魔法使い6
「すみませんねー、遅くなっちゃって」
『いや、構わない。昼ご飯はもう済ませてあるから』
魔法使いの家に訪ねてきた人物を家主と共に玄関で出迎えたとき、フローラは自分の心臓が嫌な風に跳ねたのを感じた。
頭を覆う婦人の帽子からこぼれ落ち揺れて波打つ髪の色は金、ぱちぱちと瞬く瞳は澄んだ青色。雰囲気は明るく、キュッと絞られた腰の上下にはボリューミーな丸みが主張していて、いかにも女性的、さらに健康そうだ。
構成要素が一致しているというだけで瞬間的に結びつけてしまうから、人間の発想とは時に余計な仕事をしてしまう。
反射的に苦手な人物を想起し、魔法使いを盾に引っ込もうとしたフローラだったが、それより女性がフローラを見つけ、家の中に入ってきてがっしり両手をつかむ方が圧倒的に早かった。
「あらあら、まあまあ! 起きたのねえ、お嬢さん。お加減いかが? あたしも家のことがあるからさあ、泊まるってわけにはいかなくて、あなたのこと連れて行こうかとも思ったんだけど、なんだかんだこの家の方が都合がいいかもってことになって、ごめんなさいねえ、昨日は野獣の巣に置いていっちゃって」
『おい』
「ゴミ屋敷の方が正しかったかしらね?」
『おいこら』
フローラが目を丸くし、次にぐるぐる回しそうになったのは、一瞬知人にとても似ているように思えた女性からまるで異なる、好意的に表現すればハスキーな、正直に言うならだみ声のランチェ語が飛び出して驚いたこと、それからかなりの早口で処理が追いつかなかったことの二つが理由だ。
さりげなく彼女の横から魔法使いが黒板を掲げて控えめな抗議を上げているのだが、フローラからは見えていない。勢いに押されてなすがままになっている彼女に向かい、女性はまくし立ててくる。
「それで、大分顔色もよくなったみたいだけど、昨日は大丈夫だった? この人に何かされなかった? 具体的に言うと若い男女が一つ屋根の下、何もないなんてつまらなごふっ」
『ない! 断じてない! なんてことを言い出すんだ、アホか!』
女性の言葉が途中で途切れたのは、魔法使いが石版でしこたま頭をすぱーんと殴りつけたからだ。
改めて、見れば見るほどイングリッドとは似ていない。そばかすもあるし、フローラの従姉妹より目の前の女性の方がもっと年上だったし、格好も随分と――その、所帯じみている。
むしろイングリッドが一番嫌っていそうな、「大家族のお母さん」と言った雰囲気が染みついていた。
「ちょっと魔法使い様、なにも叩くことないじゃないですか!」
『自分の発言を顧みてから言ってもらおうか』
「え? あたしそんなに気に障るようなこと言いましたっけ?」
『言った』
「そうですか。ところで余裕のない殿方って魅力が半減以下になりますので覚えておくといいですよ」
『お前が! 私の! 余裕を! なくしているんだろう!!』
「あらそうでした? すみませんねー」
ひっ、とフローラは咄嗟に声を上げたが、二人はどちらもひるまず、何事もなかったかのように応酬しあう。ただし魔法使いの方は相変わらずの筆談なため、音声的には結構シュールな状況だ。
大分年上の女性の方は若い魔法使いを適当にあしらった後、フローラが血相を変えているのを見ると、今までと雰囲気を変えて真面目な顔つきになる。
「大丈夫?」
「……え? あ、あの」
「あなたのことよ。大丈夫?」
女性はもう一度フローラの両手を握る。今度はさっきと違って、優しく、気遣うように、反応をうかがいながらだった。
「ごめんね、いきなり変なのが出てきてうるさくしたから、怖くなっちゃった? でもね、大丈夫。あたしはあなたの敵じゃないのよ。魔法使い様もたぶんそう」
『たぶんとか言うな』
「第一印象はちょっと最悪だったかもしれないけど、少し修正させてちょうだい」
さっきまでフローラの苦手な大きな声と聞き取れない程の早口で喋っていた女性だったが、今は普通の声音、普通の音量で話している。そして魔法使いは適当に流され続けている。音声がないのがいけないのかもしれない。
フローラがちょっとだけ力を抜いたのを見てから、女性は手を離し、とてもさっきの下世話な近所のおばさんそのものだった人と同一人物と思えない優雅な仕草で腰を折る。
「ということで、やり直し。お初にお目にかかります、お嬢様。あたし、セラ=セルヴァントと申します。森の近くの町に住んでいて、時々魔法使い様の様子を見に来る係ってところ。昨日はあなたのお世話も、少しさせていただきました。魔法使い様は紳士的なお方ですから、さっきからかったようなことは何も……ないですよね?」
『ない、と何度も言っているだろうが、そんなに私が信じられないか』
「とのことです。いえ、むしろあるって言われたら見直しちゃうけど、やっぱり魔法使い様はこういう人ですよねー」
『セラ、いい加減真面目な話をしようか!』
「しようとしてますよぅ、茶々入れは性分です、一生治りませんて」
そろそろフローラも少し落ち着いて、目の前の女性の正体がわかるようになっている。朝ご飯の後に魔法使いが言っていた、彼女の力になってくれるという人だろう。最初が最初だったのでびっくりしてしまったが、それなら気を張りすぎる必要はないのだと肩が下りる。
フローラが落ち着いた様子を確認したのか、魔法使いが訪問者の女性、セラに向かって黒板を向ける。
『ニンフェ殿、こっちはセラ。本人も言っていたとおり、時々私の様子を見に来てくれる親切でお節介な女性だ――ってそうだ、こっちは紹介もまだだった。
セラ、彼女はディーヘンから――ちょっとこう、事故に巻き込まれてここまで来てしまったらしい。色々と事情があるみたいで、私よりあなたの方が彼女の役に立つと思うと言うか……』
「あら、そうなんですか? というかディーヘンの方だってんなら、最初に教えてくださいよ、魔法使い様。あたし今までランチェ語でまくしたてて、なーんもわかってなかったかもしれないじゃないですか」
「あの……」
フローラは自分の話題になった事もあってつい声を上げたが、二人の視線が一斉に向けられると一瞬ひるむ。それでも二人とも機嫌を悪くすることもなく待っている様子なのを見ると、言葉を続けることができた。
「申し遅れました。こちらこそ、お初にお目にかかります。フローラ=ニンフェと申します。出身はディーヘンですが、ランチェ語の読み書きもできますし、つたないかもしれませんが、少しは話せます。なまりとか、早口になってしまうと、聞き取れないのですが……」
『待った。話の腰を折ってしまってすまないが、きっと長くなるだろう。家に入って、腰を下ろさないか? その方が疲れないと思う』
魔法使いの提案に女性陣二名も同意したため、一度玄関先から家の中に入り、落ち着いた場所に椅子を持ってきて話をすることになった。
ダイニングでもリビングでもなく、キッチンがその場所に選ばれたのだが、セラは瞬時に目を光らせて何かを悟った顔をし、異を唱えることはなかった。笑顔が若干怖かった気もするが、話を始めるとまた雰囲気が変わる。
にぎやかでおしゃべりな女性は、意外にもかなりの聞き出し上手で、引っ込み思案なフローラもあれよあれよという間に自分のことを話していた。元から話し慣れていない方が話し慣れている方に会話の主導権を握られているだけと言ったら、その通りなのかもしれない。
ランチェ語で表現や言葉につまることがあっても、セラは嫌な顔をせず待ってくれる。この辺は、魔法使いと一緒で気が楽だ。彼女も大きい声を出すことはあるが、フローラが嫌がっているのをすぐに悟って切り替えてくれたあたり、賢く気の利く人だと思う。
魔法使いも時折フローラがディーヘン語に戻ると、セラに向かって翻訳してくれる。
自分を拾ってくれた人達が温かで優しくて、本当によかったとフローラは思うのだった。
「なんてことだろうねえ、とんでもないこった!」
一通りの説明を聞き終えたセラが、開口一番に口にした言葉はそれだった。
いつの間にか彼女は号泣しており、青い目からあふれ出した洪水をエプロンで自分の拭きとりながら、ちょっと後ろに下がっていた魔法使いに向かって振り返る。
「ちょっと聞いてくださいよ魔法使い様、この子ったら本当に可哀想で可哀想で!」
『順調に話が進んでいると思ったら、一体なんだ!』
「小さい頃にご両親を亡くして! 育てられた家では使用人同然にいびられて! 苦労を重ねてきて! それで挙げ句の果てに、とんでもない男と無理やり結婚させられそうになったんですよ! 見た目もこーんなに奴に誘拐されて、閉じ込められて、無理やり契りを結ばれそうになったとか!」
「あの、その、違っているというわけではないのですけど、大分話が大げさになっていると、思うのですが……?」
「何より許せないのが、年頃の女の子の髪を勝手に切るなんて! どこの馬の骨か知りませんが、サイッテーのグズ野郎ですよ、地獄に堕ちやがれってんだ!」
「というか、その、魔法使い様はお忙しいのですから、お邪魔をしては……」
『それは確かにとんでもない男だな、許しがたい』
「魔法使い様!?」
「大丈夫ですよ、フローラちゃん。本人もああ言ってますし」
『私が言うのはともかく、あなたが言うのは何かおかしいと思うな、セラ!』
「いいじゃないですか、返事しているんだから」
フローラが語った内容を、セラはいささか誇張してとらえているように思える。
ちなみに魔法使いの方は、これまたいつの間にか台所隣のダイニングに移って何か作業中のようだった。セラが話題を振ったらちゃんと石版を遠くから見せて返してきている辺り、ばっちり話は聞いていたのか、適当に合わせているだけなのか。
『それにしてもその男……いや、話を聞いているだけでは、断定はできないのだが。よく逃げてこられたものだ』
ふと魔法使いに言われた言葉に、フローラはそっと目を伏せる。
「わたしも、あの時はとにかく必死で、何が起きたのかはわからないのですけれど……」
おいおい泣いていたセラが、そこですっと顔を上げ、魔法使いの方におもむろに向き直る。
「あたし決めましたよぉ、魔法使い様」
『急になんだ』
「この子のこと、全力で応援するって。この子はね、今から幸せになるべきなんですよ。わかりますか?」
『そうか。それはよかった』
「ちょっと、あたしのことなら構いませんけど、フローラちゃんのことなんですよ、わかってますか!? 魔法使い様だって当事者になるんですからね!」
『……待て。なんかとてつもなく嫌な予感がするぞ? 何を企んでいる?』
「企んでいるんじゃありません。あたし、とーってもいいことを思いついただけ」
ガタッと魔法使いが音を立てて椅子から立ち上がった。フローラもまた、不安の混じったまなざしをやたらと自信満々な様子の話し手に向ける。何を言い出そうというのだろう?
二人分の注目を受けて、ふん、とセラは得意そうに豊満な胸を張った。
「簡単な話です。フローラちゃんは着の身着のまま逃げてきて何も用意がない、これから住むところや働くところはどうしようってことでしたけど、それならここに住み込んじゃえばいいんですよ!」
「………………えっ?」
フローラはたっぷり間を開けてから声を上げる。きっと魔法使いも、彼女と全く同じ、ぽかんとした顔をしていたに違いなかった。




