8・屋上の怪人
──『小さな退魔師』?
俺は首を傾げた。
なんのことだ。
もしかして親父と間違われてるんだろうか。
親父はうちの高校の卒業生で、今年の春までは教師として勤めてもいた。
今でこそ筋肉ダルマの大男だが、十代のころの親父は背が低かったという。
二十歳すぎてから成長するタイプだったんだ。
とはいえ、俺と親父は全然似てない。お袋に生き写しでもねぇけどよ。
「覚えていないのか?」
怪訝そうな声が尋ねてくる。
「私の式神を奪ったのは、お前ではないか」
『式神』? 陰陽師が使役するモンスターのことだよな。
カードゲームに出てきたし、紅太も言っていた。
「はあ? なに言ってんのか、わっかんねぇよ」
俺は不良らしく、目の前の黒い影を睨みつけた。
状況は、さっぱりわからない。
だけどゴリ先輩の安全を確保してからじゃなきゃ、ケツは捲れねぇ。
そっと背後に手を回して、出てきたばかりの扉に触れる。
手に伝わる感触がおかしかった。
金属製のはずなのに、そう感じられない。硬いようで柔らかく柔らかいようで硬いんだ。
マトモな空間とは違うらしい。
ゴリ先輩を助けた後で、ちゃんとここから逃げられるか不安だった。
にも関わらず、それほど危険を感じてない自分が不思議だ。
扉を開けるときもなにも感じなかった。
俺が鈍いのか、相手がなにかの力で麻痺させていたのかもしんねぇな。
これじゃ本能で危険を感じる場所には近づかないって約束、守れそうにねぇや。
制服のポケットに手を入れて、影に顎を突き出す。
「勘違いしてんじゃないスかー?」
嘲笑を浮かべて挑発する。
ゴリ先輩は、ちょっとの刺激で落っこちそうな体勢だ。
影をこっちに引き寄せたい。
「勘違いなどしていない。お前は今も私の式神を連れているではないか」
「あぁんっ? さっきからなに言ってんの?」
ゴリ先輩から離れろ、黒い影。
体勢的に屋上側へ戻すのは難しそうだ。意識が戻って暴れられてもマズイ。
一旦柵の向こうの狭い空間に降ろしてから、目を覚ましてもらわなくちゃな。
黒い影が、くっくと笑い声を響かせる。
頭の中に響く声。そうだ、最初からコイツの声は耳じゃ聞いてねぇ。
「……そうか。自分で記憶を封じたのだな。おのれの罪から逃れるために」
「罪ねぇ? どの罪だ? 生憎俺ぁ不良なんでな。罪なんざ数え切れねぇよ」
ここ数日は紫乃花さん家に入り浸って、自分で決めた筋トレメニューをサボってる。
ベランダの野菜の世話は、ちゃんとしてるがな。
サボると傷んじまうからだ。家庭菜園が趣味だからじゃねぇぞ?
硬派を気取りながら初恋にメロメロだし、機会があればワンピースの襟元から覗く紫乃花さんの胸の谷間を、見ない振りして見つめてる。俺は罪深い男なのさ。
「お前は……」
影の声が低くなる。
ゾクリと、背筋が凍った。
なにか、なにかすげぇイヤなことを思い出しそうな気がする。
「私を殺したんじゃないか、その式神で。おのれの手を汚していないからと、忘れて、なかったことにできるとでも? お前に使役されたせいで、その式神は人殺しの悪霊になってしまったというのに」
俺はズボンの後ろポケットに触れた。
自分の服や体さえもが扉と同じ妙な感触なのに、そのカードだけは違う。
何度も遊んでヘロヘロになった、紙の感触だ。
俺は関根が好きだった。
カードの武装兎も、小学校にいたヤツも。
夏休み、ラジオ体操の帰りに潮と学校に寄って、畑に水をやった後で飼育小屋を覗きに行った。家から持ってきた小松菜をやろうと思ったんだ。
ふたつの小屋の網は壊れていて、大きな小屋の中にはウサギの死体が散乱していた。
関根のほうの隔離小屋は空っぽだったんで、俺はアイツだけ逃げたんだと思った。
でも、違った。
ばら撒かれたメスの死体に囲まれて、関根は花瓶に突っ込まれていた。
水面から頭だけ出して。
首には植物の蔓が巻きついていた。死因は絞殺だ。
──ここで『犬神』の作り方。
①頭だけ出して、土に埋める。
②届かないけど見える位置に食べ物を置く。
③犬の頭が食欲でいっぱいになるのを待って、刀で首を刎ねる。
④頭を辻に埋めて、霊力を高める。
⑤犬の霊を祀り、神とする。
関根がやられたのは、そのウサギ版だ。
五行では、金気は土気から生じるとされる。
だから金気の犬は土に埋められる。神として生まれ直すために。
水気から生じる木気のウサギは、水に漬けられた。
次はどこぞのアサシンと一緒で欲望を煽る。
食いしん坊の犬には食べ物、スケベなウサギにはメスを見せる。
見せるだけだ。満たされないよう、お触りはナシ。
さらに霊力を高めるため、同じ属性のもので命を奪う。金気の犬は刀で、木気のウサギは植物で。
そして、辻は道だけでなく霊力も交わる場所。
特別な力がなくっても、辻……十字路で耳に入ってきた言葉は予言になる。
これらは、カードゲームで覚えたことじゃねぇ。
後で親父に教えられたことだ。
死体を見つけたときの俺は『犬神』なんて知らなかった。
ただ、思ったんだ。
飼育小屋の関根が鎧を着てたら助かったのに、と。
まあ実際は、鎧の継ぎ目に蔓を通して絞められたらどうしようもねぇだろうけど。
それでも俺は強く思った。
同じものは惹かれ合い、強め合う。
同じ名前で呼ばれていた、ウサギとウサギはガキの想いでひとつになった。
──式神の誕生だ。




