなさい、生意気な子ね」


 叔母がまた眉間にしわを寄せてきんきんと唱えた。フローラの肩がすくむ。


「――はい」


 結局フローラは、うつむいたまま暗い声で了承の返事をせざるを得なかった。

 根無し草の惨めで自信のない小娘に、積極的に逆らう気概など出てこなかったし、他にできることなどなかったのだから。




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