13・涙雨がやまなくて
ダメだ。
マジで俺は、『は』で始まって『い』で終わるアレっぽい。
ひらがな四文字、漢字二文字の……『初恋』ってヤツだ。
紫乃花さんの部屋の前、聞こえてくる泣き声に胸が締めつけられる。
泣かしたヤツをボコボコにしてやりたい。つっても俺なんだけど。
「紫乃花さん」
泣き声がやんだ。
室内から緊張した空気が漂ってくる。
返事は戻ってこないが、言葉を続けた。
「さっき俺、紫乃花さんが怖くて腰抜かしたわけじゃないんだ。……自分でもすっげぇ情けねぇけど、アンタが泣いてるほうが嫌だから言う。……だ」
「……え?」
この期に及んで、俺はなんてみっともねぇ男なんだ。
アイツらの名前を口にするだけで怖くて、唇が震えて声にならなかった。
勇気を振り絞る。……昔から良く、この言い回しで親父にからかわれたなあ。
「ナ、ナ、ナ……ナメクジが怖ぇんだっ!」
「……くすっ」
あ、笑ったな? でもいい。
泣いてるくらいなら、俺のこと嘲笑ってくれ。……つってもMじゃねぇから!
「……わたしも」
天岩戸が開く。
世界が光に包まれた。
「わたしもナメクジ嫌いなんです。あの方たちが仔猫にひどいことしたと思い込んでいたから、一番イヤな生き物に変えてしまいました」
晴れのち曇り。廊下に出てきた太陽の女神が、しょぼんとうな垂れる。
「もう少し落ち着いて、勇気さまの制止を聞けば良かったのに。……わたし、ダメな子なんです。紅太が生まれて良かった。わたしじゃ立派な龍神の長にはなれませんもの」
鼻を啜り上げる音がして、俺は腕を伸ばした。
今日の昼、喜んでくれたよな?
しなやかな黒髪を優しく撫でる。
慰めるつもりだったのに、最高のサラサラ感に俺のほうが気持ち良くなっちまう。
「呪いは紅太に解いてもらったから安心してくれ。今日のは、俺が全部悪かったんだ」
「っ! 勇気さまはなにも悪くありませんっ!」
「いいや、悪ぃのは俺だ。俺は親父にアンタたちの世話を頼まれてるんだぜ? なのに昨日引っ越してきたばっかりで、慣れない学校に疲れてて、おまけに徹夜明けのアンタを連れ回しちまった。疲れてるときに失敗すんのは、よくあることさ」
「わたしが、わたしがお買い物に行きたがったんです。勇気さまのせいじゃありません」
泣きじゃくる彼女の頭を撫で続ける。
やがて涙が止まったのか、紫乃花さんは顔を上げた。
腫れ上がった赤い目元が痛々しくて、俺のほうが泣きたくなる。
「……あのね、ダメですよ?」
「ん?」
「悪いことをしたわたしの頭をなでなでしたりしたら、わたしは勇気さまになでなでしてほしくて悪いことをする、イケナイ子になってしまうかもしれませんよ?」
ちょっと膨らんだ赤い頬→1HIT!
上目遣いの潤んだ瞳→2HIT!
白いパーカーを脱いでるから、俺の身長から見下ろすと、ちょうど目に入る胸の谷間→3HIT!
なんだか色っぽい『イケナイ子』の言い方→HITHITHIT……!
俺の心臓はキューピッドの矢で穴だらけになった。
「紫乃花さん、お、俺はっ!」
彼女の両肩をつかむ。
少し力が強すぎるかもしんねぇ。
けどどうしようもねぇんだよ! だって初恋なんだぜ? 心も体も止まんねぇ。
俺が想いを口にしようとした瞬間、
きゅるっ!
紫乃花さんのお腹が可愛く鳴いた。
デニムのポケットから霊力封じの腕輪を出して彼女に渡し、俺は尋ねる。
「……一緒に飯の用意すっか?」
「はい! わたし、すっごくお腹減っちゃいました」
台所へ向かう俺を追い越して、彼女が振り向く。
恥ずかしそうに俯いて、俺から視線を外す。
「……勇気さま、わたしのこと、嫌いになってしまいましたか?」
「んなわけねぇ」
「良かった!」
紫乃花さんは満面に笑みを浮かべる。
「わたし、勇気さまのこと大好きなんです!」
へ?
ままま、参ったなあ。
女のほうから告白させるなんて、男が廃るぜ。
で、でもまあ、うん、俺も……顎を撫でて緩んだ口元を隠していたら、彼女はキューピッドの矢どころか、ミサイルを撃ち込んできやがった。
「だって、生まれて初めてのお友達なんですもの」
……オ ト モ ダ チ?
「わたしも紅太も長の子どもだから、周りはみんな家臣だったんです。同じ年ごろでも友達じゃなくて侍女や従者で……今は勇気さまに頼りっぱなしですけど、今に勇気さまを助けられるようになりますから、そのときは頼りにしてくださいね! お友達ですもの!」
「あ、ありがとな」
うふふ、と笑って、彼女は踊るような足取りで進む。
それを追う俺の足は重い。すげぇ重い。
紫乃花さんが泣きやんでくれたのは嬉しいんだけど、今度は俺の心に涙雨が降り注ぎ始めていた。
……お友達、かあ。
お友達から始めるとか、たまに聞くんだが、それってマジで恋愛につながんの?
お友達って時点でアウトオブ眼中なんじゃねぇの?
お友達から恋人へのスライドなんて、恋愛初心者の俺にできるわけねぇし!
俺は、紫乃花さんに気づかれないよう、そっと溜息を飲み込んだ。




