2話 ルウムの失敗
「あれ? アーサーが死んでる……?」
職務中のうたた寝という至高の快楽から目覚め、さーてお仕事に戻りますか、と怠け心に発破をかけた私は目の前の光景に驚愕した。
「うそでしょ……魔王軍ボコしてたじゃん……」
信じられない。信じたくない。
しかし私のデスクに置かれた巨大水晶(通称・世界監視モニター)には、魔王城を目前にして無残な死体となったアーサーの姿が映し出されていた。
なんで? 一人で魔王軍全体の戦力を上回るほどの圧倒的な力を持っていたのに、何にやられたの? 意味わかんない。
……いや、切り替えろ、私。起きたことは仕方がない。それよりもこれからどうやって魔王軍を倒すのか考えないと。
(勇者が死んだときは、その仲間があとをついで奮起するってのが定番だよね)
えーっと、アーサーと行動を共にした勇敢なる仲間たちは……荷物持ちの老人・ジメジにいいとこ取りのエリンキか。ふたりの実力は……ジメジは近所の犬にタイマンを挑み敗北。エリンキはただの雑魚専で、中ボスレベルですら剣を交えたことがない。両者ともに勇者とは程遠い存在、か。
…………。
「あわわわわわ」
呑気な脳はようやく事の重大さに気付き、すぐに全身発汗を指示した。これはマズい。ひじょーにマズい。
「このままじゃ人類絶滅だ!」
血走った眼球を右へ左へ、汗で濡れた親指をしゃぶり、イスに座ったまま開脚閉脚を繰り返し、もうパニック状態。
だってこのままじゃあ私の首が飛ぶんですもの。
解雇される? いいえ。首チョンパの方です。
(落ち着けルウム! 迅速かつ穏便な解決策は冷えた頭に降ってくるもの。だから冷静になれ、ルウム! あれ? ルウムって何? あ、私の名前だ。私は今なにをしているの? 確か世界を観察してたらアーサーが死んで、親指しょっぱいなーウフフ状態。ああ、パニックなう……よし、ここはいったん無になろう)
……………………。
……よし、再起動!
まずは自分に自己紹介をして自我を安定させよう。
私の名前はルウム。天界にて神・ウイシュヌ様管轄の世界安定維持能動介入機関(以下・安維の介)に勤めている天界の住人だ。上の下の容姿(自己評価)から繰り出される数々の仕事上のミスによって『窓際の無能』という立派な称号を授かった女天界人である。
チャームポイントは深みあるキャラメル色のミディアムヘアー。くせ毛のためロングにしたくてもできないのは内緒である。
「安維の介」とは下界に散りばめられた数多なる人間の世界を、モニターである巨大水晶を通して観察し安定に導く天界機関のことである。神・ウイシュヌ様をトップに、我々底辺天界人がそれぞれ一から三つ程度の世界を担当している。
仕事内容はいたって簡単。モニター越しに担当の世界を監視しながら、人間が過剰な繁栄や衰退の兆候を見せたら「小さな」介入を行うことで安定化を図る、といったもの。
この「小さな」介入というのがミソなのだが、元来世界というものは複雑で繊細で、いくら天界という高貴崇高な地点からの干渉といえど、大胆にやってしまっては神の手さえ届かぬ深層部分での混乱を招いてしまうのだ。
例えばとある世界の人間が飢餓で苦しんでいたとしよう。その世界の担当者が「腹が減った? なら空からケーキを降らせばいいじゃない」という強引な解決策を講じたなら、世界は過度な理の捻じ曲げに怒りを覚え、天界でさえ制御のできない大嵐を引き起こしすべてを破壊し尽くしてしまうだろう。
だから我々は微細な介入、例えば極めて英明な人間を見つけ出し、そいつに人工肥料の開発の一助となるような小さなヒントを出す、といったような洞察力、判断力、発想力、勘を使った大局的見地からの介入が求められるのだ。
さて、無能と名高い私はこれまでに幾度となく介入に失敗し、数多の世界を崩壊寸前に導いてきた。自傷心に駆られた私が破壊神を自称し始めたのはちょっと前の話。「もう次はない」と片手に鎌を持ったウイシュヌ様直々に脅されたのはつい最近の話。
絶対的トップの怒り、仕事仲間の冷たい視線。このままではイカンといっそう仕事に励んだが見事に空回り。後始末を託された同僚が放つ怒りの眼差をもう五十回は見たと思う。
そんなわけで、当然のごとく遠回しの最終通達が来た。「次失敗したら……ね。まあせいぜいがんばって」。
こうして同期はすでに二つ、あるいは三つの世界を同時に任されている中、私は汚名返上のラストチャンスとしてある一つの世界を任されたのだった。
人間と魔物の対立がはっきりとしたシンプルな構図の世界だった。ただ魔王軍の力が巨大で、小さな介入ではとても人間の挽回は見込めなかった。
つまり詰み状態の世界だった。
つまり私に挽回のチャンスはなかった。
つまり実質の死刑宣告だった。
これはイジメかな? と思いパワハラ案件として上司に相談すると、「大丈夫、英雄がいるから。あんたはただ彼を見ているだけでいいから」とのこと。
「なんのこっちゃ」と思いながらモニターとにらめっこしていると、すぐにアーサーによる快進撃が始まった。
彼の力はあまりに偉大で、魔王軍が米粒に見えた。通った道には無惨な魔物の死体が絶えず転がっていた。ちょうど人が蟻を潰しながら歩いているような感覚。
圧倒的英雄。救世主。もはや神の介入など不要だった。
上司の言葉をようやく理解した。つまり「詰み状態」の世界ではなく、人間が生み出した奇跡によって自ずと安定に向かっている世界だった。
(ああ、救われた)
私はウイシュヌ様の寛仁さに感謝した。これは挽回のチャンスではなく「簡単な仕事をこなして徐々に自信をつけていけよ」という配慮だったのだ。
どんな無能でも安定に導ける楽勝世界。アーサーに全任すればいいのだから技量もへったくれもない。逆にこの世界を滅亡に導くようであれば、それはもう死んだ方がいいよねって思うくらい。
そう。簡単すぎた。ただ見ているだけでよかった。ずっと自分の席に座って水晶に映るアーサーの快進撃を、ただボーっと眺めているだけでよかった。
それがまずかった。
休日になると半日睡眠もいとわないほどの愛眠家である私が眠くならないはずがなかった。
ラストチャンス初日から豪眠、豪眠、おやつを挟んでまた豪眠。勤務時間の七割は夢の世界で過ごしていた。
幸か不幸か、私の席は窓際の端っこ。死角も多く、上司に至福の時がバレることはなかった。さらに隣の席は同期で仲が良く、「誰か来たら起こしてね」という約束を交わしていたため、巡回上司にもバレることはなかった。
つもりに積もった油断、横着、骨惜しみ。
その結果、その結果、アーサーは死んだ。
今回の世界での唯一の仕事、最強の勇者アーサーを万一の事態から守るというおそらく真面目にやっていれば造作もない任務を、あろうことか寝ていて気付かなかったのだ。ラストチャンスを与えてくれたウイシュヌ様の顔面に腐ったケーキをこれでもかと塗りたくるような背信行為。
これはもう、斬首やむなし。
「あわわわわわわ」
パニックなう。
以下ループ。最初に戻る。
でもね、思考がループしても時間は進んでいくのです。非情なり。
そんなわけで否応にも現実を直視しなければならない私はいくつかの選択肢をとっさに思い浮かべた。
一、自殺。
二、「トイレに行ってる間に誰かが悪さをしたに違いありません! これは事件です! 犯人はこの中にいる!」と推理パートに突入。
三、「私は無能だぴょーん。仕事を任せた奴がバカだぴょーん。死ね、おたんこなすどもが」と煽る……これはダメだ。殺される。
以上三つ。好きなものを選ぶがよい。