6・隣のあの娘(コ)は恋天使(キューピッド)
「先食ってて良かったのに」
いつもの裏庭で、走ってきたことを気づかれないように息を整えながら言うと、紫乃花さんは首を横に振った。
「わたしが、勇気さまと一緒に食べたかったんです」
彼女の言葉が嬉しくて、飛び跳ねたい気分を必死で抑える。
気持ちのいい昼休みだ。空はどこまでも青く澄んで、初夏の風は心地いい。
布団干してくりゃ良かった。
なんて思いながら、校舎を背にして腰を下ろすと、紫乃花さんがふたつの弁当の蓋を開ける。
今日はひと口大のロールサンドだ。
「お、やっぱ紫乃花さんが作ったの綺麗だな」
「そうですか? うふふ、嬉しいです。良かったら、これは半分こして食べませんか」
「いいのか?」
「はい。……初めて作ったものだから、食べてほしいんです」
エビとアスパラと薄い卵焼きを花のように組み合わせたロールサンドを、彼女がふたつに割って渡してくる。
俺は万感の想いとともに飲み込んだ。
「……うん、美味ぇ」
「ふふふ。味付けは勇気さまですけどね」
「組み合わせは大事だぜ?」
昨夜の夕食の後、龍神姉弟が料理を食べるだけでなく作るほうにも興味を見せたので、今朝は俺が材料を持って行って一緒に作った。
異界育ちのお姫さまとお坊ちゃんだ。
学校へ通うのも初めてのふたりは、当然料理も初体験だった。ま、手巻き寿司とそう変わんねぇけどな。
俺が弁当ふたつ分、紅太が皿いっぱいのロールサンドを完成させている間に、紫乃花さんは魂を込めてこのひとつを作り上げたんだ。
美味しくねぇわけがない。
「あら、この海苔とチーズ美味しい。タラコを混ぜたマヨネーズも入っているのですね」
「紅太が作ったやつだな」
余ったモチの定番メニューを、ヤツは自分のセンスだけで作り上げた。
つってもテレビで恋愛ドラマは見てたんだから、なんかで出てきたのかもしんねぇがな。
海苔とチーズを食べ終えて、紫乃花さんは次のロールに手を伸ばす。
「色合いが渋いですね。これはタマゴ?……!」
彼女の瞳が丸くなる。
やっぱりな。なにかで見たことはあっても、食べたことはねぇと踏んでたんだ。
「煮タマゴだよ」
「もしかしてそれは、あの日本三大美食のひとつ、ラーメンに入っているという?」
「ああ。家で漬けたんだけど、日によって黄身の硬さが違うから、毎日食べ比べてもらおうかと思って。週末にはラーメン作って入れるな」
「すごく美味しいです! 切った茹で卵をパンで巻いただけかと思ったら、半熟の黄身にも白身にも味がしみ込んでいて……ちょっとピリ辛なんですね」
「漬け汁に鷹の爪を入れてんだ」
「鷹の爪……トウガラシですよね」
「当たり。明日は甘めの汁に漬け込んだのを豚肉と煮ようかと思ってる」
ラーメンにはニンニクと漬け込んだのを入れる気だ。
龍神のお姫さまは、ちょこんと首を傾げて見つめてくる。
「……今日じゃダメなんですか?」
よっぽどお気に召したらしい。
上目づかいがあざとい! あざといぜ!
ま、本人には計算とかねぇんだろうけどな。
「食いたいなら作るぜ? 今日予定してたお好み焼きは、明日でいいし」
「お好み焼き……鉄板でジューと焼くアレですか?」
「今朝ふたりとも楽しそうだったから、夕食も一緒に作れんのがいいかと思って」
「……勇気さまのイジワル!」
「へ?」
龍神のお姫さまは、ぷうーっと頬を膨らませる。
「そんなに魅力的なものばかり出されたら、選べないじゃないですか!」
「両方でもいいけど?」
「ううう。それは……それも素敵ですけど、せっかくですから一品ずつ味わって食べたいですぅ」
俺は立ち上がった。
おしゃべりしながらハムトマトやツナマヨも食って、弁当箱は空になってる。
そろそろ屋上に行かねぇと。
「放課後までに決めといてくれたんでいいぜ」
「はい。あ、もう行かれるのですか?」
「ゴリ先輩たちも昼食終わったころだ。担任に呼ばれて時間食っちまったからな」
紫乃花さんが考えた、ゴリ先輩と七尾さんの関係を発展させる方法、それは俺が七尾さんの許婚だとウソをつくことだった。
彼女に弁当箱を預け、アゴを捻る。
「……しっかし紫乃花さん、ケチつけるつもりはねぇんだが、俺が当て馬になったくれぇで上手くいくのかね?」
「勇気さまでなくてはダメですわ。お話をお聞きしたところ、猿藤先輩の心の傷はまだ癒えていらっしゃらないのでしょう?」
俺は頷いた。
だれにでも優しくて頼りがいのある、良い兄貴分のゴリ先輩だが、女子と接するときには少し腰が引けている。厳つい顔で引かれちまうってのもあんだろうけど、やっぱり幼なじみのトラウマから解放されていないんだ。
とか言いつつ、俺も女子は苦手なんだがよ。
「そんな状態で七尾先輩が女性だと打ち明けて告白しても、恋に臆病になった彼が受け入れてくれるとは思えません」
「んーでもよ、許婚持ちの女子に告白されたって同じだろ。ゴリ先輩は、略奪愛なんて考えただけで気分が悪くなるタイプだぜ?」
「だから勇気さまなのです!」
長いまつ毛の下で、紫乃花さんの潤んだ瞳がキラキラと輝いている。
「勇気さまは猿藤先輩に認められていると、七尾先輩もおっしゃっていました。勇気さまという許婚がありながら、自分を好きだと言われたら、その想いがどれだけ真剣なものなのかを感じ取っていただけるでしょう? からかわれてるのではないかと不安になられても、勇気さまがそんな真似するはずないことは十分ご存じだと思いますし」
「そんなもんかね」
「ええ! 本当のことを打ち明けたときも、勇気さまほどの方が協力するくらい真面目な気持ちで告白されたのだとわかれば、悪い気はなさらないと思います」
「なんか……」
「はい?」
なんか俺、すげぇ持ち上げられてる気がする。
俺は彼女に背中を向けて、真っ赤になった顔を隠す。
「んじゃ行ってくる」
「行ってらっしゃいませ」
可愛い恋天使に見送られて、俺は歩き出した。




