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神様


 山道を登っていると、ふと、暖かい南風がどうと吹きつけた。


 あたりの鬱蒼(うっそう)とした木々の葉が勢いよく(こす)れ合い、遠く(かす)かな潮騒(しおさい)と相まって、僕の胸をざわつかせる。


 風に合わせて(しゅ)のかかった木漏(こも)れ日が踊り、足場の腐葉土(ふようど)や、角材を打ちつけただけの簡素(かんそ)な階段や、道端(みちばた)に転がるごつごつとした岩石をチラチラと(いろど)った。


 運ばれてきた(しお)(にお)いは、あたりの土や木々のそれと混ざり合い、僕の鼻の奥や、舌や、(のど)や肺にまで染み渡り、体の(しん)から安らかな気持ちを引き出してくれた。


 ここがどこで、今がいつで、なにがどうなっているのかというと、どれもよくわからない。


 ただ、ここを登って、行くべき場所に、行かなければならないという気がした。とにかく、足を動かす。


 安定しない足場をしぶとく登ると、ふと、木々が途切れて、空が開けた。


 紅い空だ。


 足場の階段が石灰(せっかい)質の石造りに変化する。


 上る。石畳(いしだたみ)の、平らな地面に出た。


 学校の教室ほどの広さがある平地の向かい端に、切り立った山肌に寄りかかるようにして、高さにして5メートル、幅は3メートルほどの重厚な、真っ黒い鉄塊(てっかい)が向こうにある。それは巨大な扉であり、祭壇(さいだん)でもある。僕はこれが開いているところを見たことがない。


 思い出した。ここは墓だ。


 あれの中には過去何代にも渡る、遠縁(とおえん)近縁(きんえん)の一族の死が、一緒くたになって押し込められている。僕の故郷に特有の形式の、墓なのだ。


 寺の裏手の平たい土地で、碁盤(ごばん)の目みたいに整然と墓石が居並ぶ、いわゆる日本の普通の墓というやつを、僕は参ったことはない。でもきっとああいう墓だと、どこの誰を祭っているのか、わかりやすいのだろうとは思う。対して、目の前のコレは、いったい誰のためのモノなのか、いまいちわからない。親族であっても、中に押し込められた全員をとてもとても把握(はあく)できない。こんなにも大きい。こんなにもたくさんの死だ。僕の地元の墓は、小高(こだか)い山の上にあって、誰の死であろうとも等しく受け入れる。


 どんな死に方をしても、最期(さいご)に訪れる安らぎだけは平等だとでもいうように。


 ……僕は、どうしてここにいるんだろう。誰の死を(いた)んで登ってきたんだろう。もうずっとここには来ていない気がするし、今さっき来たばかりだという気もするけれど。


 ふと、横を向くと、高台の(ひら)けた樹木の隙間(すきま)から、遠くが見渡せた。僕の記憶だと街が一望できるはずなのだけれど、広がっているのは西日に(あか)(きら)めく一面の海だった。ちょうど水平線に真っ赤な太陽が沈んでいくところだ。


 ふと、狂おしい郷愁(きょうしゅう)に駆られて、涙がこぼれてしまった。


「ここ、どこ……?」


 僕の(つぶや)きに、まず、ひときわ強く風が応じた。たまらず目をつむる。そして大気の流れが引いてゆくと、次に……


「キミの故郷(こきょう)だよ。生きとし生けるものすべてのふるさと」


 穏やかな声と共に、西日が(さえぎ)られるのを肌で感じた。 


 どきりとした。目を開くと、すぐ前に女の人。


 素っ気ない白のワンピースと、背中まで垂らした黒髪は、先の風の(あお)りでしばらく揺らめき、(きら)めいていたが、やがて止まる。広げて肩に引っかけた日傘(ひがさ)をクルクルと回すと、背にした(あかつき)の生み出す複雑な光と影が、ほっそりとした肢体(したい)()で回した。


 女の人に泣いているのを見られたのが恥ずかしかった。僕は顔を伏せて、慌てて涙を(ぬぐ)う。


「これ、その、違くて」


 訳もわからず僕はいいわけした。


「太陽が、目にしみて……」


 彼女は僕の言葉に一度、振り返って、しばらく、夕日を見つめていた。それから、


「うん」


 太陽を向いたまま頷くと。 


 僕が涙を拭い去って呼吸を整えるころに、彼女はこちらに向き直る。


綺麗(きれい)だよね」


 僕の視線は、吸い寄せられるようにその目へ。大きく垂れがちの眼窩(がんか)に収まった瞳は(くら)い闇色。見上げていると、それだけで僕は今にも宙に浮いてどこかへ飛んでいってしまいそうな、奇妙な心地に駆られた。ひどく、胸の奥が締めつけられるような。この人、知ってる、と思う。会ったことがある。けどこんなにも懐かしいのに、うまく思い出せない。

 

 見上げていて、ふと気づく。僕、なんか背ぇ(ちぢ)んでる?


 へんな茫洋(ぼうよう)感に(さいな)まれて立ち尽くす僕へ、彼女は腰を折って軽く(かが)み、顔を近づけてきて、どういうわけか縮んでしまっている僕と真ん前から目を合わせた。近くで見ると、底なしの漆黒と思われたその瞳の奥底には、織火(おりび)のような(きら)めきが(またた)いていた。その目に、かすかな戸惑いの色を乗せて、次の言葉が……。


「こんにちは。ん-、こんばんは、かな? ここ、時間の流れとかあんまり関係ないから、どっちでもいいんだけど。ねえキミ……、わたしのいってること、わかる? ちょっときつく閉じすぎちゃったのかな……、どうにかなる前にうまく拾えたと思ったんだけど」


 よくわからない。それに、彼女を見ていると、胸が苦しい。


「えっと……()ぇね?」


「うん?」


 思いも寄らず口から()れてしまったほんとの子供みたいな声に、ぱちくり、と彼女は不思議な色のクリクリした目を(まばた)いた。でももっと驚いて……、テンパってしまったのは僕自身だ。慌てて一歩、退()いた。(かかと)(そろ)えて背筋を正すと、両の拳を脇に引きつけて、取り(つくろ)うように一礼。


「すみません、あの、押忍(おす)……」

 

 押忍じゃねえよ、なにいってんのさ僕。


「はーい、おっすおっす」


 にこりと気さくに片手を挙げて返してくれた。すごく恥ずかしい。


 それから彼女は自分の姿を見下ろして、 


「そっか。この人、君のお姉さんか」


 よくわからないことを言う。まるで自分の身体じゃないみたいな。疑問が口をついて出る。


「あの、これ、いったい……、貴女(あなた)は……」なにがどうなっているのか。誰なのか。


「ちょっと混乱してると思うけど、ちゃんと説明するからね。なにから話そうか……、()いてみたいことはある?」


「ここは、その……、さっきふるさとって言ってましたけど」


「魂の通り道……、の、途中にあたしが(つく)った、君を()め置くための場所。君の心の内側でもある。こんなに広くて綺麗なところ、久しぶりに見たよ。素敵だね」


 茜色(あかねいろ)(かげ)の差す(ほほ)に、穏やかで謎めいた微笑(ほほえ)み。つまりどういうことだ。どうも頭の調子が悪い。ひどく胸も苦しい。(さみ)しいのか(かな)しいのか、自分でもわからない。


「それで、姉ぇね、じゃない。じゃなくて……」


「もうねぇねって呼んでいいのに」


 彼女は一度、微笑むと、言葉を継ぐ。


「わたしは、時空と万象(ばんしょう)(ことわり)を統べるもの……、キミの知ってる一番近い言葉を当てはめるなら、神様、かな。みんなが思ってるほど全能じゃないけど」


「神様? 僕、貴女に会ったことがあるような気がするんですけど……」


「きっと、ずっと君のなかに()った人だから。わたしに決まった姿はなくてね、だから、誰かと会うときは……、相手のイメージを借りるの。その人が信じてる神様とか、親とか、友達とか、恋人とか。実在しないけど、理想の異性とか。君の生きてた文化圏だと……、最近は漫画のキャラとか、好きな芸能人とかも多いかな。それから……」


 ひと息おいて、悲しげに声をひそめて。


「――先に()ってしまった、大切な人とか」


 それで、ようやく察しがついた。また涙が(あふ)れてしまった。今度は止まりそうになかった。


「僕、死んじゃった……?」


「……うん」


「じゃあ、もう帰れない? 僕、たくさんの人を、待たせてて……」


 うろ覚えだけど、そんな気がしていた。できることならうちに戻りたかった。


「うん。 ……残念だけど。わたしの力で、キミを元の身体に戻すことはできないの。キミの身体とここに居るキミの線は切れちゃってるし、今のわたしに扱えるのは魂や、精神だけで……、死んでしまったキミの身体を治すこともできないの。ごめんね」


「……そっか。死んだら、生き返らない、もん……、ね……」声が上擦(うわず)った。えずく。


 知っていた。僕はそれを知っていた。もうどうしようもないのだと。これまで死んでしまった誰も、僕のために帰ってきたりはしなかったから。僕は両の拳を握り締めて、うつむいて、震えながらそのことを受け入れようとした。涙は次から次へと流れ出た。


 ふと、ふわり、と包まれた感じがした。太陽の匂いがする。


 彼女は小脇に日傘を放ると、僕の前に両膝をついて、そのまま抱きしめてくれていた。そうとわかって、僕は我慢をやめた。彼女にすがりついて大声で泣いて震えた。


 だいじょうぶ、怖くないよ、と彼女は(ささや)いた。


「死んでいることは、怖くも哀しくもない……。(せい)()のうちに……、命は、終わらない流転(るてん)のうちに……」  


 頭を撫でられている。背中を指先で、とん、とん……、と叩かれる。だいじょうぶ、だいじょうぶ、と、何度も繰り返し、彼女は優しく語りかけてくれた。


 抱かれたまま、僕は問うた。


「僕、どうして死んじゃったの……? よく思い出せないよ……」


「ごめんね。君の記憶のほとんどを、封じさせてもらったの。君が君でいてくれるように、どうしても必要で……。生身の身体をなくした魂は、とっても繊細(せんさい)なの。あんまり痛いのとか、辛いのとか思い出しちゃうと、元の形を(たも)てないのね? だから、君がどんな死に方をしたのか、今の君には教えてあげられないけど……、でも」


 一度、彼女は息をついて、ぎゅう、とひときわ強く僕を抱く手に力を込めてから、


「でも、すごく立派な最期だったよ。キミは、すごいことをしたの。それまであったキミのすべてが、キミにそうさせたの……。キミを知ってるみんなが、きっと誇りに思う……」


 そのときのことはちっとも思い出せなかったけれど、神様に()められたのが嬉しくて、また、涙が溢れた。それを最後に、乱れた息と身体の震えは(おさ)まっていった。


 僕が落ち着くと、彼女は最後にひときわ強くぎゅう、と腕に力をこめて抱きしめてくれたあと、聞いて欲しいことがあるの、と囁き、そっと離れた。


「お願いがあるの……、聞いてくれる? わたしは、そのためにキミに会いにきたの」


 僕の頬に両手を()えて、指の腹で最後の涙を拭い去りながら、彼女は問うた。


「はい。……優しい神様。貴女のためなら、どんなことでも」


 感極まって、自分の胸に手を当てて、心の底から、僕は答えた。


 胸のつかえはすっかり取れて、今ならなんでも受け入れられる気がしていた。


 けれど。


「えい」「ぎゃん?!」


 でこぴんされた。突然である。


「あの、痛いです……」


 さっきの撤回(てっかい)。また泣きそう。元の形を保てなくなりそうです神様。


安請(やすう)け合いしないの。簡単に、誰かのためなんて言っちゃダメだよ。ちゃんと話を聞いてから、自分の心に問いかけて、己の責で決めなさい? 取り返しのつかないことだから」


「は、はい……」


 神様は、いいこ、と、僕の頭をひと撫でふた撫でした。


 子供扱いされているようで釈然としないが、さっきビースカ泣いてしまったし、どういうわけか、今の僕は子供に返って(・・・)しまっている。


 話がはじまる。 


「わたしは、錬磨(れんま)された強い魂を探してたの。キミは前世において心身の研鑽(けんさん)(おこた)らず、今際(いまわ)(きわ)に放つ輝きでわたしを導いた。……見つけた、と思った。この人だって。そしてその魂を留め置いた……、だから」


 神様は言葉を区切り、とん、と僕の胸を指先で突いて。


「キミの魂は、まだここにある。キミはこれから生きていくことができる。 ……死ぬことも、できる。今からわたしの言うことをよく聞いて、選んで欲しいの。いい?」


「……はい」


「選べる道はふたつある。ひとつは、みんなと同じ道。自然に生き、死に、流転(るてん)するあらゆる魂と同じ道。死した後、生身の体が(くさ)り落ち、やがて大地に(かえ)るように……、キミの魂は(くず)れ去る。キミを強く想い続ける誰かや、キミがかつて歩いたどこかを通りながら、バラバラになって、どこまでも薄まって……、風や水や土が、星と、星の上で生きとし生けるあらゆるもののなかを(めぐ)るように、セカイ(・・・)(かえ)って、やがて生まれる新しい魂の(かて)になる。痛くも怖くもないけれど、今、ここにあるキミは居なくなる……」


 神様は一度、長い間をおいて言葉を句切り、慎重に、もうひとつは、と切り出した。


 織火の灯る、切実な瞳。


「もうひとつは、神の道。(ことわり)を外れた輪廻(りんね)の道。わたしが望む、キミへのわがまま。キミは、これまでの人生と、ここでわたしと話した記憶とを、今よりきつく封じられたうえで……、かつて生まれ死んでいった場所とはまったく違う世界で、新しい生を得る。魂に合わせて、キミたちの定義する人か、あるいは人に近い生き物になる。でも、どこの誰に生まれ変わるかは、選べない。辛く、苦しい生涯(しょうがい)かもしれない。そこで……、生きて、死んでくれるだけでも、ひとまず、わたしの神としての最低限の目的は果たせる。でも、キミの新しい一生に、わたしはひとつ、願いを(たく)す……」


「願い……、どんな?」


 僕の問いに、けれども神様は目を伏せり、首を横に振った。


「わたしは、キミにそれを教えない。その魂と運命に、すべて(ゆだ)ねたいから。自分でそれに気づくかどうか。気づいたあとで、やるかどうか。やるって決めたあと……、うまくいくかどうかも、ぜんぶ、キミしだい。そのための力は、わたしが授ける。セカイのチカラ。強い力。でも、力を目覚めさせることができるかどうかは、キミしだい。使いこなせるかどうかも、キミしだい。あるいは……、身を滅ぼすかも。その力でなにをしても、あるいはしなくても、わたしはキミを、責めはしない……。力の引き金になるのは……、あるいは、制御の(かぎ)になるのは、封じられた前世の記憶。意思の力で、思い出すたび、強くなる」


 息を吐いて、僕の両手をきゅっと握り返し、恐る恐る、といったふうに、神様は僕に尋ねる。


「選んで。……質問があれば、答えるよ。ここの時間は、たっぷりあるから」


 僕は、少し考えてから、訊いた。


「みんなと同じ道をいけば……、僕が死んで悲しんでいる人に、少しでも会えますか? その(なぐさ)めにはなりますか……」


「保証はできないけど、たぶん。君と想いが通じている人は……」


 神様は目を閉じて、僕の胸元に手を添えた。


「うん、何人か、いる。タイミングが合えば、夢の中とかで会えるかも。慰めになるかどうかは、わからないけど……」 


「神様」


「うん」


「神の道をゆくときに……、記憶を封じるのは、どうしてですか」


「生まれる前の赤子に、大人の記憶を詰めてしまうと……、心と体への悪い影響が強すぎるの。一度、封じてしまって、成長の過程でちょっとずつ思い出してもらうしか、ない」


「どうして、僕に選ばせてくれるんです……。貴女なら、勝手に生まれ変わらせることも、できた」


「意思なき魂に、(ゆだ)ねられることじゃないから。運命を変えるのは……、それに気づき、選び取り、成し遂げるのは、人生のなかで得られた意思の力である方が望ましいの。自分でこの道を選び取ったという自負が、いずれキミを助けるでしょう」


「僕がみんなと同じ道をゆくと、その後どうなります。なにか問題が……」


「代わりの人を探すけど、キミよりいい人が見つかるかどうか、わからない」


「……誰かがやらないと、いけないんですね」


「……うん」


「なら、僕は……」


 と、切実な目の神様に向かい。


本日中に、あと1話、投稿します。

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