15・『アニキ』と呼ばないで。
「エビアボカド、まだ残ってたんですね」
弁当のサンドイッチを食べ終えて、紫乃花さんは俺に笑いかけた。
俺たちは今日の昼休みも、裏庭で過ごしている。
「いや、うちの冷凍庫にエビがあったから、今朝作り足したんだ」
「そうでしたか。昨日のお寿司も美味しかったですけど、サンドイッチもいいですね」
──俺は、紫乃花さんにウソをついた。
本当は昨夜、ふたりと別れて家に戻ってから、結構深夜まで空いている安売りスーパーにチャリ走らせたんだ。だ、だって紫乃花さん、エビアボカド気に入ったみてぇだし。
ついでに地域猫のエサ場も覗いてみた。
現場検証はとっくに終わってた。
まあ警察も忙しいもんな。
大家さんには、おじやを差し入れした。早く立ち直ってくれるといいんだが。
しばらくは俺がエサ場片づけとくか。紫乃花さんや紅太も誘ってみようかな。
校舎の壁に背中を預け、彼女は目を閉じている。口元が幸せそうだ。
「風が気持ちいいですね」
「ああ。ここはちょうど、中庭の噴水から水気を含んだ風が吹いてくる場所なんだ」
中庭の噴水の周りにはベンチが置かれている。
屋上と違って立ち入り禁止でもないので、人気の昼食スポットだ。
つっても人が多いから、俺みてぇな不良が行くとこじゃねぇ。……あ。
俺は、紫乃花さんを見た。
視線に気づいたのか、長いまつ毛が揺れて、潤んだ瞳が見返してくる。
「勇気さま?」
可愛い、可愛い、可愛い!
心臓が口から飛び出したら、どうしてくれんだ、ゴラァ!
せ、責任とって結婚してくれるとでも言うのかよ?
俺は彼女から顔を逸らした。
「紫乃花さん、今日も俺とお昼食べて良かったのか? さっきの休み時間、女子に話しかけられてただろ。お昼に誘われてたんじゃねぇのか?」
「いいえ、違いますよ。あの方たちは、脅しをかけに来てたんです」
「脅し?」
「はい。勇気さまは不良だから、つき合ってると巽さんも変な目で見られるよ、って」
「あ……わ、悪ぃ。これからはなるべく、その……」
学校では近寄らないようにする、そう続ける前に、彼女は遮った。
「違いますよ、勇気さま。脅しと言ったでしょう? あれは忠告じゃありません。あの方たちは勇気さまを不良と見下しているので、仲の良いわたしも見下すと宣言しに来ただけです。わたしたちが離れても、あの方たちの見る目は変わりませんわ」
「紫乃花さん、大丈夫なのか?」
「ええ、今度はカエルにします」
「……へ?」
「カエルはジャンプできるから、干からびる前に自分で中庭の噴水まで行けるでしょう?」
違う、そうじゃねえ。
単純な男と違って、女子の集団はややこしくて複雑だろ?
馴染めないと困るんじゃね? って質問だったんだ。
「もちろん、そう簡単に術は使いませんよ? よほど鼻についたときだけです。わたし、ああいう方々には慣れてます。……紅太より与しやすいと見て近寄ってくる方々は、みんなあんな風でしたもの」
紫乃花さんが微笑む。
「わたしは、脅したり見下したりして思い通りにしようなんて下劣な心を見せかけの善意に包んで近寄ってくる方より、見知らぬ女の子が絡まれてるのを助けに来てくださる方の側にいたいです」
「……誤解だったけどな」
「はい。わたしも昨日は誤解してしまいました」
鈴を転がすような声で、うふふ、と笑って、彼女は隣に座った俺の肩に、自分の頭を預けてくる。さ、さらっさら! さらっさらの髪が俺の首筋をくすぐった。
ぶほおっ!
なんだコレ、ご褒美? それとも拷問?
「……勇気さま」
「お、おう?」
「わたし、ずっとお兄さまが欲しかったんです。紅太は可愛いし龍神としては優秀だけど、まだ子どもだから頼ることはできなくて。……勇気さまはお兄さまみたいです」
んなこったと思ったよ、チクショーッ!
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
そろそろ午後の授業が始まる。
帰路についた俺たちは渡り廊下で先輩トリオと会った。
新校舎は冷房完備で、三年の教室とコンピュータールームがある。
教室移動かな、と思ったが、教科書もノートも持ってねぇ。
裏庭でのサボりだわ、こりゃ。
「「「アニキ!」」」
俺に気づくなり、三人揃って頭を下げてくる。
「……へ? どしたんスか、いきなり」
「「「俺らもわかんねぇ!」」」
力強く答えた先輩トリオは、首を傾げながら言葉を続ける。
「けど昨日、なんか急に乾クンのことリスペクトで」
「今日から『アニキ』と呼ばせてくれっす!」
「『お兄ちゃん』のほうがいっすか?」
「いや、俺のが後輩なんスけど……」
不良世界は上下関係にうるせぇもんだろ?
てか、なんなんだ。
もしかして、うっすら昨日のこと覚えてて、俺に感謝してるとか?
「こういうの実力で決まるもんっすから!」
「アネゴもよろしくっす!」
「『ニィニ』と呼びましょうか?」
「「「んじゃ失礼するっす!」」」
騒がしく歩き出した先輩トリオは、俺に尻を向けてはいけないとでも思っているのか、こっち向いたまま進んでいって、案の定渡り廊下の柱にぶつかった。
俺は溜息をつきながら、頭を押さえた三人に声をかける。
「……アニキでもなんでもいいんで、前向いて歩いてください」
「「「うっす、アニキ!」」」
まあ呪われた直後は俺の言葉も理解してたみてぇだし、多少は記憶があんだろうな。
紫乃花さんからは、失礼にならない程度に視線を逸らしてた。
変な呼び方を提案してきたのは、昨日叫んでた先輩だ。
きっと動物好きで仔猫への思い入れが深かったから、感謝も大きいんだろ。
表現方法がなんか変だけど。
「『アネゴ』って、わたしのことでしょうか」
「みてぇだな」
「……弟は、紅太ひとりで十分なのですが」
「人間界で気軽に術使うと、こうなるってこった」
彼女はひどく真面目な顔で、気をつけます、と頷いた。




