3・きつ姐さん、その事情。
紫乃花さんの住む異界は、ひとつじゃない。
いろいろな場所とつながっていて、異界の中にもたくさんの『郷』がある。
人間界の国みてぇなものかな?
外国の妖精郷なんてのも、その一種だ。
七尾さんは、紫乃花さんたち姉弟の母親である龍神の長が支配する異界内で、独立した郷に棲む『妖狐』の一族なんだという。
ああ、だから耳と尻尾が狐(焼きたてトースト)色だったのか。
「……乾」
「七尾さん、お代わりっすか? すいません、もうローストビーフ残ってないんスよ」
調子に乗って分厚く切りすぎた。
俺の返答に、七尾さんは舌打ちを漏らす。
泣くと体力消耗するもんな。お腹減ってんだろう。
「ちょっと待っててもらえれば、家に戻って冷凍の焼きおにぎり持ってきますけど」
「「焼きおにぎり?」」
巽姉弟が、キラリ、と瞳を輝かせる。
冷凍食品も使うけど、この焼きおにぎりは自分で作って保存したものだ。
ちょっと小腹が空いたとき、トースターでチンすると便利なんだよな。
「お代わりは食い終わってからだ。……てか紅太、今日は龍神フォームにならずに食ってるじゃねぇか、偉いぞ」
俺が隣の紅太の頭を撫でると、紫乃花さんが頬を膨らませた。
「えへへ。勇気の作る料理は美味いから、急がずじっくり食べたほうがお得だと気づいたのだ。ローストビーフもチャーハンも至高の味だ」
「なに言ってんだよ。……ほら、俺のを分けてやる」
「いいのか?」
「お前、成長期だからな」
自分のローストビーフをハシで千切って、紅太の皿に載せてやる。
紫乃花さんの頬が、さらにぷくーっと膨れ上がった。
つっても、女性の紫乃花さんに、俺が使ってたハシで千切った肉はあげらんねぇ。
だだだって、かか間接なんとかになっちまうじゃねぇか!
ん? 男同士はもちろんノーカンだぜ?
そうしねぇと、俺の大事なファーストキスの相手が、自分の食事を噛み砕いて食わせてくれてた親父になる。よく考えると、なにしてくれてんだ、親父。市販の離乳食でいいじゃねぇか。市販のものを使って手を抜くのも大切なことだぜ。
んなわけで、もちろん七尾さんにもあげらんねぇ──あれ?
俺は七尾さんの皿に気づいた。
「七尾さん、まだ食べ終わってないじゃないスか」
「お代わりなんか要求してないよ。アタシは不思議だっただけだ。乾お前、アタシの正体を知っても全然驚かなかったじゃねぇか。見鬼の才でも持ってんの?」
『見鬼』ってのは退魔師とかが持つ能力のひとつだ。
生まれつき持ってることもあるし、修行で身に着けることもある。
簡単に言うと、鬼を見る力。
能力の範囲には個人差があり、レベルや使い方によっても異なってくるけれど、強い見鬼の才を持っていれば、隠行による偽装や幻覚も見破れる。持っている霊力が神力と呼ばれるほど強い紅太みてぇな龍神の坊ちゃんだとフツーに正体が見えちまうから、隠行が施されてることにも気づかなかったりするらしい。
退魔師でもない俺が詳しいのは、例のカードゲームのおかげだ。
裏側守備表示のカードをめくって強制的に表側表示にしたり、隠された罠のカードを暴いて排除したり、平安時代の有名な陰陽師の故事に倣って『百鬼夜行』を妨害したりと、数種類ある見鬼のカードは大活躍する。
「俺、人さまの趣味には口出ししねぇ主義なんス」
「趣味じゃねぇよ」
じゃあ妖狐の郷の風習かな。
体の弱い男が成人するまで、女子として育てられるとかってのは、人間界でもよく聞く話だ。
「そうっすか。……モグモグ」
「って、事情聞かねぇのかよ。お前アタシに興味ないのにも、ほどがあんだろ。男だと思ってた先輩が女で、しかも妖怪だったんだぞ。巽の胸ばっか見てんじゃねぇよ!」
「え」
紫乃花さんがスプーンを皿に置いて、そっと自分の胸を両手で覆った。
そんな姉の姿を見て、スプーンをくわえた紅太も自分の胸を隠す。
……うん。紅太、後で殴る。
「み、見てねぇっすよ」
ウソ。本当は見てた。
見てたけど、胸ばっか見てたってのは言いがかりだ。
俺の納豆チャーハンを……ゴメン、ウソだ……ローストビーフを夢中で頬張る唇も見てたし、黒髪をそっと耳にかける仕草とかお茶を入れたコップを持つ細い指とかも見てた。
さっき声をかけられるまで、彼女の隣に座っている七尾さんの存在も忘れてた。
だだだってしょーがねぇじゃん! 俺、紫乃花さんが好きなんだし!
「……いいけどよ」
七尾さんは溜息をついて、左手の腕時計に触れた。
よく見るとバンドに青い布が巻きついている。
龍神姉弟の腕輪と同じ、霊力封じなんだろうか。
思いながら、俺はスプーンを握り直した。自画自賛なんて恥ずかしいが、やっぱ俺の納豆チャーハンは美味ぇよなあ。そ、そりゃローストビーフの肉汁が飯にしみ込んでるのも美味さの一部だけど、やっぱ元々の納豆チャーハンが美味いからこそのこの味なんだぜ?
「……勇気」
「どうした? お代わりはまだダメだぞ」
肘でつついてきた隣の紅太は、こっそりと七尾さんを指さして小声で言う。
「……聞いてやれ。彼女は事情を話したいようだ」
七尾さんはスプーンを握り締めて、ぷるぷると震えていた。唇を尖らせている。
正直言うと、その隣で、さっき頬を膨らませていたことなどなかったかのようにローストビーフをモグモグしている紫乃花さんの笑顔を見ているほうが楽しいんだけど、まあ、これも後輩の務めだしな。
「七尾さん、すいません。良かったら事情を聞いてもいいっすか?」
「な、なんだよ。しょーがねぇなあ」
七尾さんの顔が、ぱーっと光り輝く。
……先輩ってめんどくせー。




