魔法使いと住み込みのお手伝い5
(どうしよう……いけないことを聞いてしまったのかしら……)
黙り込んでしまった魔法使いの後ろに重たい足取りで続きながら、フローラは少し前の軽率な自分を恥じる。
(せっかく、お話しできていたのに……わたしったら、どうしていつも、こうなんだろう……)
魔法使いのどうやら思い出したくないことを思い出させてしまった自分が情けなく、悲しくて仕方ない。
(駄目だなあ……そうよね、変わりたいと思ってその瞬間から変われるのなら、誰も苦労なんてしないもの……)
元々話がうまいわけでもない自分が、積極的になった身の程知らずの結果――なのだろうか。
染みついたネガティブ思考は、油断するとすぐ、彼女にまとわりついて支配しようとする。
朝、寝起きの魔法使いに怒られた時は、それでも彼は普通に話をしてくれた。
今回黙り込んでしまったということは、よっぽど彼にとって嫌な、酷いことをしてしまったのだろうと、フローラは落ち込む一方である。
けれど、やはり魔法使いは賢く優しい男なのだろう。長らく黙ってもくもくと森を進んでいたが、少し歩調をゆるめると、石版を見せてくる。
『――その。あなたが勘違いして、落ち込みすぎているといけないから、言っておくのだが。別に、さっきの話で私の機嫌が悪くなったとか、そういうことはないから』
ぴたりと自分の考えていることを言い当てられるなんて、魔法使いだろうか。
そうだ、正しく魔法使いそのものだった。
まさかそんなことまでできるのかと驚愕するフローラの顔を見て、彼は表情を固めたまま文を変える。
『未熟な頃ならともかく、あなたの考えていることなら大体顔を見ていればわかる、それだけだ』
なんだ、とちょっとだけ残念に思ったが、それよりも自分はそんなにわかりやすい女なのだろうかとフローラはうろたえる。
というか、口ぶりからして、やろうと思えばできるということなのではなかろうか。
にわかに慌て出す彼女を若干放置気味に、魔法使いは自分の話を進めてしまう。
フローラのことは大分気にしてくれていると思うが、森奥で一人で暮らしていたのだし、根はマイペースなのかもしれない。
『なんというか……何から話したものかな、あなたはディーヘンから来たということだし、どこからどのぐらい、何を話せばいいのかが、わからなくて。それに、昔のことはまだ、整理がついていないこともあるし……』
「あの、わ、わたしがその、想像力が足りなくて、気が利かなくて、ぶしつけなだけですから、魔法使い様がお気を遣われることはないと、思うのです! むしろわたしは、怒られて当然、というか……」
何にしろ、ただでさえ色々過剰サービスを受けていると感じる身なのである、彼の話したくないことを無理に聞き出したいとはまったく思わないのだが、彼女の言った言葉に何か思うところあったのだろうか、魔法使いは首をかしげる。
『想像力が足りなかったり、気が利かなかったりすると、それだけで怒られるものなのか?』
「え? ええと、その……」
『想像できなかったのなら、できないことは当たり前だろう。それなのに、そもそも想像できないことを責めるのは、少々意地悪な気がするな。というか、できないものを責めたところで、何の解決にならないと思うのだが』
フローラは驚き、立ち尽くしてまん丸と目を見開く。
魔法使いも真顔のまま立ち止まり、彼女の顔をしばらくしげしげと見守っていた。
しばらくの間、二人は見つめ合うことになる。先に我に返って慌てたのは、やはりフローラの方だった。
真っ赤になってうつむき、髪で自分の顔を隠そうとしてからなくなっていることを思いだし、挙動不審もあらわに口を開く。
「で、でも……失敗は、恥ずべき、ことで。してはいけない、ことで……」
『やらないならその人物の怠慢かもしれないが、できないものを要求しても仕方ないだろう。魔法の使えない人間に、魔法使いになれと言ったって、誰の得にもならないのと同じようなことだ。違うか?』
フローラはうまく答えることができない。その通りだと頭は考えるが、違うと言ってしまいたい心がある。
今まで散々、何かできないと、「どうして先んじて気を回すことができないのか」「どんくさい」となじられてきた。
フローラ自身、人の望んでいることを先に察して軽やかに立ち回れる人の方が偉くて、何かとのろく気の利かない自分は駄目な人間なのだと思っていた。
だが、魔法使いは彼女とは異なる価値観を持っているらしい。
それはまぶしくて、たぶん快いものなのだけど――そのまま受け入れてしまうのがはばかられるのは、今までの自分を否定するように感じられるからだろうか。
『だから、たとえばもし、あなたが想像できなくて、私を傷つけることがあったとしても。あなたが想像できなかったことは、責めるべきことではない――と、思うのだが……』
魔法使いの言葉の後半がちょっと丸まったというか柔らかくなったのは、フローラが衝撃に震えているのを見たからだろうか。
彼はちょっと困ったような迷ったような顔をして、一つ大きな息を吐き出す。
『ええと……どうにもあなたは、厳しい家というか、なんというか。そういう環境で育ったように思えるな。ディーヘンはランチェに比べて堅実で厳しいと聞いたことはあったが、そのせいだろうか?』
さっきはフローラが魔法使いの顔色を一生懸命うかがっていたが、今は魔法使いが彼女を必死に探っている。
なぜなら彼女の大きな目は潤み、不穏な気配を醸し出しているからだ。
泣き出されでもしたら、引きこもりの独身男には荷が重すぎる。完全にキャパオーバーで棒立ちになる未来しか見えない。
さりとてこういう場合どういう態度でいるのが正解なのか、さっぱりわからない。彼は見た目こそ品のよい美男子だったが、中身の方は時々はみ出ている本性の通り、色々と残念な男だった。
『話したくないことなら、いいから。大丈夫だから、私は。大丈夫だ』
そんな魔法使いが全力で平静を装っていると、整った顔で黙っているせいかフローラにはただの冷静な真顔に見えている。大丈夫だ、の言葉も、強がりや動揺を鎮めるためでなく、本当に大丈夫なのだと思い込んでしまう。
彼は全く動じていないのに自分ばかり動揺して情けない、と彼女は彼女でますます慌ててしまいそうになる。
人生経験の少ない若者同士はまだ、ぎこちない空気になったときの上手な立ち直り方、立ち直らせ方を知らないのだった。
奇妙な緊張感の中、迷いに迷ってから――このまま黙っているよりは、と決心し、フローラが重たい口を開いた。
「わたしも、どこから、何から、話したらいいのか、わからないのですが……長く、冗長になってしまうかもしれませんが……お話ししてもよろしいでしょうか?」
『う、うん。何も問題ないぞ、うん。あなたの話を聞かせてくれ、とても今聞きたい気分だから』
魔法使いは相変わらずコチコチであるし、文章にも割とその辺が出てきているのだが、フローラの方も相変わらずいまいち余裕がないため、そんな彼に気がつけていない。
思案げに琥珀の瞳を揺らしてから、彼女はゆっくりと身の上話を始める。
「わたしの育った家は……ディーヘンのそれなりに大きな都市で、代々町医者をやっているところ、でした」