転生の儀
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「なら、僕は……」
と、切実な目の神様に向かい。
「神の道を、ゆきます」
「……辛いかもよ? わたしに気を遣って言ってくれてるなら、やめた方が、いいよ。ここで消えてしまうべきだったって、後悔するかも」
「自分の意思で、決めました。僕は、生まれた意味を……、前の一生でわからなかったことを、確かめたい。なにも覚えてないけれど、この気持ちは、ほんとうです。貴女が守ってくれたこの魂が、もう一度と叫んでる。もう一度って。それに……」
彼女をよく見る。どこか、悲しげなひと。
「僕、さっき、救われたんです、貴女に。報われたと感じたんです。生きててよかったって。だから僕が、他の誰でもない僕が、なにかしたいって、貴女のお役に立ちたいって、そう想うことをどうか許してください、神様……」
彼女は数瞬のあいだ、目を伏せって閉じてから、こちらを見た。
為すべきを成すと、決めた瞳で。
神の威厳の籠もる声音で、応えてくれる。
「……わかりました。この私、時空と万象の理を統べる神、アイヴォールが、貴男の魂に転生の儀を授けます」
彼女は立ち上がり、場の端に佇む、巨大な鉄の門を指さした。
「確認します。……あれは、お墓ですね?」
問うてくる。
「……はい」
「……ではあれを起点とします。貴男は、アレを目指して登ってきた。貴男の想う、生と死を繋ぐ門。このイメージを介し、力を授けます。こちらに」
背を向けて歩む彼女の、後ろについてゆく。
壇上に、上がった。
巨大な鉄の塊の傍らで、ふたり、向かい合って立つ。
彼女が左手で、門に触れた。
すると鉄塊はたちまち光の粒となって広がり、霧散する……と思われたとき、光の霧が彼女の左の手の内に集まって、珠となる。白いのか黒いのか、光と闇の混在する奇怪な輝き。斑のように、渦のように、蠢いている。
「掌握」
呟くと、ぎゅう、と握り込んだ。ぱあん、と珠が弾けて、どうやら彼女のなかに取り込まれたらしい。左腕が淡く発光している。
そらからしばらく、彼女は眉をしかめて、なにかに堪えていた。なんだか体に悪そうな儀式だ、と思った。
僕のために無理をしてるんじゃないか、という気になってしまう。
そろそろ心配になってきたころ、再び呟き。
「左道から右道……」
輝きが、彼女の身体を通って、その右腕に移った。
今度は右の手のひらを上に向けると、珠がその上に再び現れた。今度は、真白く輝いている。……黒いのはどこいったんだろう。彼女のなか? だいじょうぶなんだろうか。
光球を携え、彼女は告げる。
「では貴男も、受け入れるための用意を。集中……、心を無にしながら、気を張ってください」
自然に、体が動いた。半歩、身を退く。足は肩幅、足先はやや開く。
背筋を正し、膝から全身へ、脱力。
重心を意識。頭のてっぺんから腰を徹って地に刺さる光の柱を感じる。力を込めるのは丹の底だけ。
両手で拳を握る。両腕を前に突き出し、手首を交差。
すぅ、と、鼻孔から息を吸うのに合わせて、両の拳を返し、腰に引きつけてゆく。
気が、充溢していく。背筋からド頭のてっぺんまで、冴えてゆく。
身体が呼気で満たされるのに合わせて、引きつけ切る。溜めを作る。静止。
空気が軋んだ。風が止み、潮騒が止み、暁の朱すら凍りついた。
動く。こぉ……、と、腹の奥から呼気を発しつつ、両拳を前に突き出してゆく。
大地が震える。風が騒ぎ出す。腹の底の灼熱が全身に伝わるのに合わせて、世界の色が紅さを増してゆく。
――――ホオッ!! と。
呼気を鋭く吐ききるに合わせ、拳を伸ばし切る。
轟と突風が吹きつけた。遠くでひときわ大きく波の音が響いた。死にかけの夕日が断末魔を叫ぶように、あたりが紅い極光に包まれた。
やがて世界が、元の穏やかさを取り戻すと、神様が呆然とこちらを見ているのに気づいた。
「そんな…‥、まさかここまで……」
なにかまずかったのか。かつてないほど満たされ、あらゆる試練に堪えうる気構えなのだけれど。僕が今やった一連の動きは、いつどこで誰に教わった、どういうモノだか覚えていないが、気力を充溢させ、集中を高める技法として間違いはなかったはずだが。
心配で問うてみる。
「あの。……これで、だいじょうぶですか」
彼女が我に返った。
「……ええ、これ以上ないほど。最後に、いま一度、問います。本当によろしいのですね?」
僕は、両の踵を揃えて、礼。
「お願いします」
「……承りました。では、こちらに」
面を上げ、一歩彼女の方へ、踏み出す。
「目を閉じ、力を抜いて、この世界を広く感じてください。風と、光と、大いなる海を」
言われた通りに。
まぶたを降ろしても、暗闇は訪れなかった。閉ざされた視界は陽光のおかげで、ほのかに朱い。肌でも日射しと、風を感じる。風に波打つ潮騒を聴く。果てまで広がる大海をイメージする。
そうか、ぜんぶ繋がってるんだ、と感じた。
声。
「心乱さず、名乗りを上げてください。前世の御名を。引き替えに、貴男に力を授けます」
「僕は……」
胸に手を当て、噛み締める。これを口にするのは、来世で思い出せなければ最後だ。
「―――、―――です」
口にした響きは、口にしたそばから僕のなかから流れ落ち、消えた。
名字も名前も三音ずつ。それなりに愛着のある名前だった気がするが、もう思い出せない。
その寂寥を埋めるように暖かいものが……、たぶん光の珠が、僕の鳩尾に押し当てられ、なかに入り込んだ。
身体の内側から、じんわりと暖かい。心臓から日差しが照ってるみたいだ。
「終わりました。目を開けても構いません」
開く。
「前世の御名は、強き意志の力を以て人生に臨むとき、取り戻せることもあるでしょう。願わくば、その新たな一生を、恨まずに済むよう願います。生涯に幸多きことを、祈ります……」
神妙な面持ちの神様が口上を述べた。
次いで、頭を下げてくる。
「深く、感謝を。……キミでよかった。心から」
「あ、いえ、そんな……、こちらこそ」
慌てて返礼。少ししてから、上目に彼女を伺う。そして気づく。
「姉ぇね」
「うん?」
「どうして、泣くの?」
「え?」
彼女は、虚を突かれたというふうに顔を上げ、瞬間、濡れた目を見開いた。瞳が揺れ動く。
それから少し、泣きながら微笑んで。
「……セカイのなにもかもが、愛おしいから。あと、キミの魂が綺麗だったから。ごめんね、わたし泣いちゃったら、キミ、泣きにくいね?」
「……んしょ」
「わ?」
僕は軽く背伸びすると、彼女の後頭部に両手を添えて、左の肩口に抱き寄せた。
撫でてみる。髪は、あったかくてさらさらしていた。
「神様って、たいへん?」
訊いてみる。
「まあ、それなり、かな……」
僕の肩に頭を埋めたまま、神様。
ぎゅう、と腕に力を込め、気持ちを伝える。
「そっか。会いにきてくれて、ありがとう。チャンスをくれて、ありがとう。ここでのこと、貴女のこと、きっと来世で、思い出す……。優しい神様……」
しばらくそうしていて、波と風と光と、彼女の熱と匂いを感じていた。
やがて、もういいよ、というふうに、背をぽんぽんと叩かれて、そっと腕を解く。
「……キミ、ちょっと動かないで」
耳元で囁き。入れ違いに彼女が僕の頬に両手を添えて、顔を近づけ、
「ん……」
そっと唇に口づけられた。
離れる。
「今の、祝福。……儀式と関係ないやつ」
微笑み。彼女の瞳の底の火が、残った涙にきらきらしている。
彼女があんまり綺麗だったので、呑んだ息が吐けない。
「これ、キミの最後のキスかな。それとも、はじめてになるのかな。どっちだと思う?」
惚けてしまっていた。魅入られて、動けない。
「なんか言ってよ」
「……ナンカ」
「ばか」「ふが」
ぎゅう、と、両の頬をつねられた。
「いっちょ前に照れちゃってさ。記憶預かったときにチラッと見えたんだからね? 仕事のたんびに違う女の人とちゅっちゅちゅっちゅ」
「え、待ってください覚えてないですぜんぜん覚えてないです」
なんの仕事してたのさ僕?!
彼女は僕のほっぺたをみょんみょんと思うままひとしきり蹂躙すると、最後にびょーんと引っ張って、ぱちん、と放した。痛いです。
それから、晴れやかに笑った彼女は。
「そーれっ!」
組み技系闘技者みたいな動きで僕の膝裏を取ると、そのまま抱え上げてしまった。お姫様抱っこ?
「じゃ、いこっか。もうちょっとお話したいけど、神様が永遠に寄っかかるわけにはいかないから。ほら、しっかりつかまって?」
言われたままに両腕を伸ばして、彼女の首に絡めた。逆光で、彼女の顔に陰が差してよく見えない。
彼女が片手を放して伸ばす。どこかからさっきの日傘が飛んできて、その手に収まった。
くるりと彼女は踊るように向きを変え、高台へ向かう。海へ。赤い太陽へ。とん、とん、という上下動が、突然消えた。浮いた。飛んだ。
風、光、波の音。彼女の声。
「会ってくれて、ありがとう。チャンスをくれて、ありがとう。ここでのこと、キミとのこと、この想い出はきっと、セカイの終わりまで運んでいくね」
その顔が、今度はまぶしくて見えない。
異変があった。太陽に近づくほどに、彼女の首にかけた僕の両腕が短くなる。必死に伸ばそうとしたけれど、外れてしまった。落ちる、と感じたのは一瞬で、僕はもう、彼女の片腕にすっぽり収まる程度の大きさしかない。さらに縮んでいる。
ああ、これで最後なのか、と思った。今からきっと、この仮初めの夕景を抜けて、外の世界へ僕は往くのだ。還るんだ。生まれる前の命に。
目前に迫った巨大な陽光に焼き尽くされると思われたとき、ぐっと高度が下がった。朱く煌めく海面がすぐ下に。
そして、ざぶん、と潜った。
寒くも冷たくも苦しくもない。
そして僕は海中に不思議な景色を見た。
ほの昏い底から、大きさの様々な泡がいくつもいくつも立ち上ってくる。
揺らめきながら僕に近づいては通り抜けてゆく泡沫のひとつひとつのなかには、それぞれ『世界』が収まっている。それは光り輝く銀河の星々だったり、地球によく似た惑星だったり、万物が生ずる前の混沌だったりした。
目を凝らせば、そのなかに文明らしきものを認めることもできた。そのあまりに遠大な歴史さえ。
ふと、泡のひとつに、見知った星が見えた。あれは僕の育った地球だろうか。
太平洋を覆っている白い渦、アレはなんだろう。台風にしちゃ大きすぎる。
疑問に引きずられるように僕の視界は拡大した。意識はもう嵐の渦中にある。
戦渦。
宇宙船のようなもの。生身で宙を飛び交い、得体の知れない武装を携えた人々。海上に現れる巨大な怪物。破壊を振りまく幾筋もの光条。
声がいくつも重なって響く。意味のわからない言葉たちが僕の脳裏を走る。
パラドクスオーヴァーを認めるわけには……
形而上領域に特異点を観測
このままではディメンジョンバーストが……
神代の御業か
確かにストリームなのか?! ホールやクラックじゃないのか!?
我々はセイヴァーズだ
ユニオンのお偉方は発狂して……
奴らはなんなんだ、いったい何と戦ってるんだ俺たちは?!
門が開いている! 始原の混沌が溢れる!
ゲートの保持者が渦中で戦って……!
万象の法則が崩れるぞ
世界が終わ――て……
「見ちゃダメ。……今のキミには関係ないよ」
彼女の声で我に返った。海中で当たり前に声が届くのは不思議だった。
こっちの言葉も届くかな、と思って、訊いてみる。
「今のは……? 僕がいた地球なの?」
「ああいう世界もあるってこと。たくさんある未来のひとつ。確定した過去のひとつでもある。今は、気にしないで……。さあ、眠って。新しいキミに備えるの……」
深く沈んでゆく。薄れていく意識の中。彼女に最後の問いかけを。
「また、会えますか……」
眠い。どんどん沈んでゆく。深く、深く。
応じた声は、優しく。
――うん、いつかきっと
それで安心した僕は、闇の中、穏やかに眠りについた。
ついにやっちまいました。
前作をお読みの上、神様の正体に勘づいてしまった方は、その考察を口にされることは特に禁止しません。
更新停止中の前作は読んでなくてもだいじょうぶです。ここだけの新規の読者さん歓迎です。
でも、皆様の熱望があればいつか前作も復活するかも……
今作は、来週中に、2、3話ぐらい更新できたら、と思ってます、はい。