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アルチュールの昔話

 昔、昔――といっても、それほど前のことではないけれど。


 ランチェという国にアルチュールの森という場所があった。魔獣があふれかえる、恐ろしい魔の森だった。


 国は定期的に宮廷魔術師を派遣し、森を魔法で囲って封じていたが、完全に覆うことはできなかった。


 森の近くの町は、森に異変があったらいち早く知らせるため、また宮廷魔術師がやってくるまで魔獣を食い止めるための重要な防衛拠点だった。




 ある日、町の外から見慣れぬ男の子がやってきた。


 アルチュールでは、いざというときに魔物をいち早く、より多く仕留めることのできる人間が尊ばれた。身分も、生まれた場所も、関係ない。だから時折、他の場所から人が流れてくる。居場所を求めて、あるいは、人生の逆転を狙って。


 けれど、成人にも満たない子どもが一人でやってくることは珍しかった。普通町に入る前に、街道に出没する魔獣に殺されてしまうからだ。


 素性を語らない少年を、哀れむ者もあり、不審に思う者もあり。それでも町は、いつも通り多くを語らずよそ者を受け入れた。


 それから少しの時が経ち、またいつものように怪我人が出た。


 ちょうど、新参者の少年がお世話になっていた家の主人――騎士の一人が今回の被害者だった。彼は他にも体中に、回復魔法で治しきれなかったらしい数々の傷跡を残していた。


 ――軽い方だ、すぐ治るよ。そんなに心配する必要はない。

 ――でもあんた、もうちょっとで牙が届くところだったんじゃないか!

 ――うまく防いだだろう? 次だってなんとかなるさ。

 ――言っても仕方ないことだってわかってるよ。でも来年には三人目だって生まれるのに、あたしこれじゃ、命がいくつあっても足りないわ――。


 膨らんだお腹に手を当てて、いつもは明るい夫人が気弱なことを言う。


 騎士の怪我は程度こそかすり傷で軽かったものの、箇所が首だった。後ろから飛びかかられたのだ。


 防具がうまく働き、仲間がすぐに救援してくれたから助かったものの、飛びかかってきた魔獣の牙がもう少し鋭かったなら、もう少しあごの力が強かったなら、助けに入るのが間に合わなかったなら、今頃――。


 そう思ってしまうと、夫人はどうしても夫を笑って送り出すことが難しいらしかった。


 さりとて、彼は仕事に誇りを持っているし、彼らが行かねばもっと大きな犠牲が出る。重たい空気が落ちて、いつもはうるさい兄弟すら黙り込んだ食卓に、ふと聞き慣れない声が響き渡る。


 ――おれが、やっつけてこようか。


 一瞬、素性の知れない少年を預かっている夫婦はそろってぽかんと目を丸くする。少年の声は、けして大声で喋っているわけではないのによく通った。ざわり、と窓の外で風が鳴る。


 ――たぶん、できるよ。森一つ分、魔獣の巣を殲滅する。それでいいんだよね? 恩返しがしたいんだ。おれはきっと、こういうことぐらいにしか役に立てないだろうから。


 言っていることは荒唐無稽なはずなのに、戯言と笑い飛ばしてしまうには少し、異様な雰囲気だった。


 彼は普段、無愛想が過ぎるほど、喋れないのではないのかと勘違いしそうになるほど、全く声を出さない。その割に、一度喋り出すと不思議な声で周囲を制圧する。


 それでも夫婦は少しすると口々に、馬鹿なことを考えるんじゃない、子どもは大人に守られていればいいのだ、危ないことに首を突っ込もうとしたりしたら許さないぞ、等々の声を上げた。


 少年の言ったことが信じられないのが半分、彼を案じているのがもう半分といったところらしい。


 見知らぬ少年は少し考え込むような顔をして、もう一つだけ二人に聞いた。


 ――もしも、の話でいいのだけど。森から魔獣がいなくなったら、あなたたちは困る? それとも喜ぶ?


 夫婦は顔を見合わせ、夫の方が笑って答えた。


 ――仕事がなくなるという意味では困るかもしれないが……また新しく探せばいいさ。それよりも、自分の妻が、子どもが、いつ食い殺されるのか二度と心配せずに済むようになるのなら――これ以上、幸せなことはない。


 魔の森から魔獣がいなくなることなんてあり得ないから、夢物語だろうがな、と彼はしめくくる。


 少年は賢そうな顔に納得の色を浮かべた。



 翌日、朝早く町の住民はたたき起こされることになった。


 森が鳴っている。地鳴りのような、山鳴りのような、遠吠えのような、どうどうと腹の底に響き渡る恐ろしいうなり声があたりにこだましている。


 男達が早速いつもの通りに駆けつけようとするが、不思議な力にはじかれて近寄ることができない。


 子ども達を呼んで避難しようとした身重の女が、ふと一人足りないことに気がついて悲鳴を上げる。



 半日ほど森は鳴り続けたが、徐々に音は小さくなり、収まっていってやがて完全に聞こえなくなった。


 日が降りてきた辺りが赤く染まる頃、最大限に緊張の高まった町に向かって、森から小さな人影が歩いてくる。


 自分を唖然と見つめる大人達をぐるりと見回して、見知った騎士の顔を見つけると、少年は少しだけほっとしたような顔になる。けれど騎士すらも彼に声をかけられないままでいると、少しだけ悲しげに眉を下げた。


 ――終わったよ。


 たった一言、そう報告すると、信じられないものを見る住民の顔が、驚愕から恐れに、やがて嫌悪に変わるその前に――そうなることを知っているとでも言うように、くるりときびすを返し、また森の中に戻っていった。




 翌日から少年の言ったとおり、魔獣の襲撃はぴたりと止んでしまった。





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