10・お姫さまは大胆素敵。
予想通り、紅太は留守番を主張した。
カードと一緒に渡した、雑誌付録のルールブックを夢中で読んでたな。
カードゲームもいろいろあるが、これは漫画が原作だ。
漫画も家にあるから、一緒に持ってきてやれば良かった。
ルールブックは漫画の連載が終わる前、アニメ開始時の付録だったから、ちょうど小学校でウサギが──
いやいや、懐かしくても思い出に浸ってる場合じゃない。
今は紫乃花さんとふたりで買い物の最中だ。
なにもかもが珍しいのか、彼女はスーパーの店内を見回していた。
天井から垂れ下がった安売りチラシに目を奪われ、ショーケースに顔を突っ込み、ところどころに置かれたワゴンを踊るようにして避ける。たまにワゴンの中も覗き込む。
今日は南国風の派手めのワンピース。
肩ヒモがなくて、白い半袖パーカーを上に着ている。
なんだか海に来た気分だ。
俺はカートを押して、翻るワンピースを追いかける。
おーい、待てよー。なんて心の中で呟きながら。
「エビ」
海鮮売り場の前で、彼女が立ち止まる。
俺は心の中でほくそ笑む。
予想通り。女子はエビ好きだもんな。
抜かりはねぇ。もうひとつの好物も用意してるぜ?
「エビ買いましょう。マヨネーズでアボカドと和えると、美味いっすよ」
「アボカド?」
俺が指差したカゴの中の野菜を確認して、彼女は頷いた。
冷凍エビのパックを取って、カゴに入れてくれる腕が細い。霊力封じの腕輪をした手首も細くて、俺がつかんだら折っちゃいそうだ。
「あ、そうでした! お支払いの三分の二、帰ったら払います。わたしったら、お財布持ってくるの忘れてました。お買い物だっていうのに、バカですね」
「んなことねぇっすよ。それに半額でいいです。紅太は子どもだし、巽さんはそんなに食わねぇじゃないですか」
「……紫乃花」
「はい?」
俺の横に回りこみ、彼女が顔を覗きこんでくる。
うへえ、まつ毛が長ぇぜ。潤んだ瞳に吸い込まれそうだ。
「巽さんじゃ、わたしか紅太かわかりません。わたしのことも名前で呼んでください。それと……」
ほんのり頬を染めて、顔を逸らす。
「しゃべり方も普通にしてください。……頭なでなでしてくれたとき、みたいに」
「た、巽さん、いや、し、し、紫乃花さんがいいなら、そうしま、する」
緊張して、妙なしゃべりになっちまった。
紫乃花さんは、良かった、と小さく微笑んだ。
「うふふ。頭なでなでされるの、生まれて初めてだったから、とっても嬉しかったです」
「し、紫乃花さんの親父さんはしてくれなかったんです、のか?」
しばらくはこの、妙なしゃべり方が続きそうだ。
「お父さまがわたしや紅太の頭を撫でようとすると、どこからともなくお母さまが割り込んでいらっしゃるんです」
彼女が溜息をつく。
龍神の長は、恋愛脳ってヤツかな?
「そりゃ大変っす……だな」
「お父さまとお母さまが仲良しなこと自体は、嬉しいのですが」
紫乃花さんは、俺のしゃべりに突っ込まない。
育ちのいいお姫さまだからか、慣れるまで待ってくれるつもりなのか、わからないが、一々指摘されないおかげで気は楽だ。
「乾さま」
ふえっ?
なな、なんでくっついてくんの?
腕、パーカーの半袖から伸びた素肌の腕が、俺の腕に当たってんですけど?
なんで? 寒いから? 海鮮売り場はショーケースから冷気があふれて寒いから?
すべすべー。パーカーよりも白い腕はすべすべー。
てか、このワンピース胸元が開きすぎじゃね?
紫乃花さんが見上げてくる。上目遣いが凶悪すぎっぞ、ゴラァ!
「わたしもお名前で呼んでいいですか?」
「お、おう。てか、紫乃花さんも、その、フツーに」
「ゴメンなさい、勇気さま。わたし、このしゃべり方が普通なのです」
弟の紅太にも基本丁寧語だもんな。
てか! てか『勇気さま』って! 紫乃花さんが俺のこと『勇気さま』って!
それだけ言って、紫乃花さんは俺から離れた。
ふわりとした動きが蝶を思わせる。
ショーケースを覗き込んで、彼女はひとり言のように呟く。
「……さっきすれ違った人に、新婚さんは可愛らしいわね、って言われました。わたしと勇気さまが夫婦に見えたのでしょうか?」
しし、新婚? ふ、夫婦っ?
なにそれ、ちょっと通行人、なに言ってくれてんだ。
もっと言えよ! お似合いね、とか、ラブラブね、とかよう!
つうか、だれか俺に情けない顔を隠す仮面をくれ。
このままじゃ顔が緩むだけ緩んで、鼻の下が床についちまう。
ああ……俺、本当に『は』の字で『い』の字なのかもしんねぇ。
ベトナムの首都じゃねぇぞ。四文字だ。鍋にぴったりの淡色野菜でもねぇからな!
「勇気さま、お刺身コーナーです」
「おお、おう!」
ちょっと期待してたんだが、ショーケースを覗き込んで刺身を選ぶ俺に、紫乃花さんはくっついてはこなかった。
新婚さんって言われて照れちまったのかな。
……くそう、通行人め!




