15・知らぬ間に玉座
「お前が番長を目指すってんなら、俺と勝負しろ!」
拳を突きつけてくる羊谷は、入学直後からこんな調子だ。
紫乃花さんを背中に隠し、俺は答えた。
「イヤだ」
「なんでだよ」
「もうすぐ授業が始まんだろが」
「はあ? 番長目指す不良のくせに遅刻が怖いのかよ?」
「そろそろ休み前の試験範囲が発表されるぞ。お前がどう思ってるかは知らねぇが、俺は聞き逃したくないんでな」
追試も補習も冗談じゃねぇ。
夏休みなんだぞ?
分厚いカーテンも一日で乾くし、客用の布団も干し放題だ。
親父たちが向こうで使ってる布団やカーテンは、お盆のとき持って帰ってもらおう。荷物になるから、宅配で送ってもらってもいいけど。
後アレだ。窓も洗わねぇとな。
ガラスも枠も、大みそかに凍えながら掃除するより夏の暑いうちに洗っちまうほうが、ぜってぇイイ!
親父たちが帰る前に常備菜も作り置きしときてぇし。
帰ってきたら、紫乃花さん家の電子レンジの残骸処理頼まねぇと。
役所に電話してみたら、このガキなに言ってんだ? って感じだった相手が俺の住所聞いたとたん、血相変えて担当者に代わったんだよな。担当者は、親父に頼むよう言った。
まあ霊力で壊れたもん、フツーに捨てちゃマズイか。
「……三分」
羊谷の後ろに立っていた馬場が、スマホを片手に指を三本立てた。
デカい図体のわりに、性格はふんわりしてるヤツだ。
「イヌイン、三分だけならどう? 走ったらギリギリ授業に間に合うと思う」
「冗談じゃねぇ。なんでそこまでして、相手してやんなきゃならねぇんだよ。それと馬場、そのイヌインってのやめろ」
ちゃんと漢字が読めてるだけ、数日前の先輩トリオよりゃマシだけどな。
「……紫乃花さん……」
細い指が俺の腕に触れる。
怯えさせちまったかな。
「大丈夫だ。こんなヤツら放っておいて、さっさと教室へ帰ろう」
「え? どうしてですか」
彼女はなぜか、怪訝そうに首を傾げる。
長い天然まつ毛をパシパシさせて、潤んだ瞳に俺を映す。
「勝負を挑まれたら、受けて立つのが格上の役目じゃないですか」
「なかなか器の大きいカノジョだな、乾」
……カノジョじゃねぇよ、オトモダチだよ。
でも、ま、周りからはそう見えるってことか。
俺は緩みそうになる口元に力を込めた。
「うっせぇよ。仕方ねぇから相手してやる。……紫乃花さん、下がってて」
「はい」
鈴を転がすような声で言って、紫乃花さんは渡り廊下の柱に寄り添った。
べ、べつに柱が羨ましかったりしねぇし!
俺は羊谷に告げた。
「馬場に免じて三分だけだ」
てか、しゃべってる間に、とっくに三分くれぇ過ぎてねぇか?
つってもケンカは嫌いじゃない。つうか趣味だ。
俺はズボンのポケットに両手を入れた。
「ルールはいつもの通り、お前が俺に一発入れるか、俺に反撃させたらお前の勝ちだ」
「畜生、舐めやがって!」
「そのルールで勝ったことないんだから、しょうがないっしょ、ダニー」
「お前は黙ってろよ!」
「無理。タイムキーパーだもん。じゃあ3、2、1、GO!」
俺と羊谷を中心点にして、紫乃花さんの対角線上にいる馬場が声を上げる。
一瞬で飛びかかってきた羊谷を、俺はひらりと避けた。
もちろんポケットから手を出さなくてもバランスは取れる。
我ながらイヤな奴だ。
でもコイツ、俺の拳一発で沈んじまうんだよ。
それじゃケンカになんなくて、つまんなすぎるだろ?
つうかさ、俺と勝負するときの潮は、もっと根性悪ぃぞ。
全身の力を抜いて、俺の拳圧で避けやがるんだ。
それに比べたら、自力で避けてるだけマシじゃね?
「くそぉっ!」
羊谷は、すぐ頭に血が昇る。
普段から怒髪天な髪型だしな。
短い脚で蹴り入れてきた。
もちろん避ける。ったく、俺が蹴りを避けた隙に、すかさず拳でも叩き込んでくりゃ見込みもあるが、避けられた反動でふらついてやがるんだからな。
まずは体幹を鍛えろ。
それでもなんとか踏ん張って、羊谷は殴りかかってきた。
利き腕ばっかじゃねぇか。
だから動きが単調になるんだよ。
──んなこんなで、いつものように避けてたら、羊谷が勝手に膝をついた。
お前は体力もねぇなあ。
「三分!」
「今日も俺の勝ちみてぇだな」
「くそっ!」
「よろしければ、こちらをお使いください」
地面を殴って大粒の涙をこぼす羊谷に、柱から離れた紫乃花さんがハンカチを差し出す。
や、優しいのはいいことだ。いいことだけど、よう。
馬場も羊谷に駆け寄って慰めている。
……なんで俺、勝ったのにひとりなんだ? 俺は唇を噛んで、嫉妬の涙を堪えた。
三人に背中を向ける。
「紫乃花さん、教室に戻るぜ」
馬場が時間を告げる前にチャイムは鳴っていた。
もう遅刻は決定だ。紫乃花さんと、ゆっくり歩いて帰ってやる。
試験範囲がどこだろうとも、きちんと授業内容を復習したら赤点にゃならねぇだろ。
「はい! あまり気を落とさないでくださいね。勇気さまはお優しいから、きっとまた勝負してくださいますわ」
「あ、ありがとよ、乾のカノジョ」
「そうだよ、ダニー。頑張って勝って、乾番長の舎弟にしてもらうんだろ?」
……ん? お前ら、なにを言ってるんだ?
そりゃこの三分勝負はケンカなんて代物じゃねぇ。
俺が羊谷に稽古をつけてやってるようなもんだ。
でもだからって、勝ったら『舎弟』ってなんなんだよ。んな約束してねぇぞ?
羊谷は泣きながら、馬場の言葉に頷いている。
「おう。あの三バカトリオには遅れを取っちまったけど、一年の中では、俺が一番の舎弟になる! お前は一年で二番の舎弟を目指せ」
「うん」
マジで、なんだ、それ。
粋がってる一年の不良ども、それぞれがトップ目指してんじゃねぇの?
俺に挑んでくんのは、ゴリ先輩に可愛がられてるからじゃなかったのか?
ふたりと別れて俺の隣に並んだ紫乃花さんが、笑顔で言う。
「男心に男が惚れる、というヤツですね!」
なんでそんな嬉しげなの。
まあ、羊谷が何度か口にした『カノジョ』って言葉を否定しなかったってこたぁ、ちっとは期待してもいいのかな?……聞き流してただけかもしんねぇけど。




