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プロローグ:始まりの日

 引きこもり魔法使いの朝はのんびりしている。

 一日人と会う用事がないと、特にその傾向が強い。


 目が開くのは一般的な人々と同じぐらいの時間帯だと思われるが、その後「まともな思考になる」までにかなりの時間を要するのだ。


 むっくりベッドから抜け出し、無意識に顔を洗ったり着替えたりして、空腹で朝ご飯を探し回る辺りで棚に額をぶつけ、頭をさすりながらぼんやりと自分を取り戻す。

 歯を磨きながら鏡で自分の姿を確認し、黒い髪がぴょんぴょん跳ねているのを直そうとして結局諦める。

 諦めきった辺りで、ようやく完全に覚醒する。


 寝入りはまぶたを閉じて三呼吸程度でやってくるが、寝起きはとてつもなく悪い。これが彼の習性だった。



 一人暮らしにもすっかり慣れたもの。

 何もない日は気楽だが、怠慢が敵だ。油断すると何もしないでいるままに、一日は過ぎてしまう。


 休日は適当に森を歩いて周り、余った時間は家で過ごす。

 採集をしているだけでも日々新たな発見があるもので、時間を潰すのに苦労したことはなかった。


 家で過ごしているときにやることは、読書や実験、それから……家事。

 一応、掃除も洗濯も料理も、できないわけではない。


 だが、時折様子を見に来る知り合いの主婦に言わせれば、彼の生活力は「男の一人暮らしだから許されているだけ、村男だったら顰蹙買って嫁が出て行きかねないレベル、というかそもそも恋人ができないかもしれないレベル」だそうだった。


 細かい意味はわからないが、たぶんかなり罵倒されているのではないかと推察される。


 基本的に雑な性分がいけないのだろうな、もうちょっとしゃんとした方がいいのだろうな、という自覚も、ないわけではない。

 ……ないわけでは、ないのだが。


 自分がやる気なんか出しすぎても、ろくなことにならない。慣れていることでさえそうだったのだから、まして慣れないことなんて。


 森奥での引きこもり生活を始めるきっかけになった出来事は、彼からすっかりあらゆる本気を奪ってしまっていた。



 朝起きて、森を歩き回り、異常がないことを確認して、今日も一日何事もなかったと安心して眠りにつく。

 それが彼の日課だった。何も起こらない退屈な日々こそ、彼の安息のはずだった。




 ――思い返してみれば、その日は朝からちょっと、いや大分様子がおかしかった。


 事件は知り合いの人外にたたき起こされたことから始まる。


 寝起きできちんと覚醒していない彼に向かって、いきなり何の前触れもなくやってきた“それ”は、耳を痛くなるほど引っ張ってガンガン鼓膜を揺らしてくれたかと思うと、反撃が来る前にさっさと退散してしまった。


 午後から人が来るとは言え、前日は夜遅くまで作業をしていたこともあり、朝はのんびりするつもりだったのに――優雅な引きこもり生活が台無しである。


(あの野郎、一応恩がある相手とは言え何しやがるんだ。今度会ったらただじゃすまさん)


 朝に弱い彼は激しく憤慨しつつも、憤りを薬品調合への熱意に注ぎ込んだ。

 余計なものが調合品に混ざるのではないかという気もするが、適度なイライラはひたすらすり鉢でごりごりすり下ろすのにちょうどいいスパイスなのである。


 力を入れすぎたせいか、何度か失敗して元々癖のある髪の毛がさらにちりちりになりかけた。

 一方で、気合いがいい方にも働いたのか、成功した方はなかなかよいできばえだと思えた。

 特に害獣対策や護身用に用いる痺れ薬はかなりいい具合に仕上がった。会心の出来と言って差し支えない。


(よし、今度あいつが邪魔しに来たら投げつけてやろう。思い知るがいい)


 二十歳にもなる成人男性が、見かけ上は無表情のまま、密かに内心ほくそ笑んでいる。

 日頃黙っている事が多いし、意思疎通をするときは真面目な筆談なので大人びて見られがちだが、性根はまだまだ子どもな部分もあるようだった。


 そこで彼はふと首をかしげる。


(そういえば、何か言われたような……?)


 知り合いの人外は彼が朝弱いことも知っていただろうに、記憶があやふやな時に一体何を言い残していったのだろう。思い出そうとするが、うまくいかない。


(……まあいい。本当に大事な用事なら、たぶんもう一回来るだろう)


 雑な彼はそう片付け、いったん朝の出来事を忘れてしまった。

 多少機嫌が治ったところで、時間を確認する。

 まだ人が来る約束の時間まで少しある、軽く森の様子を見てこようかと家を出た。



 違和感を覚えたのは、歩いて少しした頃だったろうか。

 どうにも空気が落ち着かないというか、辺りがざわついているのを感じる。

 足を止め、上空に目を向けて集中してみても、彼の目ではちかちかと辺りで光が灯ったり消えたりをくりかえしている――ように、見えるような気がする、その程度だ。


(精霊達が騒がしい……?)


 彼は魔法を使うことができるが、精霊達の使うそれとはまた別のものだ。

 精霊の世界を肌で感じること、その場にある物が有害か無害かぐらいは判別できても、目ではっきりと姿を確認することまではできない。


 精霊術に適性のある者なら直接聞けるだろうに、この辺りは隣人でありつつも触れ合うことができない自分の身がもどかしい。


(俺は彼らにあまり好かれていないからな……。それにしても、妙だ。俺が来てから、悪いものはこの森からいなくなったはずだし、向こうからわざわざやってくるとも思えない。それに、俺の魔法で感じ取れる範囲に、おかしなものが入り込んだ様子は感じられない。一体、何にざわついているんだ?)


 彼は迷ってから、鞄の中から紙を取り出し、手早く広げた。

 特殊なインクで描いた絵に向かってふっと息を吹きかけると、描かれた鳥がするりと抜け出て羽ばたき、淡い燐光を放ちながら飛んでいく。


 今日来ると言っていた知り合いに、森の様子がいつもと違うので、念のため待機するように伝えるつもりだった。

 鳥が飛んでいったのを確認してから、目を閉じる。


(さて……有害なものは探知できないが、どうやら侵入者は発見できたぞ。まったく、どこの誰か知らないが、騒がせてくれる。すぐに片付く用事だといいのだが)


 軽く息を吐いてから、気の抜けた様子を一転させ、フードを被って懐から杖を出し、いつにない万全の状態で歩き出す。




 ――結論から言えば、すぐに片付く用事ではなかった。

 彼は気の重いまま足を向けた先で、どうやら精霊達に戯れられてフワフワさまよっている白い塊を発見する。


 なんだあれは、と瞠目しかけた彼は、もう少し状況がはっきりすると今度は別のことに驚いた。


 精霊達から害意が感じられない割に、白い塊の方が半泣きというか大泣きというか――ほとんど恐慌状態にあるのがわかったからだ。


 精霊達は悪戯好きだが、悪霊化しない限り人間にする悪さはたかが知れている。

 ……はずなのだが、ちょっとあれはいくらなんでも度が過ぎている――というか、悪戯されている方が必要以上に怖がりすぎているように思われた。

 だからこそ精霊達の干渉を余計オーバーにしているというか。


(これは、止めに入らなければ。事情はさっぱりわからんが、あれでは襲われている? じゃれかかられている? ……とにかく、戯れの相手にされている方が、かわいそうだ。あんなに怯えきって)


 気を取り直した彼が近づいていくと、こちらに気がついたのか精霊達がぱっと散っていく。


 何もせず逃げたということは、やはりあちらには大した悪意はなかったようだ。

 あれば攻撃の一つや二つされているところだろう。



 すると、泣いていた方も近づく気配に気がついたらしい。

 こちらを向いて――そのときになって初めて、彼はボロボロの薄汚れた花嫁衣装を身にまとう少女が正体だったことに気がつく。


 また、さらに驚いた。

 なんで花嫁衣装の見知らぬ少女がここに、とか、衣装がボロボロだったり裸足に傷を作って痛々しくしているのはなぜ、とか、少女の髪が何者かに無残に切り取られたかのようにガタガタな線を描いていたりとか、いくらでも度肝を抜かれる理由はあったのだが。


 一番の衝撃を与えたのは、その目だ。

 彼女は吸い込まれそうなほど透き通った、琥珀色の目をしている。


(まさか、精霊の――)


 咄嗟にはっと息を呑んだ彼の前で、彼女の体がぐらりと揺れ、美しい琥珀色がふっとまぶたの下に隠される。

 駆け寄るのとほぼ同時に、花嫁の体が崩れ落ちた。手を出して、頭が打ち付けられるのにはぎりぎり間に合う。

 きゃしゃで小柄な体でも、全体重がかかるとなかなか支えるのは大変だった。

 苦労して、額に汗を浮かべながら、なんとか体勢をととのえる。


 呆然と、咄嗟に抱き留めてしまった少女を見下ろして、彼は完全に硬直し、間もなく心中で絶叫する。


(待ってくれ。そこで気絶しないでくれ。これはどういうことなんだ――俺にここからどうしろと言うんだ!?)


 これが逃亡中の花嫁と引きこもりの魔法使いとの、最初の出会いであった。


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