5・俺、卒業するまでに胸筋鍛えるんだ。
「乾、ちょっといいか?」
担任に呼ばれたのは、昼休みが始まって数分経ったときだった。
午前ラストの授業の受け持ちじゃなかったので、担任は廊下に立ったまま手を振って俺を招いている。
二十代後半の担任は、どこかだらしない雰囲気を漂わせている男だ。
たまに授業中、教卓に突っ伏してイビキ掻いてたりもする。
エキゾチックな黒い巻き毛のイケメンなだけに、ヒモとかジゴロとか似合いそう。
それでいて、ちょっとした瞬間の視線は凄く鋭かった。
試験範囲はあっさりバラすけど、カンニングは決して見すごさない。
裏の顔を持つ昼あんどん、てのが一番的確なイメージかな。
「どれくらいかかります?」
「十分……いや、五分いいか?」
俺は隣の紫乃花さんを見た。
「ではいつもの場所で待ってますね」
「先に食ってていいから」
紫乃花さんは無言で微笑んだ。
……俺が行くまで待ってるつもりだな。
急いで行こうと思いながら、俺は立ち上がった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「巽はどうだ?」
担任はコンピュータ関係の授業を受け持っている。
新校舎の三階にあるコンピュータルーム横の小部屋が、彼の研究室だった。クーラーがギンギンに効いている。
勧められるまま椅子に座って、俺は首を傾げた。
「どうなんスかね」
先輩トリオに呪いをかけた件は、紫乃花さん本人が担任に報告している。
呪いを解いたんなら、もういいだろ。そう言われただけで、怒られもしなかったと聞いていた。
彼が退魔師で、俺の親父の弟子だと聞いたのは、彼女が転校してきた朝のことだ。
驚いたけど、俺が彼を『怖い』と感じ始めたのは、それが理由じゃねぇ。
「ホームシックとかはなさそうか?」
「あんま聞いてないっす。女友達じゃねぇと、そういう弱音は打ち明けられないんスかね」
紫乃花さんは、一日中俺と過ごしている。
転校してきてまだ三日とはいえ、いつまでもコレじゃダメだよな。
「そんなことはないだろう。むしろライバルでもある同性よりも、異性の友達のほうが気を許せたりするしな」
へえへえ。俺は、オトモダチ、ですよ。
なんの根拠もねぇんだが、担任が異性の友達だと思ってる相手は、彼を友達だとは思ってない気がした。ジゴロっぽい黒い巻き毛のイケメンに弱音を打ち明けられたりしたら、ぜってぇその気になんだろ。
「なにかあったら、乾からも報告してくれ。それと」
「はい?」
「お前、将来のこと考えてるのか?」
「また勧誘っすか?」
つい言ってしまったのは、こないだのことを思い出したからだ。
退魔師だと打ち明けた後で担任は、弟子にならないかと誘ってきたのだ。
「はは、そうだな。それもある。それと、夏休みが終わったら三者面談がある。乾先生たちに都合聞いといてくれ。なんなら夏休み中でもいいから」
「お盆には帰るって言ってました」
「そうか、じゃあその辺りの予定を空けておこう」
「すんません」
「気にするな。前にも言ったように、俺は、お前の父親になる覚悟はできている。澪さんとお前のためなら、どんなことも苦労ではない」
「……」
「しかし誤解するな? 俺が澪さんを好きなのは、あのビジュアルで成人しているという合法性ではない。澪さんが澪さんだから好きなんだ」
……お袋は人妻なんで、最初っから違法っす。
「愚かにも、重いだけの醜い脂肪なんかを追い求める世のマザコン野郎どもめ。美しい貧乳こそが絶対正義、最強のステータスだというのに!」
こないだと同じように、担任がヒートアップしていく。
真面目に聞いていた紫乃花さんも途中からは困惑した顔で、俺にすがるような視線を送ってきたっけ。
普段は、めんどくさがりなりに良い先生なんだがなあ。授業中寝るのだって、退魔師関係の仕事で疲れたときなんだろうし。
「それにしても乾は澪さんによく似てるなあ。その猫のような目、ほっそりした体、正に生き写しだ」
うっとりと見つめられて、俺はあわてて立ち上がった。
もう五分くれぇ経ってんだろ。
「腹減ってるんで、そろそろ食事に行っていいっすか?」
「ああ、もちろんだ。三者面談には是非、澪さんに来てもらってくれ。乾先生はお忙しいだろうからな」
「失礼します!」
クーラーがギンギンに効いた部屋にいたというのに、廊下に飛び出た俺は全身汗びっしょりだった。
ガキのころはともかく、今の俺はそれほどお袋に似ていない。
目の形は似てるのかもしんねぇが、お袋が猫なら俺は野生の肉食獣だ。
とりあえず俺は卒業までに胸筋を鍛えて、担任の忌み嫌うボインになろうと思ってる。
アメコミヒーローみてぇな体してる親父の血ぃ引いてんだから、可能性はゼロじゃねぇはずだ。今だって、言われるほどほっそりした体じゃねぇしな。
──てなわけで、俺は担任が怖い。
三者面談には、なんとしても親父に来てもらうつもりだ。




