魔法使いと住み込みのお手伝い2
少しの間、置いてきぼりにされた二人はそろって悲壮感に包まれていたが、魔法使いの方が立ち直りが早かった。たぶんつきあいの長さのなせることだろう。
『セラは適当な部分も多いが、困窮している相手をそのまま放置するような人ではない、むしろお節介に手を出してくるような人だ。乱暴だとは思うが、今のところあなたにはここにいる方がいいと判断したのだろう』
大きなため息を一つ吐き出してから、彼は続ける。
『アルチュールの町は、元々この森の監視や魔獣の防衛のために建てられた場所だ。私が来たことで変わった部分もあるだろうが、身寄りなく若い女性が一人で暮らしていくとなると……安全とは言い切れない。セラの所は、育ち盛りの悪ガキを三人抱えているから……まあ、あなたにとっていい環境とはあまり言えないな』
フローラはまだ考えがまとまりきらないでいるが、セラの家庭状況を聞くと、魔法使いと二人きりで残してくれたことがむしろ英断に思えてきた。
男所帯なんてフローラの最も苦手とするものだし、子どもは嫌いではないが、うるさくわめかれるとどうすればいいのかわからなくなって軽いパニックになってしまう。
その点、魔法使いは声が出せないから怒鳴りようがない。フローラにとって彼はなんというか、居心地のいい相手だった。少なくとも、一緒に暮らせと言われて戸惑いはするが、嫌だとは思わない。
『また一週間後には来るだろうし、とりあえず試してみて、どうしても駄目そうならあなたの方から彼女に訴えてみてくれないか。私の言うことは流されるが、あなたが真剣にこの状況は嫌だとか言えば、なんとか考えてくれるだろう』
フローラはぴくりと反応した。
自分は嫌ではないのだが、魔法使いはどう思っているのだろう。今すぐたたき出されると言うことはないが、迷惑に思っていないだろうか。そもそも人見知りだという話だったのに、急に押しかけてしまうのはどうなのか。そもそもさっきの家事代行だって――。
彼女の心配などつゆ知らず、魔法使いは一度足を踏み出した。どこに行くのかと思えば、セラが去り際にさりげなく置いていった、というか投げ捨てていった荷物を拾い上げ、戻ってくる。
『さて、こうなってしまったからにはわたしも腹をくくろう。まずは……部屋からだな。セラも言っていた通り、そのまま昨日使った二階で寝起きするといい。どうせ私は最近使っていない』
「あ、あの――」
『必要なものは後で倉庫の転送装置に届くと言っていたから、まずは信用することにしよう。何もなくても定期的に私の分は送られてくるし、こちらから注文をすることもできる。今の時間はまだ早すぎると思うから、もう少し経ったら倉庫に確認しに行く。そんなところでいいか』
「ええと――」
『初めてのことで、私も何をすればいいのかわかっていないが、いろいろ試して決めていこう。あまり不都合が生じるようなら、また別の方法を考えるとして――』
「ま、魔法使い様!」
『なんだ?』
未だ事態が飲み込み切れていない彼女に比べ、彼はガンガン話を続けていこうとする。問い返されて、一度うっと言葉に詰まってから、フローラはおずおず言った。
「なんというか、その……魔法使い様は、随分とあっさりしていらっしゃるのですが、本当にこれでよかったのでしょうか、というか……わたしなんかが、おこがましいのではないでしょうか、というか……」
彼の方も、ちょっとだけきょとんと間の抜けた顔をした。けれどすぐに、隙のない理知的な表情に戻る。
『問題がないとは言わないが、本気で嫌だと思ったら私だって拒絶するし、そもそも泊めることだって許さないぞ? 少なくとも――そうだな、あなたが私と一緒にいることについては、私は全く嫌だとは感じない。だからその辺に負い目を感じる必要はない。あなたが私と一緒にいるのが嫌だと言うのなら――』
「そ、そんなことは、ありません! わたしは――」
ド真面目な顔で言われると、フローラは自分の顔が赤くなるのを感じる。が、なにに恥ずかしがっているのかは自分でもわからない。困惑していると、彼は話を進めてしまう。
『それに、私の仕事や、あなたの安全を考えてみれば、これが今のところの最善かもしれない』
「……え?」
疑問の声を上げた彼女に、魔法使いはセラの持ってきた小包をぽんと渡した。
『昨日持ってくると言っていたから、あなたに必要なものが入っていると思う。長い間その格好にさせていてすまなかった。まずは上か浴室で着替えておいで。それから続きを話そう』
言われてみれば、フローラは魔法使いのものであるだぼだぼのガウンをまとっているだけの状態だ。自覚すると一気に顔が赤くなる。
頭を下げ、小走りに二階まで逃げ戻ってから、渡された包みをそろそろと解いてみる。
中には着るもの一式の他に、髪留めや帽子などのアクセサリー、櫛、簡単な化粧道具や小さな裁縫道具なども入っていた。靴が出てきたところで、ようやく自分が裸足だったことを思い出し、苦笑する。
それからメモらしきものが入っていて、貸すのではなくあげるので遠慮なく使ってほしいと言うこと、あり合わせのものしか詰められなくて申し訳なく思っていること、後は中身のちょっとした説明――等々、細々と右上がりのランチェ文字で走り書きがされている。
セルヴァント夫人の帰り際の様子から察するに、他にもやることがあって忙しい中わざわざ出向かせてしまったのだろう。申し訳なさとありがたさを感じてから、待たせている魔法使いのことを思い出し、急いで着替えを始める。
白いパフスリーブのブラウスの上に、スカートと一体になったボディスをつける。小柄でやせ形のフローラには少し大きかったようだが、腰ギャザーを絞ることで調整した。さらに、ブラウスと同じ色合いの白いエプロンをつけて完成するらしい。
身につけてみると、ボディスの色は結構明るめだし、エプロンにはさりげなく愛らしい花模様の刺繍が縁にちりばめられているし、スカートの裾にはフリルがついているしと、デザインがいささかかわいらしすぎるように思える。
今まで地味で目立たないつぎはぎの服ばかり経験し、それが当たり前だったフローラにはちょっとまぶしすぎるように思えた。チョーカーなども入っていたが、今のままでも十分なので遠慮する。
ガーターリングだけは、もっとシンプルでいいのにと思いつつ、代用品がなかったので渋々甘んじた。これもまた、フリルとリボンがあしらわれている。
化粧はどうすべきか迷った。農村で暮らしていればしないのが当たり前だが、町や都市になってくるとルールが変わってくるし、社交界や華やかなパーティーの場、上流層の現場ならばしていない方がむしろマナー違反だ。
また、華やかさを好み魔法に恵まれているランチェでは、ディーヘンより服装も派手な物になりがちだと聞く。
実際、ランチェの人間であろうセルヴァント夫人の持ってきた服は全体的にフリフリだった。……いや、単に夫人の趣味なだけなのかもしれないが。それに夫人が入れてきたと言うことは、逆にしろという意味なのかもしれない――。
真剣に考え込みそうになって、フローラははたと止まる。
あの、自分の見た目にすら無頓着そうな魔法使いが、人にそこまでうるさいことを言うだろうか? それに化粧なんて自分はろくにしたことがないし、すでに素顔をこれでもかと言うほどさらしている。
ただでさえ下で彼が待っているはずなのだ、下手なことはしないに限るし、寝ているところを見られたり腹が鳴ったところを聞かれたり散々失態を働いているのだ、今から取り繕って何になる。
……ちょっと落ち込みもしたが、フローラはそんな風に考えをまとめた。
身支度の仕上げに手早く髪をほどき、三つ編みに結わき直してから下に降りる。
「お待たせしました!」
声をかけると、魔法使いはダイニングで読書にふけっていた。はまり込んでいたらしく、三回目でようやくこちらを向く。
『よし。それじゃあ、行こうか』
「行く? ……どこかに、お出かけするのですか?」
きょとんと瞬きするフローラに、魔法使いは目尻をゆるめ、本を閉じて立ち上がると家の外に手招きする。
『おいで。森に行こう。あなたはきっと、見るのが一番だろうから』




