2・趣味はケンカと筋トレ。そこんとこ、ヨロシク!
彼女は、巽 紫乃花、その弟は紅太と名乗った。
俺ん家の隣に引っ越してきたんだ。
姉は俺と同じ高校一年生、弟は小学一年生。
俺の名前を知っていたのは、ご両親がうちの親父の知人だからだという。
教師をしている親父は、わりと顔が広い。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
──夕食のカレーを食べ終わって、俺は狭いベランダに出た。
べ、べつにベランダが隣とつながってるからじゃねぇぞ。
そりゃ、ちょっとは声が聞こえるかな、とか思ってるけど。
でもそれは、困ったときは俺に相談しろと、親父がふたりに言ってたからで、俺も親元離れて子どもだけで暮らし始めたふたりが心配だからで、つまり、その、隣人愛ってヤツだ。
そもそも俺には大事な日課がある。
園芸用のハサミを手にして、ベランダに並んだ植木鉢とプランターを眺めた。
……うん、いい出来だ。
ピーマンの前にしゃがみ込む。
まだ小さいが、色も形も悪くねぇ。
肩が盛り上がり、肉厚な皮には張りがあって、つやつやだ。
初めのうちは早目に収穫したほうがいい。
週一で追肥してんだから、次々実ってくれねぇと大損だ。
切ったピーマンを窓辺に置いたざるに投げ込む。
ししとうも、そろそろだな。トマトは明日の朝採ろう。
去年ひと晩で物干し竿に巻きついたりしなけりゃ、今年もゴーヤを作ったんだが。
大葉の鉢を持ち上げて、受け皿の水を排水溝に捨てる。蚊に湧かれちゃたまんねぇ。
濡れた指をデニムで擦って、俺は窓辺に腰かけた。
部屋の電気は消してある。
空はもう暗い。
夜風が野菜の枝葉を揺らして、緑の匂いが鼻をくすぐった。
軒端に揺れる星を眺めて、ぼーっとする。
俺の一番好きな時間だ。
なのに。
今夜は隣の彼女、巽さん家の紫乃花さんの顔が頭の中を占拠する。
カレー作ってるときもそうだった。なんなんだ、これは?
「……ん?」
俺は隣家との仕切りに目を向けた。
今、妙な爆発音が聞こえた気がする。
「どうしたのだ、姉上」
「電子レンジが!」
なんだなんだ?
風が運んできた、姉弟の会話に耳をそばだてる。
電子レンジが壊れて困っているらしい。
んな簡単に壊れるもんじゃねぇだろ。
卵でも爆発させちまって、中がグシャグシャになっちまったのかね。
あの姉弟からは世間知らずの匂いがする。
ほら、海外は貧富の差が激しくて、日本から赴任した普通のサラリーマン家庭にもメイドがいるとか聞くじゃねぇか。たまにテレビ番組でもやってたりする。
そういう感じで、全然家事したことねぇんじゃないかな。
日本より治安が悪いところだったら、外出も制限されていたに違いない。
でも学校の都合や治安の悪化で、子どもたちだけで帰国せざるを得なくなった。
まだ詳しくは聞いてねぇが、そんなところだろう。
「カレー……」
俺はひとりごちた。
今夜のカレー、自信作なんだよな。
ルーはインスタントだけど、二種類をブレンドして、独自に調合したスパイスも加えた。
隠し味にビターチョコも加えてる。
甘党の親父がいねぇから辛さを控えなかったが、小学生でも食える程度だと思う。
鶏肉には辛いほうが合うんだよ。ほら、タンドリーチキンとか、辛くて美味ぇだろ?
逆に、豚や牛には甘めのほうがいい。
うちではステーキソースにジャムを混ぜる。
いや、んなこたぁどうでもいいんだ。
問題は、買い込んだ特売鶏肉の三分の一を使って作ったカレーが、たっぷり鍋に残ってるってことなんだ。もちろん残りの三分の二は冷凍した。
二、三日かけて食うつもりだったけど、収穫したてのピーマンがある。
こいつぁジャコで味噌炒めにしてもいいし、カツブシとしょう油で炒めてもいい。
ピザに載せるも良し、もっと手軽にピザトーストも良し。
サラダはもちろん、天ぷらや肉詰めなんかも美味ぇんだよな。
だから、つまり、なんだ。
俺はピーマンを食いてぇから、カレーをだれかに押しつけたいんだ。
うん、そうだ。そういうことなんだ。
「あ、あの……たっ、巽さん?」
俺は立ち上がり、仕切りの向こうに呼びかけた。
あっちの声が聞こえるってことは、こっちの声も聞こえるってこったろ。
たぶん居間の窓を開け放してる。
引っ越してきたばかりで、まだクーラーとか設置してねぇんだな。
てか、今の俺の声なんだよ。変に上擦ってやがった。
「……乾さま?」
仕切りの端から、姉のほうがひょっこり顔を出す。
ずっと俺の頭に居座ってた面影よりも、可愛い、気がした。
心臓が跳ね上がる。く、口から出そうだ。
「俺、カ、カレー作りすぎちゃって。なんつうか、あの、親父たちがいないこと忘れてて、三人分作っちまって、だから、その、良かったらどうスか? ご、ご飯もあるんで」
「まあ、ありがとうございます。実は電子レンジが壊れてしまって、難儀していたところなのです。……ふふっ」
「な、なんスか?」
「ご両親からお聞きした通り、乾さまはお料理と家庭菜園がお好きなのですね。こちらの殺風景なベランダと違って、一面お野菜の緑で、とっても綺麗」
「あ、あざっす。じゃ、じゃあ温めてから持ってくんで」
電子レンジが壊れた、ってか使えない状態なら、隣家で温めるのは無理だ。
俺は、待ってます、と微笑んだ彼女に頷いて、ピーマンを入れたざるを蹴っ飛ばしながら部屋に飛び込んだ。
ったく親父たち、知らない人に、なに吹聴してやがる。
俺の趣味はケンカと筋トレ。料理も家庭菜園も趣味じゃねぇっての。
……てか。
俺は、ぽわん、とさっきの彼女の姿を反芻した。
あの綺麗な黒髪から飛び出してたの、なんだったんだろ。
角みてぇだったよな。コスプレが趣味? ま、最近珍しくもねぇか。
でもなんのコスプレだ?
鬼や悪魔とは違う。
ねじれても尖ってもいなくて、先が枝分かれした……どっかで見た覚えあんだけど。
本人に聞いてもいいのか? 気づいてない振りしたほうがいい?
ざるを蹴飛ばして転がったピーマンを拾い集めながら、俺はカレーを温めてる間にサラダを作ろうと考えていた。ナポリタン風ピーマンサラダだ。ケチャップじゃなくてトマトピューレを使って、あっさり風味にする。
え? ピーマンが食いたかったんじゃねぇのかって?
細けぇこたぁいいんだよ。
明日は明日で、鶏肉を大葉で巻いて揚げてもいい。
揚げ物は手間がかかるから、どうせするならいっぺんにいろいろ作って、ま、また作りすぎてお裾分けすることになるかもしれねぇけどな!




